2019年7月24日水曜日

自分の井戸を掘る







自分の墓場を夜な夜な掘って、その前で踊るよりも

自分の井戸を齷齪(あくせく)しながら、この中で泉を掘り続ける。

自分の人生を「井戸」と例えると

疲れ果てて「自分を掘る」ことを止めてしまい動けなくなる事もある。

しかし、時を経て己の泉を求めて「自分を掘り、自分の泉を求める」

それは永劫に続くようだが、有限の命は突然と終焉を与えてくれる。

いつでも、その準備をしなければならない。






私は非常に正直者で、よく馬鹿を見ると言われるが
そういう風にしか、生きる術を知らないのだから
いいと思う。



このような私でさえ、応援して下さる方々がいるのだから
良い音楽をいつも求めていたい。



それが「私の井戸」を掘り続ける理由だ。





あと、最近、吹っ切れた事があったので思う事がある。

人とは「人を、こういう人間だ」と決めつけたがる傾向がある。

例えば、こうだ。



「君みたいな人間は、非常に変態で変わっているから
普通の男や女といるだけでは満足が出来やしないだろう?
厭、君みたいな人間はお手上げの人の方が多いのじゃない?
自分なんか、どうだい?変わっていて面白いよ。」



私はこういう風に言われるのが今まで多かったのですが
全くを持って、そう思いません。

変な人ではなく、静かに居たいのです。

変で面白い人は要りません。

私は静かに居たいのです。

普通で良いです。

一緒に海に行き泳ぎ、山々や空を仰ぎ、自然を共に分かち合う。

星々を眺め、共に眠りにつく....そういう人と一緒に居たい。



高望みなぞ、しない。

人の営みを、自然を、流れのままに感じれる人と一緒に居たいのです。



娘と私が少しでも笑顔で生きて行けるよう
自分の井戸を掘り続ける。



叱り過ぎた娘の寝顔を見ながら
彷徨い続けても、夜は何も、答えてはくれない。






梅雨が明けたら、逢いたい人がいる。

その人に尋ねてみよう。

雲の行く先、心の行き先を。

井戸の深さを。





Le son de la Mer
海音