2018年10月28日日曜日

生きるとは








「生きるとは」






私にとっては天の北極ポラリス




「北極星」である。







「生きる」とは

私にとって常に「北極星」のことである。






凍てつく氷のような瞳の季節の色も
煌々と輝き続ける季節の色も

まるで人の人生を表しているようだ。







厭、むしろ私が北極星のよふに生きたいだけである。



私の作った歌にも一番星と北極星は孤独と人生の道しるべ、
孤独の中の友人として出てくる。






誰の周りも回らずに
常に同じ場所(心の場所)があり

凍える日も、蒸せ返る日も
そこに在る。



己が授かった光を放ち続けているだけである。






ただそれをするのは、

人生における湾曲の中で
し続けることは



生半可ではないだろう。




北極星であり続けるために

私はいつも自由人で努力家で優しさを持ち

持ちうる全てを音楽や美を通して表現する。







そして時に風のよふに、道化師のよふに
戯(おど)けては、知らんぷりをして





時と時のはざま

音と音のはざまを

私は踊るのだ。






それが人生だ。








北極星のよふに、いつも自分という場所を知り

風のよふに、いつも自由に季節を友とし

道化師のように、水面の自分を覗き....己の顔を見つめるのだ







それが私の人生に似合っている。





読んでくださり

どうも有難うございます。




心を込めて。




Amitié





Le son de la Mer
海音








2018年10月27日土曜日

ハープと毛玉と猫








それが私にとって基準である。


いつか文面にこの言葉を描きたい(えがきたい)と思った。


何故なら非常に大切なことである。


それは生活の基準であるから。




ハープは自分への慰めのためにパリで趣味として始めた。

毛玉はエレガントでは無いが
(間違ってもエルメスのカーディガンには毛玉がならないし)笑





この「ハープ」「毛玉」は大きく共通している部分がある。

「夜な夜な」、「空いている小さな時間」、「黙々と」




私には譲れない大切な生活のものだ。

生活の基準、
それはこの「ハープ」と「毛玉取り」が出来ない日びと言うのは
心に余裕がないか、自分らしく生きていない時。




何にも変えがたい時間だ。












埃まみれになったハープや
毛玉だらけになった娘の着るもの、私の着るもの



眺めて「いる」時、「いた」時。



いつも人生に波がある。





今はどちらか、分からない。





ただ、「ハープ」と「毛玉」がいつも基準で
死ぬまで変わらないと思う。


意識していなくても


この二つだけは。



















最近は愛猫の認知症が進み

老猫特有の耳をつく、なりふり構わずに朝も晩も金切り声で叫び散らす。

老いは仕方ない。




耳が神経質な私は睡眠も多く出来なくなり

切ない気持ちになる時が本当に多くなった。


しかし16年前と変わらず可愛いし、より可愛く宝物であることは
変わらない。


誰よりも長く一緒にいる子だから
私が出来ることすべてをやって行きたいと心に確認する。


お世話になっている動物病院にも
もし(認知症が)難しくなったら言ってください。と言われた。


難しくなる時、それはいつなのだろうか。






私は鷹匠にも花火師にも音楽家にもなりたかった。



時間は有限の中、朦朧とすることにより
自分を思い出し
時を駆けるのだ。




Amitié






Le son de la Mer
海音







(Hiver à Paris et mon chat en 2010)




2018年10月17日水曜日

スピリチュアルTV出演のお知らせ










明日18日(木曜日)20時より22時まで

スピリチュアルTVにゲストで出演いたします。

トークが主にですが、もしかしたら少し歌うかもしれません。

もしご興味のある方はご覧になられてみて下さい^^

古民家の日本的なお部屋からのインターネットTVになります。



パリ時代にBashar(バシャール)を知り、フランス語で本を読み漁り
日本でkobashar(コバシャール)さんに出逢いました。




kobasharさんはシンプル過ぎて深い宇宙人です。

多分、日本に来てから....生きて来た経験や不思議なこと、音楽...

そして今のことを少し話すのかしら。

未知ですがお楽しみに。



スピリチュアルTV









少し東京を離れます。

生まれて初めて岐阜県へ行って参ります。

未知の土地はワクワクします。




娘を連れて本業が出来ることは、本当に幸せです。



心を込めて。


Amitié.



Le son de la Mer
海音









2018年10月14日日曜日

音楽家こそハイヒールを










小さい頃から目の前に
ピアノ鍵盤か書道の硯(すずり)があった。

特に書道は小学、中学の頃は毎日2,3時間は
厭でも書いていた。




パリで在学していたコンセルヴァトワールで
ピアノコンサーティストのディプロムに挑むため
一日平均7-8時間は最低でもピアノに向かい
時間を確保し、その中でお生徒さんに教えに行っていた。




何を言いたいか。


練習時間の自慢ではない(やるのが当たり前であるから)。



私は書道を始めた2歳半から

全てが「前のめり」「猫背」の人生だった。笑



なんという人生....






先日昇天されたピアノのお師匠さんには

「君は日本で誰もその姿勢でピアノを弾くことに
注意してくれる人はいなかったのか?呼吸法もだ」と


ため息をつかれた。


終いには「日本の音楽教育では楽器に向かう姿勢法や
呼吸法はないのか?君は本当に音大を出たのか?」とも^^;




最終的には

「技巧云々の前に、君は姿勢を直さなくてはいけない」
とはっきり言われた。




普段でも火のついたパイポや、飲みかけのファンタの瓶が
レッスン中に飛んでくるのと同時に



何度も何度も何度も気が遠くなるほど
背中と首の位置を「グイッ」と力ずくで毎時間直された。




当時は技巧もセンスも呼吸も姿勢も全て一気に
指摘されて頭がパンクしそうだったが


その厳しい記憶が
今のASAMIさんのご指導に全て繋がる。






(バッハ弾きのグレングールドなどは例外としても、
私のお師匠さんは当時80代後半だったが背筋がシャンとしており
ピアノ演奏中もその姿勢が崩れることがなかった)






















まずは結果から。



胸を開き、肩を広げ、首もまっすぐに、そして呼吸をしながら
弾く「1音」はそうではない猫背で浅い呼吸で弾く「1音」とは
全く違う。



お師匠さんが毎回「ほらね」ここまで
姿勢が悪い時の「音」とデコルテを開いて弾いた時の「音」が
違うだろう?わかるだろう?と



私は非常にミラクルのように、魔法にかけられたように
驚くほどの「音の解放振動、突き抜け感」と感じずにはいられなかった。




そしてシャンソンコンクール出場や、自分のワンマンコンサートを
開催を多くして行くうちに



自分の履いている((靴))によって姿勢、音、テンションが
全く異なることを実感し、今でも実験中だ。






♪ローヒールの場合

1. 確かにペダルを踏む際には安定するが姿勢が前のめりに落ちる。

2. テンションが上がらない。

3. ローヒールだからと言ってペダルを踏む際に
音(靴の底と床の摩擦音)がならないとは限らない。





♪ハイヒールの場合(10cm以上)

1. 確実に姿勢が上がり、軸が取れる。

2. 筋肉をローヒールよりも使うため腹式呼吸がしやすい

3. テンションが上がり、気持ちがピシッとなる。

4. ステージ袖から客席に出てくる際から姿勢が決まり
 立ち振る舞いが美しくなる





その他


私はまだクリスチャン ルブタン未経験だが
ジミーチュー、シャネル、ヴァレンチノ、セルジオロッシ、ジヴァンシーの
10-12センチのハイヒールでピアノ弾き語りをしてきたが



ハイブランドで値段が張るものであっても
自分との相性や、そのヒールとピアノペダルとの相性も
あると思う。


残念ながらヴァレンチノはどこの会場でも
ペダルを踏む際に余計な音が出てしまい気になり
集中が出来なくなってしまった事態が起きた。



そのハイヒールが悪いわけではなく
ペダルとの相性、床との相性、私のペダル癖には合わないと
判断し、コンサート用ではなく外出用に下ろした。




そして演奏家はプロでも誰だって緊張する。
それを見せないのがプロだが

楽屋で、ご挨拶の場で、
自分の心と身体にしっくりくるハイヒールは

緊張を高めるよりも
自分への自信と、安定をパートナーとなって
静かにプレゼントしてくれるのだ。






と言っても、私は勉強中の身であり
まだまだなのだが



今までパリで、日本で経験してきたハイヒールを履いての
コンサートの感覚は全て財産であり


今後への序章であり道しるべとなる。





音楽とハイヒールについての関係性は
本当にまだ書き足りないので、また改めて綴る予定です。






今、思うのはこれからよりハイヒールを歩き方を学び
その恩恵を音楽に活かしたら


私の音楽は進化し、良い方向へ行くだろうということだ。




自動車の運転を知らない人が
自動車を運転したら危険のように
ハイヒールも同じことが言えるのであろう。




ハイヒールの履き方、身体の使い方を知らない方は
ハイヒールを履いたらどうなるか、ということだ。



ハイヒールの深みを学ぶ。
それは人体学、解剖生理学を学び

人生と、己を学ぶのだ。




今、より自分らしい健康と音楽人生を
私は選んで行くのだ。





ハイヒールは
素晴らしい。








長い文を読んで下さり
どうも有難うございます。




Amitié.




Le son de la Mer
海音















    



2018年10月9日火曜日

美しく生きる覚悟



















それは
まるで地平線のような心である。

どこまで行っても



嵐も
台風も
吹雪も
快晴も
夕暮れも
雨も

如何様であっても変わらぬ「地平線」であること。


私の故郷にある海、三陸海岸の美しい地平線を想う。








また、それは
まるで自分が生まれる前から持っている右手のネジを
自分の左の乳房(心臓)に

こころよく捩じ込むことが出来る時期である



出来ない時期は
こころよく捩じ込むことが出来ないので
血がにじみ出たり、しっくりとネジが入らないのである。











Vivaldi(ヴィヴァルディ)の

「Vespri Solenni per la festa dell'Assunzione di Maria Vergine」
(聖母マリアの昇天の祝日のための厳粛な挽課)


陽気に猛暑のパリで聴いていた私の様だ。
(始めは陽気だが途中から非常にシビアに重くなるのが好きだ
 48分以降の方が一般的に聴きやすいだろう)



Vivaldiはこちら(かなり長いです、秋の夜長にどうぞ)







出産の臨月まで一人でいることを選び
陽気な孤独の中で

担当医のドクトルのロワールの別荘で過ごしたり
パリで自分らしく娘を出産する1週間前までピアノを教えていた。





それは美しく「生きた」覚悟であった。









今はどうであろう。






そういうのは暫く忘れていたと申しましょうか。
また忘れていないと辛かったのであります。






ただ黙々と自分を見つめ
黙々と自分を大切にし
黙々と青や紫の花々を眺めること





今日は沈黙の中に朝から用事があり
その中にいたので


ブツブツと自分の弱さや煩悩が膿の様に出てくる。




























帰りに少し甘いものを飲み、バラとケイトウの花に出逢った。




私は花の様な人が好きなのです。



最近も教会でそのよふな方に出逢ったのですが。











「美しく生きる覚悟」







それは




自分を花だと思い
大切に水を与え、一心に太陽や月に向かい
美しく向上するのみであります。



他は、見ません。






それ以外はありませぬ。






小さい頃に見た、鬼百合や山百合が大好きで
誰にも見られないのにも関わらず



気高く、自分を命の限りに表現し、媚びない。



それは昔オーストリアの山間にひっそりと咲いていた
人知れず咲いて枯れてゆくエーデルワイスに似ていると思った。






しかし
私は人間であり表現者であるので
これからもっと人前に出てゆくでしょう。



地下鉄で揺れる、花束では終われないのです。






今まで出逢った美しい花々に感謝。
















娘もこの世に咲く小さな花です。

どのよふな、花になるのかは知りませんけれど。






2018年10月5日金曜日






天気予報もニュースも見たり聴いたりしないので
世の中の流れがわからない。



それよりも己の「心の流れ」をわかっている方が、よっぽど良い。



聖書にも「世の調子に合わせて生きることなかれ」とある。
(新約聖書   ローマ人への手紙12章1,2節)




そこは人それぞれの価値観なので違いはあれど


「人」に合わせて生きて来なかった積み重ねの結果が
今の私である。






叶姉妹も言っていたが

「あなたのことをKY(空気が読めない人)と言う人がいたら
 今すぐ、その人の前から立ち去りなさい(人に合わせる必要がない)」と。

それを読んで「うふふ」と嬉しくなった記憶がある。







「美」に例えたらどうであろう?


誰か有名な音楽家の言葉で


「美とは目の前にあるものではない。
 あなたの目の中(心の中)にあるものを言う」と。





今朝、無造作に育てている青い花が15個も咲いた。
娘と小雨の中、数を数えて小さく喜んだ。





チューリップのよふな真っ赤な傘に、使い古した麦わら帽子
スペインの夜闇色のような青いコートと、ハイヒール。


一見、ちぐはぐに見えるが
私は、それが好き。

バックに流れるのは小雨の音。


娘は小鬼みたいな風貌でいる。




二人で青い花を覗き込むものだから
青い花たちは困惑しただろう。








日常の中の砂の様な時間だが
私はこういう時間を覚えていたい。



優しくも、目に突き刺さる光景は
いづれ自分に孕み(はらみ)続け

やがて自分の広い「心の苑(庭園)」となる。



それは美しい唯一の命の血潮となり
巡り続けるのであろう。









☆ところでヴァレンチノのスタッズバレリーナ(フラット)を
手放そうと思う。意識が下がり猫背になるから。笑



読んで下さり、どうも有難うございます。



Le son de la Mer  海音




☆お写真 昔パリの古道具屋で購入した蝶の標本。割れても嬉しい。


















2018年10月1日月曜日

音楽レッスン内容

Il est actuellement réglé.

Veuillez patienter pendant un certain temps.

調整中につきもう暫くお待ち下さいませ。





風船とピアノ。

音楽レッスン コンセプト

Il est actuellement réglé.

Veuillez patienter pendant un certain temps.

調整中につきもう暫くお待ち下さいませ。




ワサビの花とピアノ。




音楽レッスン料金(フランス語シャンソン、ピアノ)

注)音楽レッスンは2018年11月以降になります

(後日改めてご報告いたします)




〜フランス語シャンソンレッスン〜

基本1時間 5,000円

月2回 8,000円(1回 4,000円)

月4回 14,000円(1回 3,500円)

オプション フランス語でのレッスン可能



      ☆
 


〜ピアノレッスン(フランス語可能)〜

基本1時間 7,000円

月2回 12,000円(1回 6,000円)

月4回 16,000円(1回 4,000円)

オプション フランス語でのレッスン可能

幼児、子供へのレッスンは現在調整中。






わたしの物語



例えば、健康な身体ではないと何も出来ないと言うが

健康な身体でも「心」を無視して働き続けたり、嘘の微笑みを繰り返せば

病んでゆくだろう。





この5年間と少し、わたしは全くそのよふで、疲れてしまったのだ。



だから生き方を変えたのだ。





元々書道の家に生まれ物心着く以前より芸術の世界に身をおき

表現することが全てであり
美しいと思う己の独特の感性を死守して来た。

耽美、退廃美はわたしを作り上げたと言っても過言ではないだろう。





しかし先ほどにも綴ったよふに
母国に戻って来てから、疲れてしまったのだ。



我慢ばかりして来た結果、心身ともに。








私はこのブログが好きだ。

2009年からパリで綴っていたのがこのブログスポットだったこともあり
シンプルでスッキリしていて良い。



ASAMI  PARIS  代表ASAMIさんのご助言で
久しぶりにブログを作る楽しみが増え


Radio Classique(フランス語のラジオ番組の一つ)を静かに流しながら
ブログを綴る。




昔のパリの生活と全く同じで
懐かしい馨がどこからか漂よってくる気がする。



しかしあの頃の独身時代も16区のアパルトマンも、
友人も当時の恋人も師匠も

どこかへ旅立ってしまった。




厭、わたしも旅立ったのだ。




昔のことは自分の名もない、のっぺらな墓の前で夜な夜な
一人で踊っているに等しい。

拍手をしてくれるのはカラスと墓場の看守だけだ。



(パリの雨糸譜はそれでも気に入っているブログであるので残してある)





これから綴ってゆこうか。
「美」と「わたし」がどう生きたいか?


「ハイヒール」とともに。


その美とはなんぞや。








はっきり言うと日本にいて心狭苦しくなる。
それは今に始まったことではなく
小学の頃からどうやって今の環境から飛び出そうか考えていた。



逃げることも、卒業することも、離れることも、辞めることも悪くない。




だからわたしはいつも「風」のように「猫」のように気まぐれでいる。
どこの国にも人にも道にも所属しない。




戻ってくる場所は誰のところでもなく




自分といふ「芯」であり「軸の鼓動」であれば良いと思っている。






あなたに心の奥からの感謝、そして友愛を込めて。

Je vous remercie du fond du cœur et amitié.





〜⭐︎〜 

P.s-1 今日のお写真 愛猫のミロンガと。フランスから連れて来た16歳のムッシュ。