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2019年4月29日月曜日

ASAMI-PARISのハイヒール コンサルティングを終えて -闇の歌は、光と友達です-


闇は星々や月が友達です。

誰か寂しい人がいたら

闇は、その友達と相談をして

静かに優しく光を、永劫に漆黒を貫き通すが

くべてあげるのです。







よく、言われます。

私は小さい頃から恵まれた環境に生まれ
賞を沢山受賞して
パリにも留学し
ピアニスト資格も取り
シャンソンのプロにもなった
子供にも恵まれ
音楽活動をして
小さな一軒家に住み
....




羨ましい!と。



本当にそう思うのか?


そう、確かに私は強運であり、努力家であり....




勝手な想像力で人を作り上げるのは、辞めたまえ。






誰だってそうなのだ。
コンプレックスの塊である己を歌うのは、歌いやすい。
人は堕ちた歌が、悲壮歌が歌いやすい。

しかし「現」として人前に己を晒(さら)すのは
どれだけ、どれだけ、心が引き千切られる様になるのかを。
自分を愛していない人は特にそう、感じるだろう。








今夜、遅い時間にASAMIさんとの時間に幕が下りた。
本当は降りないで欲しかった。
しかし、いつまでも同じ季節はつづかない。



コンサルを始めた9月末は
久々の
パリの里帰りから娘と東京に戻り
コーチを目指すどころか、2011年にASAMIさんからご指導されていた時の
「感覚」

それが思い出せない。

気持ちも、ぐちゃぐちゃ。




今だからこそ、言えるが

追い討ちをかける様に
パリに行く直前にゲリラ豪雨の雷で
家の天井や壁や電灯の多くが落下してしまいボロボロの部屋でコンサルを始めた。
(仕事道具であるフランスから持ち帰った
グランドピアノとハープだけは難を逃れた)

家の中を見渡しては、ため息を吐きながら
....以前、履いていたジミーチューのハイヒールを
5年ぶりに引っ張り出して
フラフラと履き、ASAMIさんの前に現れていたと思う。





7ヶ月は流れ星より早かったと思う。

ASAMIさんの厳しさに、負けん気の私は
「なにくそ、なにくそ!」と思い「自分なりに」立ち向かってきたが
惨敗しっぱなしだった。


まるで口角は上がっているのに、「廃人の歌」でも歌いながら(笑)
喰い付いている様でしかない。
当たり前だ。




以前も少し触れたが

仕事や育児に疲れて
うたた寝してしまい、ASAMIさんの電話で目が覚める始末

お付き合いの飲み会の帰りに
お酒が入ったままでのレッスン

ハイヒールから程遠い土地での仕事で
全く、身体の軸が無くなってしまった時のレッスン。



ASAMIさんは糸も変わらず
いつものまま、真摯に厳しく、向き合って下さった。







....







日本に来てから、目標をなくし
自分をも偽って
自分に見合わない音楽以外の仕事を毎日こなし
シングルマザーでいる日びは
タコの紐が切れてしまった、タコの様だった。


自分と言う「プロ」を辞めざるを得ない状況から逃れられなった。





そこに、本当に久々にASAMIさんの眼差しと精神が
鉄線の火花の様に入って来た。







  ASAMIさんに出逢った頃の2011年の私
    震災の慰問として日本各地でコンサートを行った(こちらは地元 岩手)



    最近、沖縄で出逢ったギニアと日本のハーフの女の子。
    アフリカンダンスの時。本当に愛らしく可愛い。





コンサルを終えて
私は、日本の女性の皆さんにお伝えしたいことがある。



それは、もう自分を解放して下さい。
そして、もっとこれから自由になって下さい。



8cmでも、12cmでも、15cmでも
ハイヒールを
お履きになられて歩きたいのであれば
そうしましょう。




アラフォーとかアラサーとかアラフィフとか
ご自分を区切るのは辞めませんか?
(日本はジャンルをつけて色眼鏡で相手を見るのが本当にお得意)




実は私はひどく、潔癖や、コンプレックスで
ミニスカートはもう一生履く事はないと思っていました。

コンプレックスのあまり
凄い若い時から
自分の足に大きなメスを入れて、人体実験や
脂肪を溶かす注射を全身に施したり
病的なくらいでした。
(顔とか整形はしておりませんが)


小さい頃から、もっと、もっと出来る、いつも1位を目指し
しかし、反対にはデブ、ブス、大根足と言われ
もう逃げ場がなかった時代があります。


はっきり言うと常に心は爆発寸前で
岡本太郎が大好きだけど
黙って口だけ笑っているタイプでした。





だからね、私は言いたいのです。

どんな体でも、いいから
ハイヒールをお履きになりたければ
是非、履きましょう、履いてみませんか?


ミニスカートをお履きになりたければ
何歳であろうと履いてみませんか?


ただ、心をそう決めたのなら
一緒に
第一歩を、歩みませんか?と。




何故なら
私はASAMIさんのコンサルを受けて
履きたいハイヒールも
纏いたかったミニのワンピースも

人生で初めて、選べる自信や
己の解放ができる様になったからです。






最後に

以前、パリで最後に住んでいたアパルトマンの近くに
マリアカラスが孤独に晩年住んでいたアパルトマンがあり
いつも、ピアノのお生徒さんの家からの帰りや
コンセルヴァトワールからの帰りに
彼女のいたお部屋を、眺めていた。

ああ、彼女も孤独だったのだな。
だったら
私もやっていけるな、と。

彼女とは桁違いなくらいの、自分かもしれないけれど

また、一からやって行けるな、と。


その時々を思い出し


静かに始動してゆくのです、人生は。







ASAMIさんへ、限りない愛とともに。

いつも読んで下さる皆様へ

笑顔を込めて。





私は出来るのであれば
本当は全てに女性に寄り添いたいです。

出来る限りですが
音楽家としても、ハイヒールコーチとしても。




それは
誰にも言えないことばかりの人生を過ごして来たからです。



闇の歌は、光と友達です。





***
Le son de la Merのハイヒールレッスン
および音楽レッスン(ピアノ、仏語シャンソン)
5月15日(月)より始めさせていただきます。

近日中より、募集を開始いたします。
Blogの右側にある連絡フォームより
ご予約、お問い合わせを受け付け承ります
***





Amitié





Le son de la Mer
海音






2019年4月23日火曜日

この世を忘れて、花になる






プロとは何だろう、そう描く時に浮かんで来たのは

楽しむ事よりも、夢中でやっている「何か」。

夢中でやっていると「楽しい」とか「辛い」とか思わぬものだ。


私は2歳半から書道家の祖母に書道を学び、4歳頃から音楽を始めた。
時間の流れは、こうだ。
遊ぶことは無いのだ。
何故なら、ずっと書きっぱなし、弾きっぱなしなのだから。

そう過ごすことが実は遊びだったのかもしれない。



しかし、やがてコンクールや大会が入ってくると
そうも行かない時がある。

純粋に何かをやっていても大人の事情で
捻じ曲げられる結果を目の前にする。

僻み(ひがみ)が妬みは、どこの世界にも、どこの国にもある。
何せ、私たちは人間なのだから。


以前、ブログでの綴ったが私には欠けている感情がある。
それは「嫉妬や、焼きもち」と言うもの。

あまり人に興味がないので湧かない感情だ。
唯一、私が子供の頃に嫉妬をしたのはすぐ下の弟のみだ。

非常に体が弱く、非常に頭が良かったからだ。

私は常に元気で、非常に努力家だったからだ。



話は戻るが、身内が亡くなっても
日本には一切、戻らなかった。
優先すべきことは音楽である事と分かっていたし
亡くなって行った身内の親愛なる人々は
私が反対にお葬式に出ないことを「私らしい」と喜んでいたに違いない。

そう、私は知っているし、他の選択は無い。
プロとして生きる道筋として。





       




書道も、ピアノも幼少期からのものであるが
ハイヒールは昨年の秋からである。

「指導する側」には責任がある。

ピアノ講師はパリで7年程やっていたが
プレイヤー気質の私にとっては「教えること」に興味があまり無く
初めのうちは精神的に厳しく感じた。

そうは言うものの、7年間もフランス語で指導出来たのは
どうしてだったのかと考える。



先日、ハイヒールのモニターレッスンを有難く行った。
必死すぎて、あっという間に2時間は過ぎてしまい
終焉後に

「ああ、あそこは断然にこういう風に注意を促すべきだった」

「教えることに必死過ぎて肝心な所に焦点が行っていない。」

「(私の)言葉と脳が繋がっていない」

.....などと
目を瞑ると沢山の反省が、泉の様に湧き上がって来た。

情熱はあっても良いが、もっと的を得た「情熱」をすべきだ。





何事に於いても「やればやるほど、奥が深い。」
学びに終わりがないように

「もっと自分は出来るのではないか?」
「もっと自分は惜しみなく出来たのではないか?」と思ってくる。




プロはわかる。プロに近づけば、分かってくる。

自分が
どのくらいの力を持っているか。出来るのかを。


まだまだ私はハイヒールを教えるに当たり
旅の途中で、階段を美しく上がりながらも
満ち満ちていないレヴェルである。



クライアントが「心から、変わりたい」
そうであれば、生半可な教え方ではどうにもならない。

クライアントが「心から、変わりたい」のであれば
己も「心から、変わる」ことをせねば。



(音楽レッスンの例え)
子供ならまだしも、親に習い事を嫌々させられて
2,3ヶ月も同じ曲をダラダラと練習もせずに持ってくる。
これは仕方ない。よくあるパターンだ。

そうなるとこちらも、もう情熱的には注意をしなくなる。
何ごともそうだが、何も言われなくなったら、もうお終いだ。



しかし、ハイヒールレッスンを受講されたい方は
殆どが「自分の意思」で学び始め、安くはないお月謝を払う。




このブログの初めに綴った
「プレイヤー気質の私が何故
ピアノ講師としてフランス語で教えられたか」



それは、音楽の喜びや楽しみを教える小さな伝道者として
美しさや、豊満な色彩の世界を分かち合える音楽の旅人として
きっと誰かに音楽を伝えたくなったのだろう。



だとしたら、ハイヒールコーチとしてならば

女性の特権として、優美さ、美しさ、楽しさ、誇り、しなやかさ
まどろみの中には無い「現実の女性」としての「姿」にある生命の
美しさをより確立させるものとして、私は「これからの女性」と共に
美しい足跡を作って行きたのかもしれない。





足跡とは、いづれ消えて無くなるものだ。

だからこそ、諸行無常の中で「どれだけ美しく」自分の人生を歩めたか。



それを、女性はハイヒールで描くことが出来る唯一の生き物である。


そのプロを目指すとはモンブランの山よりも厳しい気もするが
ある意味、生きている「価値」を試される事とと言えよう。




プロとは夢中で地獄を歩き
いづれ立ち止まった時に天国を見る伝道者であろうか。



Amitié



Le son de la Mer
海音





        

2019年4月12日金曜日

唇に、赤い歌を乗せる


                影遊び



赤い口紅をつけることは、コンサートの時か撮影の時のみだった。

しかし、先日のモニターレッスンの際は忘れていたが

赤い口紅をつけていたことをASAMIさんが教えて下さり

あゝ、そうだった...か。と朧げに記憶を心に映した。

一生懸命過ぎたのと、娘の体調があまりに酷かったので

自分が何色の口紅を乗せたのか憶えていなかった。

もしくは
そういう時だからこそ「赤い口紅」を無意識に選んでいたのか。



そして普段の生活から赤い口紅を乗せることは
また新たな未来を描くことになりそうだ。


以前、真っ赤な髪の毛にしたり、真っ赤なコートを纏っていた。
今は自分も進化し、もう、そうではない。


そうか、だったら

唇に赤い歌を乗せればいい。



普段、口紅は青いベージュや青いピンクしか乗せなかった。



以前、私の目を赤色と青色で描いてくれた画家がいた。
だから
どちらでも良いのだ。

選択は。



1日の質を上げる「選択」をすると言う事。





そうそう、先日、娘の入学式でブルタンのオープントゥの
ハイヒールを履こうと思っていたが
あいにくの大雨で、泣く泣く数年前に履いていた
ベーシックなパンプスに変更することにした。

心の中ではルブタンやジミーチュウよりもヒールが低いし
当時は吸い付くように、自分にとっては履き心地の良い
ハイヒールであったので
久しぶりでも大丈夫であろうと思ったのが最後。


本当に久々に、酷い靴づれになり
我慢出来ぬほどに...皮が大きく深く刳れていた。

ASAMIさんとのハイヒールレッスン時にも支障がある為
ハイヒールを履いてのウォーキングはASAMIさんのお計らいで
女性の性のストレッチに変更をして貰った程であった。

それ位、痛みをかばってしまう自分を分かっていたので
本当に的確なASAMIさんの変更が天国に感じて仕方なかった。



ASAMIさんが仰ったこと、それが
「もう波動が違いすぎるのですよ。」


確かに。

その靴づれを起こしたハイヒールパンプスは
お値段もお手頃、ヒールも7-8cm、形の無難
メゾンではなく
国産の女性アパレルメーカーから出ている物であった。



そうか。
あの頃の自分ではもうないのだから
あの頃の「波動」のハイヒールを履いていたら
それは靴づれになるのだな。


当たり前なのだな。


今はもう、違うのだもの。




「波動」や「質」とは
この「日常」から選ぶもので全てが変わってくる。


かつて、数年前はこのパンプスが己にとって
一番履き心地が良く、気に入っていた。

しかし、今は、私の足を引っ張るものとなっていた。



それは、ふと思えば
人間関係もそういう時があるだろう。




全ては同じで繋がってるいる。




潔く、そのパンプスを手放し
私は新しい外用のルブタンを迎えたいと思うようになった。



赤い薔薇の歌を、唇に。

今の私の呼吸を、足先に。




心軽やかに
明日はどこかへ探しに行こうか。



春だ、春だから。





Amitié





Le son de la Mer
海音







2019年4月9日火曜日

靴と、子どもと、老子(モニターレッスン後に蘇る思い)



               近所の川
   
    














このブログを綴る前に祈りたい事がある。

それはある小さな少年の事だ。

先日、娘の新しい運動靴を靴屋さんへ購入しに行った際に
あまりに酷い光景と言葉を見た。

きっと、その母親は家でもその少年に罵声と虐待をしているであろうと
直感で感じた。

この靴が欲しい、これは?と持ってくる少年に母親は

「高いんだよっ!うちには金がないんだよっ!」云々叫ぶ母親。


この母親、特別ではない。
何故なら、昔の私もそうなりそうだったから。

少年の姿を私は見ていられなかった。

それからずっと少年のことを思い出し
その子が豊かで笑顔のこれからを想像し
明るい顔で母親といることを描きながら夜空を仰いだ。



そしてお金が無いと言いながら、子供達よりふくよかな体格。
これはもう自己管理が出来てない
だらしないものだった。

子供に泣け無しの量でも多く分け与えていたら
そんなことに、ならないであろう。

気が遠くなる瞬間だった。


娘も新しい靴を試して、一生懸命に履いている最中に
その罵倒する声を、驚いた顔で聞いていた。

私は見せたくなく、聞かせたく無かった。



子供に欲しい、履きたい運動靴を購入する。
しかし色々、どの家庭でも事情がある。


ただ
私は娘が欲しい靴や、運動靴を小さなうちは
いつまでも買ってあげれる親でいたいと思った。

その光景が私に見せた、ある見知らぬ親子の映像は
きっと色々な意味が心に流れ、とめどなく心をえぐられた。


その幼い少年が、今夜ゆっくり眠れているように
小さく祈るのだった。










先週の土曜日にモニターレッスンを行った。

実はその二日目から娘の体調が崩れ、39度のまま下がらなかった。
しかしモニターレッスンの時間は迫って来た。

当日は復習や、確認をする余裕が無かった。
モニターレッスンの前後に小児科に連れて行ったからだ。

こう言う時は、よくある。
本業の音楽にさえ、100練習していても
本番直前にアクシデントや、如何しようも無い事が。




そう時は、あきらめる。

老子が昔、語ったはずだ。


「あきらめよう、そうしたら上手く行く。」



もがく程、苦しい。

あとは呼吸を整えてその時をお迎えする。
もう、そうしようと決めたのだった。




モニターレッスンの最中は、回数を誤ってお伝えしたり
モニターの全身のバランスをあまり多く見れず
伝えきれない注意点が沢山あったことが
レッスン後も私の心の蟠り(わだかまり)として残った。

しかし、モニターである彼女の上半身は美しく
猫背にも反り腰にもならない軸があった。
これは本当に素晴らしいと思い、思わず何度も

「素晴らしいですね!」と声をかけずにはいられなかった。

私であったら、右か左に傾き、初回は必ず...かなりの猫背であったから。



それにしても、指導することは本当に難儀である。
以前、ヨガのインストラクターの学校に通っていた事があるが
後半でやめてしまった。

何故なら
シンプルに「指導」が自分には持って行けないと感じたからである。



音楽の指導も、より自分が研鑽を積んで行かずして
やっては行けないものだ。


人前で話すことや、表現することは職業上、慣れている。
そしてASAMIさんの「声の哲学」も非常に興味深く
自分に善い探究心を持たせてくれた。

お陰様でより深みのある話仕方を、身に沁みこませている。



だが、本番となった時
たまに緊張から来る、吃る瞬間があった。



そしてモニターさんが
「こんなにも、濃くてハードなレッスンだとは思いませんでした。」と
美しい汗をかきながら真摯に語って下さった事が嬉しかった。





みっちり、2時間
娘の熱が39度であろうと
気持ちを切り替えて、モニターと向かい合えた事だけは
やり遂げたと思った。
(レッスンの内容の細かな指導の良し悪しは別とする。)



やはり、色々な親がいるから
私みたいな親にも、以前はブログを通して誹謗中傷があったが
ただ貫くだけなのだ。

人のことなぞ、言えないではないか。とね。
思う方もいるのでしょうが


だけど、やるしかないですから。





子供にうちにはお金がない!と罵倒するなら
あなたがあなたらしく、働く努力をすべきだから。
甘えるな、と。






お話を戻します。

モニターで来て下さったEさん
またお逢い致しましょう。

自分に多くを気づかせて下さるお時間を
本当に有難うございました。

春風と一緒に尋ねて来て下さり
そして今後の道標を残して下さいました。




心からお礼を申し上げます。





そして、いつもこのブログを読んでくださる皆様にも
感謝を込めて。




Amitié.




Le son de la Mer
海音





2019年4月5日金曜日

新しい自分が、懐かしい(モニターレッスン前夜)







明日は待ちに待った、モニターレッスンの日です。

厭、待ちに待って居なかったと感ずるのです。正直。
早く...嵐のように過ぎ去って欲しい...と呟いていたのも、確かです。


私は何事もエンジンが掛かるのが遅く(ASAMIさんにも言われました)
もしくは、思ったら即行動的な極端な性格なもので

5日前から本格的に取り組み始めました。


一日7-8時間、通しで取り組みました。
集中力にかける為
固形物は食べず、ミネラルウォーターしか口に含まず
睡眠時間もいつもより削り...
最後の一時間ほどは意識が朦朧として
床に座り、目を閉じて、厭、白目をむいて続けました^^;


本来、地獄のようにストイックな人間ですが
日本に帰って来てから(ブログにも沢山綴りましたが)
私は「生き甲斐」が無くなってしまい

心も顔も身体も「ぼんやり」して
一番、自分が好きではないタイプになっておりました。




一つ一つのストレッチやエクササイズに実は夢中になってしまい
時間を忘れて行う始末....
ランニングハイになり、段々とじわじわ夢中に。



ASAMIさんとのハイヒールレッスンやコンサルティングで
一番酷かった思い出は

娘を寝かせて、自分も寝落ちしてしまい
ASAMIさんからの電話で目が覚め、布団から飛び起きる様...

ASAMIさんは私に忍耐を沢山使って下さったのでは...と
頭が上がりません。



子育て、仕事、音楽活動にハイヒールが本格的に人生に入り
やはり産みの苦しみ、とでも言いましょうか
遠慮なく苦しかったです!

しかし、何故ハイヒールに自分が向かうのか?




それは心と身体の進化が、目に見えて分かり
身体の軸が整う度に、心の軸もより強くなり
日びの中で
選択するものが実に、進化して行きました。



そしてプロ音楽家として、今後の舞台のために
表現の彩どりを豊かにし、より美しい自分であるために。




日本は「年齢」で枠を作りたがり
ナンセンスな事を決めたがったりすることが、至極多いですが

ハイヒールで美しく優美に歩くことは
美しい姿勢で過ごすことは
優雅に過ごす事は
何歳になっても実は出来るのです。



その事を、私は自ら体験し始めています。
そして、これからその事を伝える側でもありたいと思います。





娘は0歳の頃から、ASAMIさんと息子さんのPeter君と
一緒に過ごした事があるので、ASAMIさんとの時間をとても理解してくれ
「ママ、がんばってね!」と言い
ハイヒールレッスンとコンサルティングの時間は
違う部屋で、大好きなティンカーベルのDVDを楽しんで観るか
または一人で眠っていてくれました。

小さいながらに私のことを理解して協力をしてくれました。


時に
私のルブタンのハイヒールに、小さな足を入れて
「つま先から!」とか「膝は曲げないんだよね?」と娘が言いながら
歩いている姿は可愛らしいものでした。
(また別の機会にブログに綴ります。)






さて、明日は新しい1日の始まりです。

ASAMIさんをはじめ
Team ASAMIのメンバーの皆さま
そしてハイヒールにご興味がある女性の皆さま

そしてご応募して下さり
今回、お逢い出来ます素敵なモニターさま。


どうぞ宜しくお願い申し上げます。






終わりに


.....この数日で体重が知らずの間に数キロ落ちました。
元に少し戻りました。

顔も引き締まり、心も引き締まり
懐かしい昔の自分を、鏡に映しているようでした。



新しい自分が、懐かしい。



それは「本当の自分」と言うものを
本来、よくよく分かっていたから
懐かしく、新しい気持ちで感じる事が出来ました。




感謝。




Amitié




Le son de la Mer
海音











2019年3月3日日曜日

混沌(カオス)から人生の課題へ



            お気に入り(昔の媒体用)





「仕事においては忘れることが重要。
忘れるために多大な努力もしている。
それは不満があるからではなく
新たなアイディアを探さなければいけないから。
過去を振り返っても何も進まない。」

2016




「私はデザイナーだけど、写真も撮るし本も書いて出版する。
でも自ら“アーティスト”を名乗ることはしない。
自惚れに感じるから。他人からは言われる分には
褒められている様で嬉しいけれど
自分からアーティストと名乗りだしたらおしまい。
すぐにやめたほうがいいと思う。」

2015




「私はいつまで経ってもオーガニズムを感じない
ファッション狂の様なもの」

1984



先日、シャネルの長年のデザイナーであったカール ラガーフェルド氏が
亡くなった際に、彼の残した言葉を読んだ。


感想は言葉にしてしまうと陳腐になってしまうので書かないが
心にずっと忍ばせていたい言葉だ。


はっきり言うと彼の言葉が大好きだ。
全てに、私は頷きたい。



エイジレスで非常にお洒落極まりない
自分のスタイルを最後まで貫く人間は本当に素敵で惚れ惚れします。
(特にこう言う男性は↑....
私のピアノのお師匠さんも90歳過ぎ迄、コーデュロイのスーツを纏い
プジョーを運転しながらパイポをふかしておりました。)



今の時代はカール ラガーフェルドも知らずに「シャネル」を身につける
方々も多くいらっしゃるのだと思いますが(FENDIも手がけております)
それはドビュッシーを知らずに「月の光」を弾いている様なもの。


何にせよ、その「背景」や「時代」を知ることで
もっと作品が面白く魅力的に、愛着が湧いて来ます。



もう今後、彼のデザインしたものは出てこないから
私も少しばかりですが愛用しているシャネルがあり...
本当に大切にしていきたいなと思います。









今日の課題は「ブログの課題」







私はいつの頃からかブログを書かなくなった。

パリにいた頃はよく書いていたが
日本に来てからはそれどころでは無かったなと思う。

非常に自分の価値観と感性で綴るので
自分らしく生きていない時には
書けない。


嘘を付いてでも書こうとは思わない。




ブログとは私に場合、自分のまなざしの「万華鏡」であり「苑」である。

その耽美な苑から共有出来ることがあれば嬉しいが
独り綴りの方が私は好きだ。


作曲をしてレコーディングをしても
私はその自分のCDを聴いたりはしない。

おもむろに興味がない。

過去の作品は私にとり「過去」のそのものだから
耳障りになってしまう。


新しいアイディアを常に感性と言う触覚で
無意識に探しているからだ。

だから自分の昔の音楽はいらないのだ。

(コンサート時や、その練習時は別だが)


だから、上記のラガーフェルドの言葉に至極頷けたり
昔から「忘却」「終焉」と言う言葉を、気持ち良く愛用している。





はっきり言うと、この日本に来てからの6年は一言で
「カオス」そのもの、だった。

何だかもう、良く分からない。



ただ、昨年の夏に大きな別れが2回も続き
自分にとってのエネルギーの限界の極限であった。
そして、そこからまだ這い上がれていない時もある。



そんな最中にASAMIさんとパリで再会し
ハイヒールレッスンとコンサルを受けることにした。

まずは「ブログの立ち上げ」
そして「毎週のブログの課題」


ほぼ、今日まで毎週「ブログの課題」を綴ってきた。


時にギリギリになってしまうことも多くあったが


カオス生活を日本でしていると

「優しく突き付けられる課題」がどれだけ自分を立ち返らせて
奮い立たせてくれただろうと感じる。






「課題」がある人生とはいいものだ。

以前は毎日が音楽の課題だらけだったので
脇目も振らずに自分らしく生きた。



しかし、生活のためだけに必死で稼ぐことになると
私は生きる楽しみも、目標も、課題も
何にも見当たらなくなってしまった。


楽しみといえば、休みの日に家の中でゆっくりすること。




私、有名な音楽家になりたかったんだよね?
演奏会を沢山、やりたかったんだよね?
自分を表現し続けたかったんだよね?


と心の中に
叫ぶ様なヤマビコは木霊(こだま)するけれど
誰も答えは返してはくれない。

最終的には心療内科に通うのが
唯一の安らぎになってしまっていた季節を
誇りにも思わない。






その様な中で、ASAMIさんからの課題は
毎週、小さな階段を一段ずつ登ることを繰り返し
根気強く

「本当は自分がどうしたかったのか、どう生きたかったのか」を

思い出させてくれながら、ハイヒールを美しく履く原理や
筋肉の構造、美しさについて毎週ブログで綴り続けると
自分自身が無意識に全身全霊で、その言葉を自ら
落とし込んでいることに気が付いた。

心の軸も、昨年とは大違いだ。




「継続」ほど強いものはない。

そうすると、また新たな自分が見えてくる。

新たな自分を創造し続けることが出来ると言うことを
学んだ。





もともと、私は自分のペースを崩されるのが厭で
全てにおいて自分のテリトリーに入ってこられるのも厭だ。

厭、厭、の人間だが継続だけはしている。

何故なら、継続は厭ではないからだ。



何への継続か?

美しいと感じるもの「だけ」に対する「継続」である。




ASAMIさんへ

限りない感謝を込めて。





Le son de la Mer
海音








    
            



           枯れた紫陽花。





2019年1月26日土曜日

意雲凌(いうんりょう)








娘が1月からバレエのクラスがベビー科から児童科へ進級した。



まだお腹がポッコリで可愛いながらも
小学生のお姉さん達に必死で着いて行こうと一生懸命な姿が
頼もしい。


クラスが変われば、流れる音楽も変わる。
今日は美しい瑠璃色の小さな玉が、沢山流れているような曲で
ショパンの明るく繊細なエチュードを思い出した。





ぼんやり聴いていると
自分の手がウズウズして、胸が苦しくなった。


私はピアノを昔見たく弾きたいのだ。
毎日ピアノを弾きたいのだ。


自分の内側から湧き出て来る欲求は
泉のように溢れ出て、決して止まることはない。






私は
誰のものでもなく
誰の言うことも聞かない。


心から尊敬している人以外は。



誰の言うことも聞かぬが
自分の心の声だけは、絶対に聞くようにしている。



「違和感」と言うものからは
必ず離れるようにしている。



厭、離れざるを得ない状況になるのだ。

特に去年の夏からそう言う状況になっている。

強制終了的な感じで終焉に向かうのだ。







そうしないと次のステージには行けないから
神様がそう仕向ける。

荒治療だ。





そのお陰で美しく羽ばたける。








後悔は無いが戻りたい時はある。
今が一番のベストだとは分かっていても

パリで音楽と共に生きていた時代。
そして本当に可愛い時期の娘を手放してしまった
空白の時間。
その成長の様子が真近で見れるのならば
唯一、過去に戻りたい。




でも、今、元気であるならば
きっと良いのだろうと思う。




想いはあれど、進化していく自分。
それは止められない。




私は誰にも嫉妬しない。
そして興味がない。



一番興味があるのは自分の音楽だから。










本日のブログの題名は



「意雲凌」(いうんりょう)






パリにいる、ある有名な書道家が
君にこの字を書いて欲しいんだ。と提案してくれた言葉。

君なら、よく書けるだろう。


そんなことを言ってくれたが
タイミングが悪く書くことは無かった。





でも、今なら時間を見つけて「意雲凌」と書いてみたい。

意味は「超越、自分を超えてゆく」と言うことだ。

中国の言葉だそうだ。







昔の私、一年前の私を
今の私はずっと飛び越えている。当たり前のように。


昔の私はいないのだ。







同じではないから
新しい曲が書ける。

同じではないから
新しい歌が歌いたい。

同じではないから
楽しい。

同じではないから
自分らしい。





一年前とは比べものにならない自分が
私は好きだ。





何が違うか。


自分を本当に大切にすることを
多分、素直に実行していると言うことだ。





でも、まだまだだ。




自分を超えることは
自分を何に於いても

信じ続けることなのだ。




それに一年前は「ペタンコ靴」
今では「ルブタンの13cmハイヒール」




筋肉の使い方も、まなざしも、それは違いますよ。
楽なペタンコ靴でいる精神と
難儀なハイヒールを履きこなしたい精神。


ルブタンは、人生の流れに大きく及ぼし
もう二度とペタンコ靴には戻れなくなった。



だから昔の自分はもう、居ないのです。



我ながら、シンプルな答え。







Amitié




Le son de la Mer
海音













2019年1月21日月曜日

明日も履こう、ルブタンを。





先日、ルブタンのクラシックタイプの黒を拝見しに
ランデヴー前にお時間があり、伊勢丹へ行った。


自分のコンサート用にも
今後の生活の中にも紡ぎ上げていきたいと感じている
ルブタンのクラシックタイプ。


しかし、私には葛藤もあった。(ある、の現在形)


私自身の身長は151-152cmで高い方ではない。
コンサート時はどうしてもカッチリしたタキシードや
今後は洒落た燕尾服など(ドレスも然りだが)着る。


そうなると、やはり欲しいのは
「着熟す(きこなす)身長」がある程度、必要であること。

その前に「姿勢」は基本中の基本なのであるが
私の場合はその次にある程度「身長」が必須であるパフォーマンスの
服を着こなす。と言うこと。



これは今に始まった訳では無い「悩み」「考え事」であった。


マレーネ ディートリッヒやシャーロット ランプリング
オスカル(ヴェルサイユの薔薇)が
美しくタキシードを着こなしている姿は絶品であり
何年経っても色褪せない。


私も、そうなりたい。と思い描いたのは
小学生の頃からであった。





話は戻るが「クラシックタイプ」はやはり美しい。
しかし、もう少し贅沢を言えるなら
やはり自分自身には「衣装」を、と考えるのならば
「プラットフォームタイプ」は魅力的だ。


(無論、どちらかだけに拘るのは好きでは無いから
どちらも」愛し....基...どちらにも愛される身体の女性でありたいし
目指すのみです)




伊勢丹のルブタンのスペースに行き
ルブタンという芸術品をゆっくりと眺めて楽しんでいると
目の中に飛び込んできたのが
こちらの桜色の13cmハイヒールだった。












目が離せなくなってしまい
お目当のクラシックタイプの黒とは全く違うタイプに
一目惚れをしてしまったのだ。


自分でも、女心は秋の空だ...と苦笑いしてしまった。





そして、購入。



人生初のルブタンは桜色のハイヒールになった。




家に着き、笑顔でうっとりと...そのルブタンを何度も眺め
そっと足を忍ばせた瞬間に地獄へ行った気持ちになった。



「桜色天国から→地獄へ」はまさにこの通り。




今まで家でスリッパとしても履いていた
ジミー チューのハイヒール(プラットフォーム)がどれだけ
天国であったのか思い知った。



漫画で描けるほどに
四つん這いになり、どんより落ち込み、沈む私である。
笑ってしまう。



足も体も(ついでに心も)震えてしまうくらい
ルブタン13cmに体、筋肉が全くついて行っていない。

その現実を、足を忍ばせてすぐに突きつけられたデビューであった。


強いて言うならば
9月末から始めたASAMIさんのコンサルとハイヒールレッスンを
もう一度、一から始めないといけないのかもしれない...と
独りよがりに絶望がよぎったのも確かであった。




こんなに美しいのに、地獄なんて....!

だからこそ美しいのである!



(己は全くM女(嬢)ではありませんけれど
素直に膝ま着きたくなるのが....唯一のルブタンですね。
他は膝ま着きたく無いです)^^;



その後、ASAMIさんのハイヒールレッスンとコンサルを受けた後に
心に降って来たものは




「私は、今後、このルブタンを履き、人生を歩むのであれば
今まで通りの人生は、このハイヒールにはそぐわない。」

「私自身を改革しなけば、このハイヒールは私を喜ばないであろう」

「しかし、この思いを選ぶのならば、人生はより凛とした深い軸を持ち
素晴らしい「自分の道」を歩むことになるだろう」



と言うことだった。





そしてASAMIさんが仰る通り
ルブタンを履いてしまうと....他のハイヒールが履けなくなる。



それが至極、やっとわかった。


この魔的、魔物的なエネルギーは
人の心も虜にしてしまうほどだ。



だからこそ
ハイヒールの履き方を知らない女性が
このルブタンを履きこなせないことが嫌な程に明確になる。


それは「ルブタンに履かれた女」になってしまうと言うことだ。

可哀想だが、現実だ。





さあ、今日もルブタンを履きます。

震えは、今後のルブタンとの未来へ繋がる感動の震えであろうと思いたい。笑




私は
あまり怖いものがなく、怖じけずかない、生意気な人間だ。

だけど、ルブタンには地獄へ落とされた。

同時に、これからの自分の生き方への「新しい美しい水」を
注いでもらった経験をもらった。





明日も履こう、ルブタンを。








Amitié



Le son de la Mer
海音









2019年1月7日月曜日

ハイヒールで美しくなる









最近はめっきりペタンコ靴やバレリーナを履くことをやめた。



全く物足りないし、何も意識をしないで歩くことは
非常に怠惰な気持ちになる。

上手く言えないがハイヒールを履くと「キリッ」となる。



特に演奏家としていつも腹筋を鍛えたい日常なので
ハイヒールを履くと同時に腹筋まで磨けるのは
他のメリットも踏まえると一石十鳥くらいなるのではないか。


ここでメリット、と書いたが、反対にデメリットはあるのか?

答えはNonです。




巷では腰痛を招く、足が痛くなる、ヒールが高い為転びやすい...etc
ハイヒールにまつわる多くの良くないレッテルが貼られているが

断言するとハイヒールはそういうものではない。


反対にその症状を改善してくれるものである。


要は「正しい歩き方」を知らないと、そうなるのである。






ASAMIさんのハイヒールレッスンを受講し始めてから
自分が良かったなと思うことを3ヶ月間のことを思い出して
ピックアップしてみようと思います。

(順番は重要ではありません)


1. 腹筋、背筋が強化されお腹と背中が確実に頑丈に引き締まった。

私はお酒を飲むので歳を重ねるほどに蓄積されてゆく脂肪に
恐れをなしていたが....ハイヒールのレッスンを受けてから
お気に入りのワンピースもジーンズも出産前のものを
以前よりスルリと着る事が出来ている。
女性としてこんなに嬉しいことはない。




2.足の(脚)の形が変わった。

ハイヒールレッスンでは足裏の親指の根本にある「母指球」と
足の内側の筋肉を至極強化意識する為
足の内側により隙間が出来た。





3.足が浮腫まなくなった。

ピアノに向かうと足が浮腫み、またはお酒を飲んだ翌日も
足が以前は浮腫んでいたが
最近は朝起きてもキリッとした足である。





4. 見られたり、声を掛けられる事が増えた。

これは紛れもなく確実にそう感じます。これは面白く
ハイヒールを履く際は自分に意識を非常に向けるが
(母指球に体重を乗せる事、足さばき、足の甲を伸ばす
足の内側の筋肉を意識、腹筋を引き上げる、デコルテを開く
頭をプッシュする、目線を上げるetc)
そうしながら歩いていると
他の方からの視線をより以前より感じる。

そうして歩いている方の方が少ないからでしょうか?
「猫背、膝を曲げて歩く、携帯電話を見ながら歩く、
靴の音を立てて歩く方が多い日本」では反対に目立つのでしょうね。






5.姿勢が良くなった。

ピアノを弾いたり、書道を幼少期から長時間やっている私の癖は
猫背だったので、姿勢が悪いと色々な方に言われ続けた人生から
卒業する事が出来た。

今は立っていても、座っていても猫背でいる事が気持ち悪いです。
もしくは
どうしようもなく疲れている際に無意識で猫背になっていると
すかさずに「あっ、猫背になっている」と思い姿勢を正します。

以前でしたら「気づく」こともなく...
うつらうつらと過ごしていたので。



「今よりも歳が若くても、老けた姿勢をしていた」と断言できる。






6.所作がより引き立つようになった。

元々、お所作は好きですが姿勢が良くなり
ハイヒールで歩く日常になったら所作もより映えるようになった。

女性は鮮やか、彩どりがある方が華があると思いますので
「姿勢というものは全てに繋がってるいる」と
感じずにはいられません。




7.顔まわりがすっきりしてきた

やはりこれも猫背とは反対に「頭」をプッシュしながら
生活しているので、首の筋肉も常に鍛えられ
デコルテもすっきりします。



8.選ぶお洋服が変わって来た

ASAMIさんが仰るようにタートルネックで
首やデコルテを隠さないこと。

いつも自分の足を意識できるようにスカートを履くこと
要は「自分を隠さないこと」は身体への意識しかり
自分の心にも向き合える大きなチャンスです。

今、現在、自分がどのような姿勢をしているのか
即座にわかる服装が良いですね。

デコルテが美しく見える、二の腕が見える
ウエストラインがわかる、脚のラインがわかる、etc.




9.ハイヒールを履いてピアノに向かうとより腹筋が使えるようになった

ハイヒールを履かずにペタンコ靴でピアノに向かうのと
ハイヒールを履いてピアノに向かうのでは天と地の差で違います。

何が大きく違うのかと言うと
ハイヒールを履いて弾き語りをすると自然に腹筋を使うので
上半身が持ち上がり姿勢が正され
声もより張りのあるものとなっている。

これは私自身の体で実証済みなので
是非、ピアノ演奏をされる方には試して頂きたい想いがある。





10.自分を非常に客観視出来る様になった

何かをやりながらでも並行して「今の自分はどうか?」と
自分に尋ねる事が出来るようになった。





11. 人の態度が違う

よっぽどではない限り、お粗末な態度を取られることは無いが
(ホテルやレストランのレセプションご案内の際など)

ハイヒールを履き、姿勢良く「人」と接すると
より、あちら側のして下さる(ご提供して下さる)ご対応が違う。






12. 目に潤いをプレゼントする貢献が出来る

私自身もそうですが、男性でも女性でも
美しい姿勢で、清楚で、上を向いたまなざしがそこにあるのならば
そう言う方が自分の視界に入ると、心が気持ち良くなり
凛とします。

特にそれに加えて女性はハイヒールを美しく履いている姿は
より心が踊るのも確かであり

美しい姿勢で、ハイヒールを美しく履いている女性は
元気と希望と、心が温かくなります。
心が豊かになります。


「美しい姿勢、美しい歩き方である女性」は
その姿だけでも十分に心へのプレゼントになります。





13. 着膨れしない、すっきりとした女性になれる


ハイヒールを正しい歩き方で履くと
筋肉を使いながら、体全体を駆使して歩くため
そんなに着込まずとも、自家発電で体がポカポカになって来る。

ペタンコ靴を履きながら「寒い、寒い。」と
小走りで猫背になって歩くよりも


ゆっくりと身体を正しく使いながらハイヒールで歩くのは
非常にエレガンスであり、急がずして体がジワジワと温まって来る。




14. 健康になる

ハイヒールを履いて歩く際に

足裏筋肉、腹筋、足の内側筋肉、膝裏をよく伸ばす
骨盤の正しい位置への誘導
お尻の筋肉、腹筋、デコルテを開く、肩甲骨への意識
頭をプッシュする、目線を上げる、

人は上を見ると心も広く快活になり
丸まった身体はしなやかに伸びて行く

まるで草花が生き生きと太陽に向いている様な姿だ。




これは本当にハイヒールの語り尽くせない恩恵である。






この3ヶ月間でこれだけ(これ以上に)感じる事があるのは
なんと素晴らしいことかと嘆きたくなります。


色々まだまだな箇所は私自身も多くあるのですが
根気強く努力を重ねて行きます。





この世に「美しい」「普通」「醜い」の3選択があるならば
間違いなく「美しい」と自分は選ぶだろう。

普通でいいや、なぞ「生ぬるい感覚や、選択」はしない。

しかし「美」は「粋」と同じで
計算された、秘められた、ものがある。

それ無くして「その表現」はあり得ない。

それは音楽でも同じだ。


ショパンをショパンの意図とした解釈を尊敬しながら
自分の霊感やセンス、技巧を駆使して
やっとコンサートなどの人前で披露出来るまでになるのは
何十時間では、はっきり言うと無理だ。

何百時間、何千時間と言う
自分の人生の時間を紡ぎ上げて来た結果の
結晶であり、美しさや煌びやかさが、初めて生まれる。


それは「姿勢」「ハイヒールで美しく歩く」ことも
全て同じで共鳴することだ。






今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


Le son de la Mer
海音






               実家の庭雪と紫式部

2018年12月20日木曜日

ASAMIさんとの出逢い









2011年、出逢った頃のASAMIさん



当時、私は何故かネットサーフィンをしており
ASAMIさんに辿り着いた記憶がある。

瞬間的に

「あ、この方とコンタクトを取りたい。」と直感で思い
隈なくASAMIさんのこれまでの人生のブログを拝見させて頂きました。

それは夏の終わり位だったでしょうか。

そして秋も深まる頃にコンタクトを取った記憶があります。


当時、私は10年以上パリに住み続け
その時に持っていたヴィザをはっきりと労働に切り替えようか
色々考えていた頃で
音楽活動もフランス、日本でまずまず出来ていた頃。

しかし、パリと言う街で
何か物足りなさを感じていたことも確かです。

贅沢ですが
心通う友達も、恋人も、音楽環境も、ありました。

(現在もそうですがフランスの方が友人知人は日本より多いです)





そして時が経ち、ASAMIさんからも、フランスからも離れる時
とても泣いた記憶があります。

私はフランスに居たかった。

日本に帰る覚悟がないまま帰国しました。




そしてまた時が経ち
パリで出産した娘の木も
今や6歳になり、日び二人三脚で生きています。



ピアノのお師匠様が昇天され
やはりまたパリの土を踏みたい、逢いたい人に逢いたいと
娘とパリに里帰りをしたのが9月でした。




そしてまたASAMIさんと再会し
ハイヒールに足指先を美しく入れる生活を再スタート致しました。




前置きがなくなりましたが
私は確実に変わりました。
もとい、進化しました。


高価なメゾンのバレリーナシューズも売り払い


現在はハイヒールとスポーツシューズのみです。
(元々私はスポーツが好きなのでシューズは外せない人生でもあります)



やっと最近、本望に足親指の「母指球」に体重を乗せれる意識が
より強くなってきました。

体のどこを使えば美しいのか、そうではないのか。





電車に乗っている女性の姿勢や
椅子に座りながら膝を広げている姿
スマートフォンを覗き込み猫背になっている姿
道や階段を歩く際に大きな音を立てながらパンプスで歩く姿
内股がカワイイ?と思っている変な女子文化
せっかくのレストランやcafeなのに無言でスマートフォンを見ている
人々。
急いで駆け込む姿。



いつも違和感を感じていましたが
より目につくようになりました。





勿論、そちらにエネルギーを取られることはないのですが
反面教師が溢れている現在のおかしくなって来ている日本に
直面します(勿論、そうではない方もいらっしゃいます)。



そして気持ちの面で、思います。


ハイヒールパンプスのハイヒールは
その履く方の心身そのままを、表していると言うことを。



いつも急いでいる人....パンプスのヒールに皮がめくれている女性。

良いパンプスにも関わらずブランドだけを身につけて
実際に「履きこなせていない」....見栄だけの女性

乱暴に履きすぎてヒールが折れてしまう...女性

若い頃からの癖でO脚になりが外側重心の....まだ可愛くいたい女性






私はどちらかと言うと目標は
ハイヒールパンプスの元々もヒールの様な女性になりたい。
そしてあり続けたいです。


最近、より自分の中心が体で取れる様に少しずつなって来ました。
するとどうでしょう?







私は変わりましたね。



ASAMIさんのハイヒールの哲学に毎日触れ
コンサルティングやハイヒールレッスンで
その哲学を自分の中で咀嚼し、変容し....いる結果



そのハイヒールパンプスの美しく存在するヒールの様に
凛と一本で、そこに在る女性に成るべくして
生き始める様になりました。


ハイヒールのヒールの様に生きたいと言う訳です。



一人の人間と出逢い、自分の人生がより美しく変わって行く。

そんな素晴らしいことがあるでしょうか?



しかし、そう言う方に逢えるのは人生に
ほんのわずかです。


私は今までの人生の中でASAMIさんとの出逢いは
5本の指に入るお方です。



初めは、わー、と思っていても
時間と共に、自分の変化と共に消えてゆく人が多い中
静けさの中で強烈に響く印象を残してゆく人は
そんなにおりません。


そして、大切なもの、たくさん、多く在るほど、人生長くありません。





ASAMIさんに再会させて下さったのは
ピアノのお師匠様とのお別れでした。




しっかり、自分らしく、あなたの人間性を奏でて生きなさいと
最後に残して下さった希望だったと思います。


パンドラの箱に最後に残ったものは
「愛」ではなく「希望」だったことを思います。



どちらも途方もなく深いものです。

どちらでも、最期に残して下さった
静かな愛と希望だったのです。







私は自分の気持ちに素直なので
非常に不器用な人間で損するタイプだと色んな人々に今までも
言われ続けて来ました。





最近、お世話になっているコバシャールさんの言葉に

「損したって、いいじゃない。」

「今の時代、みんな自分が得することだけ考えている。」とあり

あゝ、そうそう。本当にそう思うと感動しました。

他の人から見て「損している」と思われても
自分にとって「得(徳)なこと、自分らしいこと」があります。





話が大分、ずれてしまいましたが





ハイヒールをまた本格歴に学び出し、履き始めたら
自分もハイヒールの様な人間に少しずつなりかけて来た。
(日び一歩、一歩ではあるが)


いつも凛として、細い華奢な一本の軸で生きている。
しかし、その細く華奢な一本の軸は「鋼(ハガネ)」であり
誰も、何も自分を揺らがせることは出来ないほどに強靭である。

ソールの曲線は女性の精神としてのしなやかさ、たおやかさである。




ASAMIさんはおもしろい。

人間を進化させる魔力がある。
魔力と言う名の繊細な洞察力、まなざし、揺るがない強靭精神だ。

どこにもない
一つの花(ASAMIさん)です。





ピアノのお師匠様もそうだった。
だから10年も師事し続けた私の本能がある。


自分も人間が強い性質の類だが
自分に必要な人は必ずいる。





身体の軸と、心の軸が
本来の私へ戻る季節に入った今


この季節で良かった。




以前、フランス人の男性にも
「君は本当に強い人間だよ。」と何度も言われた。

より、今、強くなってゆく。



出逢いは人生を変える、とはこう言うことだ。


これから徐々に、良い方向へ私は人生の舵を取る。


そのための美しい西洋の風はASAMIさんであると。




Amitié


Le son de la Mer
海音







2018年12月1日土曜日

40代で身長が伸びた理由。
















ハイヒールを初めて履いたのはいつだっただろう。


きっと小さい頃のピアノの発表会の時は
2~3cmの物を履いていたのかと思う。





中学2年の頃に濃紺のベロアのハイヒールを手に入れて
誰も見ていない雪解けの頃に履いた記憶がある。


そっと、つま先を入れ
滑らないようにして歩きながら


「何て履きにくいのだろう...」と思っていた自分を今でも思い出す。



それでも、いいなぁ、美しいなぁ、と自分の部屋の中で
そのハイヒールを眺めていたことも思い出す。



それは記憶の中のハイヒールであって
実際は3~5cmくらいのパンプスだったと思う。



それも、そっと爪先から入れた瞬間は
運動靴やローファーしか履いたことがないものだから、
3cm~5cmでも非常に高く感じた気がする。



時が経ち
いつの頃からか、巷で


「ハイヒールは体に悪い」とか「外反母趾になるよ」とか
「身体のバランスが取れなくなるよ」と声が聞こえてくる大人になった。


そして周りの人々にもハイヒールは身体の良くないよ。と
言われるようにもなって行った。




大学時代もハイヒールへの憧れが止まず
夏に初めて購入したのがサンローランの美しいティファニーブルーの
夏用パンプスだった。

今でも良く覚えている。


その後、赤色、黒色、....安室ちゃん世代なので真っ白いロングブーツまで
仕舞いにはヴィヴィアン  ウエストウッドのロッキンホースまで....
(ちなみに髪の毛はボブでミドリや赤と鮮やかで、
 顔じゅうにピアスをしてました)


とても歩きにくくて、辛く、痛い思いをしながら。





(パリ時代初期は友人企画のゴチックパーティーやライブで働いたりも。
 楽しい思い出。)







無論、
ハイヒールを美しく履く歩き方なぞ全くを持って無知である故に
かなり不格好な歩き方をしていたに違いない。
(冷や汗もので、そう思う)


それでも、選び、履いているのだから
歩き方は棚に上げても「ハイヒール」に憧れて好きだったのだろうと
懐かしく感じる。




ハイヒールを不格好に履き続けても
どんなに歩き方がおかしくても、
どんなに高いハイヒールを履いても、

私は外反母趾にはならなかった。

幼少期からスポーツが好きでアイスホッケー、水泳、陸上と
本格的にやりながら、田舎の季節の道を裸足で駆け巡って来たからか?

それはわからないが。



だから「ハイヒールは外反母趾にならない」と私は思っている。

しかし足の親指に力が入らなく(筋肉がなく)
小指に力が流れてしまい、その小指で支えてしまう癖がつくと
外反母趾になるであろう。



要は何でもそうだが「方法」「やり方」「師」が全てだと思う。
本を読んでやり方を頭に入れたところで

「ハイヒールはこう履いて、こう歩けばいいのだな」と思っても
それは意識が弱い。

音楽であっても、同じことが言える。

極論だがピアノを購入したので、コンサートをやります!と
言うのと同じだ。

自動車を購入したので明日から運転します!と
言うのも同じだ。



ハイヒールを履く前に

歩くと言う本当の行為、歩き方、身体のほぐし方、視線、腕の位置、
見つめ方を、総合の細部を知らないのに

どうしてハイヒールが履けようか?



ハイヒールの履き方を知らずして
どうしてハイヒールを美しく履くことが出来るであろう?




そして反対のことも言える。

どうしてハイヒールは体に悪いと言うのであろうか?

その人はハイヒールを履いて体を壊したのだろうか?
外反母趾になったのだろうか?
身体のバランスを崩したのだろうか?



はっきり言っておくが

それはハイヒールのせいでは無く「あなたのどこか」が原因である。




元々、ハイヒールはルイ14世も好んで履いていたもので
美しいものでしかない。


それをハイヒールに原因があると言う方のお言葉は
非常にナンセンス。





ASAMIさんのハイヒールレッスンを受けている最中であるが
レッスンを受ければ、受けるほど身体はしなやかに、強靭に、
健康に、新陳代謝も良くなり、浮腫まなくなった。


そして自分のインナーマッスルはまだまだ甘く
腹筋も背筋も足内側の筋肉も、発展途上であり
「身体を作り上げている」途中である。


現在、私は40代前半でありながら
先日の健康診断では「過去最高の身長」を告げられ
心の中でガッツポーズをしたのだ^^


通常、150cmが私の身長であり、長年そう思っていた。
しかし一ヶ月前に「152,4cm」と看護師さんに言われ驚いた。


それがどうしてか、分かっている。

普段、ASAMIさんに
「腹筋をもっと引き上げて、もっと、もっと行けます!」と言われ続け
視線も意識してあげるようになった。


結果、普通の気持ちで身長を測っても
今まで一番高い「本来の私の身長」になったと言う訳だ。


(裏を返すと....常日頃、どれだけ猫背でいたのかと恐ろしくなる)




人は意識をしていないと老いてゆく。健康でも無くなってゆく。


しかし、進化し続け、身体と心に向き合うならば
より良く年を美しく重ねることが出来る。


最近、本当に身をもってそう感じる。



それは私が昔から体育会系で身体を動かして来たからでも無く
運動神経が良いからでも無く



「ハイヒールを美しく履きたいので、足裏筋肉、インナーマッスルを
 意識して鍛えている最中」であるから。



そして身体を使い、ハイヒールで歩いていると自己発電になり
体が温かくなり、少し汗ばんでくる。


これからの季節により素晴らしいではないか!




「ハイヒールは体に良くないよ」は洗脳だよ。と返したい。

「ハイヒールは美しい場所に連れて行ってくれる、
 素敵な男性に出逢わせてくれる」の前に


「その人を美しく」してくれる。


しかし、
本当の体の動かし方や、歩き方を知っていれば。の話だが。



ハイヒールが本当に体に悪いのであれば
身長が伸びるはずがない。



ハイヒールを履くエクササイズとレッスンを受けている時点で
身長が伸びたのですから。




Amitié



Le son de la Mer
海音














2018年11月26日月曜日

何歳になっても脚のラインは変わる



     
     古代から、昔からあるバラの品種は香りが本当に芳しいです。
     バラに遊びに来る虫たちの気持ちがとても良くわかります。










心にメスを入れても

体にメスを入れてもらっても

最終的には変わらなかった過去が私にはある。

それがどう言うことかは、まだ語るまい。

しかしその痛みと来たら、まるで狂気の沙汰であり

残ったものは、いつもとあまり変わらぬ

わびしい心だけであった。

厭、それがより静かに、えぐられて

ヒシヒシとジワジワと私の精神を優しく蝕んで行った。

そう違いない昔がある。


そのような自分を横目で流しながら

素知らぬ振りをして人生を進むのであった。










今の時代は何でも出来る時代になった。

機械が音楽を作り

お店の出迎えと受付もロボットがする。

あのレジや受付をしていた人はいづこに?

そのような寂しいような....呆気に取られているような時代。





あなたの「身体」は、あなたの「思考」は誰が作ったか?

あなたは機械や、ロボットでは無い限り

安心して良いほど

あなたの「身体」も「思考」もその、あなたが創造している。

しかし厄介なのは、あなたの「癖」だ。



長年のあなたの「癖」で身体が構築され

長年のあなたの「癖」で思考が同じ道筋をゆく。








9月からASAMIさんのコンサルとハイヒールレッスンを受けて
私の脚の形は程なくして変化した。


どのようにして、の過程の前に
綴りたいのは「結果」として。



*脚の内側のラインが引き締まり、隙間の面積が確実に増えた

*私はピアノ練習や作曲で、椅子に座っている時間が長い為
 いつも脚が浮腫んでしまい、少しそれが慢性的になっていたが
 ASAMIさんのハイヒールレッスンを受けるようになり浮腫みが
 確実に減った。

*よって自信も出て来て、膝上のスカートを選ぶようになった。
(そう自分に許可を出来た)






幼い娘のシングルマザーとして、時間管理にはまだまだ課題があり
隙間時間で課題やエクササイズなどをしながら寝落ちしてしまう
現実の中でも、はっきり言うと「結果」が出ていると言う明確さ。




それほど、ASAMIさんは容赦ない。

そして
それに這い蹲ってでも、ぶら下がってでも付いて行く。

何だか自分が分からなくなる時も有るが
(表現が乏しくて申し訳ない)

「結果」、いわゆる、「脚のラインが変わった」

その、事実だ。






脚のラインを見ていると嬉しくなる。
何故なら、以前と違うからだ。
まだASAMIさんに付いて2ヶ月だと言うのに。
(パリ時代にもASAMIさんのサロンへ通っていたが
今に比べては全く甘い精神で私は受けていたと痛感する)





人はいづれ死ぬのだ。
しかし、生きている間には「特権」が有る。

それは



いくらでも、幾つになっても肉体がこの世とこの手にあるうちは
心も体も変えることが出来る、と言うこと。



人生をより美しい「ライン」へ導いて行くことが出来ると言うこと。


姿勢を美しく保つことは
ハイヒールで美しく歩くことは
意識、努力、意志が根気強く必要だ。



人は弱い生き物だから

本来、ネガティヴに思考することが楽な為、そうして見たり
今まで慣れ親しんで来た(笑)猫背に「意識」をしないと
簡単に戻ってしまう。


口かどを「だらん」とへの字にしているよりも
上げる方が筋肉をかなり使うが、全ては意識である。











.....余談であるが以前、少しお世話になっていたインド人大富豪の方が

「人生のブレイクスルーに一番必要なのは、

 断然「意識」をすることです」と


口を酸っぱくして仰っていたことを思い出す。

彼の口からは「意識しなさい」しか出てこなかった記憶がある。

ピアノのお師匠さんもそうだった。





では、
何歳になっても脚のラインを変えることが出来る「鍵」は何だろうか?



それは脚の親指の付け根にある「母指球」である。

そこを見つけるのは誰にでも易しい。

しかし
「母指球」をものにするのは「意識」と「努力」しかないのである。




「母指球」は誰にでもある。

では、使わない人生は全くを持って...勿体無いではないか。
使って美しくなれるのならば、使うしかない。




しかし、多くの女性はまだまだ使っていないであろう。
「母指球」を使いこなせるようになった時


厭、「意識」を、し始める人生を選んだ時から
その方の醸し出すエネルギー値は変化して行く。



私はまだその途中段階であり、発見途上の身ではあるが
ASAMIさんのご指導の元で
全ては変わりだした。



「母指球」は繋がっている。

脚の内側の筋肉に、骨盤を支えている深層筋(インナーマッスル)に、
腹筋、背筋、肩甲骨、その周りの筋肉....首の筋肉、デコルテ、
視線、頭の先、まで繋がっている。



ここで、もう答えは出ている筈だ。




日本人特有の「内股」に加えて
現代病のスマートフォン使用から来る猫背。



スマートフォンへの意識を、全て「母指球」意識に
シフトチェンジすることを自信を持って、お勧めする。



そうすれば、より良い人生が送れることは間違いない。




そう、昔のうずくまっている私に
本当は語りかけてあげたい。




Amitié





Le son de la Mer
海音