2018年12月31日月曜日

音楽教育と娘(トゥーランドット 誰も寝てはならぬ)












































まずは今日で今年も終焉の日になり
門松を眺めながら、日本のこういう厳かで美しい風習は
素敵だなと横目で見ながら年末を過ごしている。


日本らしい年末の独特な空気の中は
一番日本が美しい季節なのではないかと感じずにはいられない。



本来は一年を思い返したりするのだが
今年は自分にとり悲しい別れが複数回あり
あまり思い返したくない心境である。



そんな中で最近のコンサートでも歌っている
プッチーニのオペラ「TURANDOT」より-誰も寝てはならぬ- を
また適度に録画してみましたので
ご興味のある方は見てくださいませ。

トゥーランドットより-誰も寝てはならぬ-

(日本ですとよくフィギアスケート音楽で使われているので
耳にしたことがある音楽だと思います)


もっと改善を図り、より朗々とした演奏が行く行くは出来たらと
思いますので、乞うご期待下さいませ。




娘が思いの外、体調を崩しお互いに寝不足になっていたり
年末に開いている小児科を探して出かけて検査をしたり
久々にバタついた年末だが、私はお陰様で元気である。
(血液クレンジングや水素のお陰かしら^^)



今年は1曲も作曲することが出来ず、インスピレーションが
降りてこなった年だった。

今までで一番ライブをしなかった年でもあった。

来年は自分らしい曲が出来ると良いなと思う。



私は音楽に対して非常に情熱的な人間ではあるが
それ以外はアンニュイで少し冷めている。

そんな音楽人間だが教育に対しては一体どの様な見解を
持っているか、または音楽レッスンについて綴ろうと思う。




パリで7年間ピアノをフランス人とユダヤ人に教えてきたが
面白い2つの法則があることを発見した。


1つ目....初めてお伺いするお宅の玄関と洗面所が汚いお宅は
トラブルが多く、レッスンすっぽかし、長く続かない。

2つ目....どんなに素晴らしいグランドピアノを持っているお宅でも
親が無理に子供に習わせている場合も続かない。



この2つは100%でした。


反対に


風通しの良いお宅で、玄関と洗面所が美しいお宅は
長らくレッスンを懸命に受けて下さる方が殆どでした。


「心」は「家」に繋がってるいると思います。
そして、それは音楽までにも。




基本、私は子供のピアノレッスンは募集してはおりません。
しかし何らかの繋がりやご縁のあるお子様には教えます。

教え方は、間違ってもバイエルやブルグミュラー、ツェルニーを
使っての教え方も致しません。
(どうしても弾きたい、と言う方は別ですが)


これは子供、大人共通です。

何故かと言いますと
それらの教則本は日本独特の音楽教育だからです。

それで競い合うのもつまらないものです。


基礎は「教則本」が無くとも準備出来ますし
まずは「ご自分が弾きたい曲」をご用意頂き
解釈、その曲の時代背景、作曲家のこと、をご一緒に探ります。

そこからです。


1曲の中に、学ぶべき技巧も、センスも、練習も
死ぬほど沢山のすでに入っておりますし
人生は有限ですので「ご自分が弾きたい曲」の中で
多くのニュアンスや技巧を学んで行けば良いだけです。

ただ、難易度が高い大曲などは
段階を踏んでから向き合えば良いのだと思いますので。



「音色」を探すことも特に重要としたい部分です。
音楽家にとり、音色を探し続けることは一生、毎日ですから
生徒さんにも同じことを、深みとして学んで欲しいといつも思います。


そして私のグランドピアノ(ED. SEILER エドワード ザイラー)は
パリで購入し、日本へ持って帰ってきたものです。

第三帝国で作られたドイツ製(ポーランド産)の稀なピアノです。

マホガニーで象牙の美しい小さなピアノで
良き古きドイツの音を楽しんで頂けたらと思います。






少し娘についても綴ろうと思います。

巷では、妊娠すると「モーツァルトやバッハ」が胎教に良いと
されている様です。

hertzの問題もあるのかと思います。

娘を妊娠している最中は
バッハは弾いていましたが、それ以外はプロコフィエフ、リスト、
メシアン、とかなり難儀なリズムと無調な曲もあり
胎教的に微妙なセレクトばかり弾いていました。

毎日練習やピアノの生徒さん宅に教えて行っていました。


娘が生まれてからは左手で抱っこし、右手の練習(その反対も)
オンブしながらハープの練習をしていました。

2歳くらいから私のコンサートにも時々来てくれます。


ただ、私は音楽を彼女に教えたくないので
ピアノやハープを娘が触っていても何も注意しません。

注意するとすれば
手の形、指の形、しっかりと奥まで鍵盤を押す事くらい。


それ以外は厳しくなり過ぎてしまうので教えません。
どうしても音楽を学びたい場合は
お外の先生にお願いするのが良いと思っております。


子供は娘に限らず、本当に可能性が未知ですよね。


以前、名古屋に住んでいた頃に昔ならではのお豆腐屋さんが
「ポー」と言う音とともに道端にやって来ていたのですが

0歳の娘はまだ「あー、うー、まんま」位しか
お喋りが出来ないにも関わらず

「うー」と言ってはお豆腐屋さんの音の同じ「高さ」で
「うー」と言う様になった時は、面白い!音の高さと同じ音声で
言葉を出している、とびっくりしました。


私の歌うフランス語の歌を意味もわからず
先入観なしに覚えて歌っていたり

題名を知らなくとも聴いただけで
「これはチャイコフスキー」と当てます。

どうして?と尋ねると
「なんかわかるよ。踊りたくなるよ。」と言います。


最近、一番驚いたのは....お絵かきをしながら
「ママ、この曲知っているよ。発表会の時に流れていたよ」と
ラジオから流れていた曲をすぐさま当てたのです。

しかもグノーやグリュックのバレエ音楽であり
1度しか聴いていない筈なのに、と驚きました。


別に親バカで行っているわけではありません。
まぁ、親バカでもいいと思っていますけど。


子供は本当に無限の可能性があることに
娘を通して驚かされます。


だから
押し付けてはいけないのです。


そうすると気持ちが歪んで消えてしまう。
(私自身、書道がそうでしたので)

放っておきながら、導いてあげる。




しかし子供にはどう言うピアノレッスンが良いのでしょうね。

それは自分が子供だった頃に「楽しかった」こと
どんな曲で、どんな先生で、どんな感じだったか

それが私の答えです。



無意識で楽しいのが一番です。

子供でも大人でも好きなことはランニングハイになる。

音楽だってそうだった。

でも、練習しなさい、とか言われると気持ちが下がる。



私は小さい時は練習が厭でしたので
自分の世界に入り作曲もどきを、隠れて沢山やっていました。

あとは
今、吹いている風の音、スズメの鳴き声を
ピアノで真似して弾いていた記憶があります。

それが一番楽しかったからです。

今でもモーツァルトを弾くのはあまり興味がなく
作曲している方が楽しいです。





楽しくなくなった時

人は物事からも、人からも離れるのと同じ様に。





子供の目線で、ピアノを子供に伝えられたらと
今後、日本の子供さんとご縁がありましたら

そう教えたい楽しみがあります。
(音楽教育、レッスンに関してはまた続けてブログに綴ります)




良いお年を。



心を込めて。




Le son de la Mer
海音






追伸 これは全くの私の嗜好で趣味ですが何百回と観た
   リリアナ カヴァーニの映画です。
   その中にグリュックのOrphee et Eurydice Dance des Furiesが流れています。
   愛の嵐(The Night Porter








2018年12月24日月曜日

Cadaux de Noël pour vous クリスマスプレゼントです^^














































こんばんは。

クリスマスイヴを如何お過ごしでしょうか?


先ほど、自宅で録音してみました。

いつもお世話になっております皆さまへ
ささやかですが☆クリスマスプレゼント☆です。

もし宜しければお楽しみ下さいませ。




Cantique de Noëlを日本語と原語フランス語で歌っております。
世界では『O Holy Night』で親しまれております。

日本語題名は「さやかに星はきらめき」です。


どうぞ皆様が心穏やかで温かなクリスマスをお過ごしに
なられます様に。

いつも、どうも有難うございます。

心を込めて。


千葉海音

2018年12月20日木曜日

ASAMIさんとの出逢い









2011年、出逢った頃のASAMIさん



当時、私は何故かネットサーフィンをしており
ASAMIさんに辿り着いた記憶がある。

瞬間的に

「あ、この方とコンタクトを取りたい。」と直感で思い
隈なくASAMIさんのこれまでの人生のブログを拝見させて頂きました。

それは夏の終わり位だったでしょうか。

そして秋も深まる頃にコンタクトを取った記憶があります。


当時、私は10年以上パリに住み続け
その時に持っていたヴィザをはっきりと労働に切り替えようか
色々考えていた頃で
音楽活動もフランス、日本でまずまず出来ていた頃。

しかし、パリと言う街で
何か物足りなさを感じていたことも確かです。

贅沢ですが
心通う友達も、恋人も、音楽環境も、ありました。

(現在もそうですがフランスの方が友人知人は日本より多いです)





そして時が経ち、ASAMIさんからも、フランスからも離れる時
とても泣いた記憶があります。

私はフランスに居たかった。

日本に帰る覚悟がないまま帰国しました。




そしてまた時が経ち
パリで出産した娘の木も
今や6歳になり、日び二人三脚で生きています。



ピアノのお師匠様が昇天され
やはりまたパリの土を踏みたい、逢いたい人に逢いたいと
娘とパリに里帰りをしたのが9月でした。




そしてまたASAMIさんと再会し
ハイヒールに足指先を美しく入れる生活を再スタート致しました。




前置きがなくなりましたが
私は確実に変わりました。
もとい、進化しました。


高価なメゾンのバレリーナシューズも売り払い


現在はハイヒールとスポーツシューズのみです。
(元々私はスポーツが好きなのでシューズは外せない人生でもあります)



やっと最近、本望に足親指の「母指球」に体重を乗せれる意識が
より強くなってきました。

体のどこを使えば美しいのか、そうではないのか。





電車に乗っている女性の姿勢や
椅子に座りながら膝を広げている姿
スマートフォンを覗き込み猫背になっている姿
道や階段を歩く際に大きな音を立てながらパンプスで歩く姿
内股がカワイイ?と思っている変な女子文化
せっかくのレストランやcafeなのに無言でスマートフォンを見ている
人々。
急いで駆け込む姿。



いつも違和感を感じていましたが
より目につくようになりました。





勿論、そちらにエネルギーを取られることはないのですが
反面教師が溢れている現在のおかしくなって来ている日本に
直面します(勿論、そうではない方もいらっしゃいます)。



そして気持ちの面で、思います。


ハイヒールパンプスのハイヒールは
その履く方の心身そのままを、表していると言うことを。



いつも急いでいる人....パンプスのヒールに皮がめくれている女性。

良いパンプスにも関わらずブランドだけを身につけて
実際に「履きこなせていない」....見栄だけの女性

乱暴に履きすぎてヒールが折れてしまう...女性

若い頃からの癖でO脚になりが外側重心の....まだ可愛くいたい女性






私はどちらかと言うと目標は
ハイヒールパンプスの元々もヒールの様な女性になりたい。
そしてあり続けたいです。


最近、より自分の中心が体で取れる様に少しずつなって来ました。
するとどうでしょう?







私は変わりましたね。



ASAMIさんのハイヒールの哲学に毎日触れ
コンサルティングやハイヒールレッスンで
その哲学を自分の中で咀嚼し、変容し....いる結果



そのハイヒールパンプスの美しく存在するヒールの様に
凛と一本で、そこに在る女性に成るべくして
生き始める様になりました。


ハイヒールのヒールの様に生きたいと言う訳です。



一人の人間と出逢い、自分の人生がより美しく変わって行く。

そんな素晴らしいことがあるでしょうか?



しかし、そう言う方に逢えるのは人生に
ほんのわずかです。


私は今までの人生の中でASAMIさんとの出逢いは
5本の指に入るお方です。



初めは、わー、と思っていても
時間と共に、自分の変化と共に消えてゆく人が多い中
静けさの中で強烈に響く印象を残してゆく人は
そんなにおりません。


そして、大切なもの、たくさん、多く在るほど、人生長くありません。





ASAMIさんに再会させて下さったのは
ピアノのお師匠様とのお別れでした。




しっかり、自分らしく、あなたの人間性を奏でて生きなさいと
最後に残して下さった希望だったと思います。


パンドラの箱に最後に残ったものは
「愛」ではなく「希望」だったことを思います。



どちらも途方もなく深いものです。

どちらでも、最期に残して下さった
静かな愛と希望だったのです。







私は自分の気持ちに素直なので
非常に不器用な人間で損するタイプだと色んな人々に今までも
言われ続けて来ました。





最近、お世話になっているコバシャールさんの言葉に

「損したって、いいじゃない。」

「今の時代、みんな自分が得することだけ考えている。」とあり

あゝ、そうそう。本当にそう思うと感動しました。

他の人から見て「損している」と思われても
自分にとって「得(徳)なこと、自分らしいこと」があります。





話が大分、ずれてしまいましたが





ハイヒールをまた本格歴に学び出し、履き始めたら
自分もハイヒールの様な人間に少しずつなりかけて来た。
(日び一歩、一歩ではあるが)


いつも凛として、細い華奢な一本の軸で生きている。
しかし、その細く華奢な一本の軸は「鋼(ハガネ)」であり
誰も、何も自分を揺らがせることは出来ないほどに強靭である。

ソールの曲線は女性の精神としてのしなやかさ、たおやかさである。




ASAMIさんはおもしろい。

人間を進化させる魔力がある。
魔力と言う名の繊細な洞察力、まなざし、揺るがない強靭精神だ。

どこにもない
一つの花(ASAMIさん)です。





ピアノのお師匠様もそうだった。
だから10年も師事し続けた私の本能がある。


自分も人間が強い性質の類だが
自分に必要な人は必ずいる。





身体の軸と、心の軸が
本来の私へ戻る季節に入った今


この季節で良かった。




以前、フランス人の男性にも
「君は本当に強い人間だよ。」と何度も言われた。

より、今、強くなってゆく。



出逢いは人生を変える、とはこう言うことだ。


これから徐々に、良い方向へ私は人生の舵を取る。


そのための美しい西洋の風はASAMIさんであると。




Amitié


Le son de la Mer
海音







2018年12月19日水曜日

ひとりごと

















































本当に自分の波動(エネルギー)に合っているならば
全てはスムーズに行っているはずだと思う。



最近は特にそう感じざるを得なくて
冷え冷えとした心持ちでいたり
やんわり穏やかであった気持で居たり
差がある自分を素直に感じる。



それに強く則って生きる。


自分の気持ちを誤魔化さない。

それこそ
己を放棄していることになってしまうからだ。




冬は好きだ。

自分の心がより澄み渡り
本心が曇りなく見えてくるからだ。

余計なエネルギーは使いたくはない。




今年
美しかったことを思い出す。

無論、良いことで感謝の意味の一年であった。






心に正直にしか呼吸が出来ないので
今までの自分がしてきた選択はもうしない。



自分に正直で居たい
自分を大切にしたい。




自分の領域を大切に、守りたいですし
自分らしく
美しく生きるための方法が一番大切です。



例えば他から変に見られても

私は
自分を大切にしたいのです。




Amitié




Le son de la Mer
海音










2018年12月16日日曜日

少女の顔で、老婆の声 其の一








昔、あるお世話になっていた女性のピアノの先生が仰っていた。



「あの子ね、凄く上手で完璧なのよね。誰も太刀打ちできないくらい。

 でもね、演奏がつまらないのよ。恋したことがないのよ。
 
 または男性と付き合ったことがないものだから。

 ピアノ、いいけど、弾く前に恋をしたらいいのだけどね。

 そしたら最強だと思うんだけどなぁ。エクスタシーがないのよ!

 アルゲリッチくらいの顔、あなた知っているでしょ!

 あれくらいの顔、しなきゃ!」←徐々にヒートアップして行く。









機械的な情熱のピアノ演奏はパリでも幾らでも聴いて来た。
尚の事、日本でも。



先を言うと、要は何でも経験なのだと思う。







まぁ、色々な表現法があるので何とも言えないけれど。


私は情熱的に頭や体を振り乱して弾くタイプの人間(演奏家)ではない。
そう言う余計なエネルギーパフォーマンスを避ける傾向がある。

意味がないから。


それに私はエンターテイナーではないから。







小さな頃から師事していた先生方も
そう言うタイプだったのかもしれない。



淡々と、冷え冷えとした姿勢で弾きながらも
音には色彩があり、温かみがある。



非常に落差があるものが好きで、至極、魅力的だ。






ASAMIさんとのハイヒールレッスンも同じことが言えるだろう。

「余計」な動き、意識を入れない。

「焦点」だけに強く強く、意識をする。

非常に芸術的で理に適っている。



いつも
あゝ、理に適い過ぎていると感動します。










ハイヒールの歩き方も
ピアノの弾き方も

色気や性が非常に重要だと思います。


その波の満ち引きがある様に。







リストの超絶技巧練習は以前、私も得意としていましたが
幾らでも「機械的に」「速く」「超人的」に弾くことは
ある程度のピアニストなら出来ると思います。

リスクは腱鞘炎に成りかねない時もありますが。


しかし「人間的に」「冷酷さ」「温もり」「呼吸」「間(ま)」を

または「神の領域」を



どれだけを持って表現できるかが、人間表現力のおもしろみであり
リスナーにも高揚感や幸福感、清閑的、歴史的悲壮感なものを
身体中で感ずることが出来ると思うのです。


当たり前ですが「機械的」「速さ」は初めは面白がられても
果ては、飽きられます。




感覚の問題ですが
パリである有名なヴァイオリニストの演奏を楽しみに聴きに行った時
(私の偏愛するショスタコーヴィッチのプログラム)


解釈とセンスがあまりにも自分の感受性に合わず
その場に居られなくなり
奮発して良いお値段のお席にも関わらず
一部まで我慢し、休憩中に音楽劇場を出てた。


そして、すたこら家に帰ってしまった思い出がある。


(まだOISTRAKH....オイストラフ(私の愛するヴァイオリニスト)
のCDを家で聴いて居た方が幸せだと思い)




愛してやまないショスタコーヴィッチ ヴィオロン コンチェルト op.99 No.1
(笑いもせず、高揚する顔もせず、ぶっきらぼうな相変わらずなお顔)

しかし
ファイナルをこれまでに圧巻、高揚、勝利で奏でるヴァイオリニストが
どこに、いるであろうか?これぞ全くブレない官能だ(私にとって)




多くの演奏家は体を揺らして演奏する方が多いが
オイストラフは動かない、変わらないポーカーフェイス
音楽は高揚しても、自身の体も顔も高揚しない。

しかし音だけは凄まじい人間性の嵐だ。

何年聴いても、それは変わらない。


Shostakovitch violin concerto op.99 No.1 final
☆音が出ますのでお気を付けてください。


(その他、ショスタコに関する音楽を載せようと思ったが
あまりにマニアック過ぎるので割愛させて頂きます)








好み、そこに含まれる「きっかけ、原因」となんぞや?





思うに


「呼吸」と「官能」ではないでしょうか?





前に述べたように
昔、師事して居た女性のピアノの先生が限りなく仰って居たことに
共通すると思います。



人は、そこを求めますね。




しかし「あけらさま」に分かってしまうような呼吸や
官能は滑稽なピエロです。

本人から自然に醸し出される人生、の音とでも言いましょうか。






「呼吸」と「官能」は重なるものがあります。



そして同じくらい「非常に興味のないもの」でもあります。
私にとっては。





ある意味、幾らでも演技が出来てしまうものでもありますから。


非常に忍耐強く、全くつまらないの時間にもなります。






以前パリで、日本で、歌を歌った時に同じ言葉を頂きました。

まだ20代〜30代のシャンソン下積み時代でしたが

「少女の顔で老婆の声の歌手」と。




私は
それで良い、と当時から本望だと思って居ました。

老婆くらい、生きて居たと思うときがあるからです。

多くは語りませんが

当たり前だ!と叫びたくなりました。





生きること全てが音楽でいる自分にとって
「感じる」何かは常に「餌と肥やし」として生きて来ました。





男性にドキッとすることですか?

その人、それぞれで「これ」と言うものはありませんが

色々冷めている部分も多く

美しい雌猫と一緒に過ごす方が幸せだと思うのは
ワガママでしょうか?







私は変態なのです。







官能ない音楽は、ただの「工事現場の機械音」なのです。



官能とは「呼吸」と「血の流れ」とも言いましょうか。

ただ、そこに何かの「軸」がなければ
かつて生まれなかったものだと
産み出せないものだと思うのです。



その人が孕んで来た
人の道




所謂、「脈」でしょうか。






Amitié




Le son de la Mer
海音









2018年12月14日金曜日

あなた、髪を切らなくて良いから








































髪に魂があり、髪に心がある
頭皮は美の源泉であり、女の生命である。



髪は神への架け橋であるから、多くて長いのが結構である。
美術家などが髪を長くすることは、まことに理由があることで
これでなければ芸術的なよい想いはうかびにくい。

インスピレーションと言うのは、神からの内流である。

頭髪だけは毛といわずにカミというのが神の毛の意味である。




森田要先生のご本に綴られていた。










「あなた、髪を切らなくて良いから、一度サロンへいらっしゃい。」

「とても繊細な髪の毛をしているのね、
声も印象的....女性系...子宮を壊していたのね」



私の顔と頭を見て、すぐさま森田要先生は仰りました。
(森田先生は日本に初めてヘナを紹介した美容師であり
日本語版、英語版と多くを出版させている)


どうして分かるのだろうなあ。と不思議な気持ちになりました。














ある日、そっと森田先生のサロンのドアを開けて見ると
凄い光景が
目に優しく突き刺さりました。


「予約で一杯だから、お茶しか出せないけれど、良かったらどうぞ」




ずっと水音だけが流れていて
太陽光も然程、入らないサロンにも関わらず
植物も花々も非常に強いエネルギーで咲いているのを感じた。



ルーヴル美術館にもある「Jean Batiste CARPEAUX」の彫刻や
草間彌生の初期の作品、多くのインドの神々が祀られている。




甘いお香の中
ぼんやりと座り、先生が出して下さったお茶を飲んでいた。
時々、花々や植物に触れて見たり。




どうして先生は私をサロンに呼んで下さったのだろう。

時間が止まった様なこのサロンで
髪を切らずに佇んでいた。











そして
りんごと私のCDを起き、雨の表参道へ出た。

実は外には出たくない程に、居心地が何とも良かった。






帰り際に、先生が



「髪を切らなくて良いから、またいらっしゃい。これもご縁ですから
どうも有難うございます。」と深々にお辞儀をされました。



それは本当は私がする事なのに。











髪を切らなくてもいいから、またいらっしゃい。

美容師の森田先生はサラっと風の様に仰った。







エネルギーチャージをしに、また行こう。






髪の毛を切らない美容室は初めてだった。






Amitié



Le son de la Mer
海音









2018年12月10日月曜日

蛾の粉を見逃さない






今宵は書きたいことがないのだが、Macに向かおうと何故か思った。


最近はMacを良く持ち歩いている。
家よりもカフェや良いホテルでMacを開く方が気持ちが解放されて良い。




泥水の中に美しい趣のある紅葉に出逢った。

ぼんやり眺めていたが、その時間が良かった。

最近の、名もない時間の出来事だった。







昔、人に自分を言葉で表現するときに

「夜、街灯に集う蛾から舞落ちる、細やかな粉すらも見逃さない人。
 そう言う、人でありたい。」

と言って自分を表現していた。




余談だが
以前、私は蛾の標本収集に加えて、蛾の歌や、「蛾」と言うタイトルの
CDを発表していた。狂気的、しかし豊かで美しい醜さ、が大好きだ。


姿形は違うが、同じ命を持つ生命体として
どうしようもなく、同調、共鳴をせずにはいられない生き物。

それが私にとっては「蛾」だったのだ。

それに蝶よりも美しすぎる蛾は本当に多くいるのだ。


おまけに、パリの標本屋で
蛾の様にべったり張り付いて
時間を忘れるほどに店に入り浸っていた。






そしてピアノのお師匠さんからは

「いつも心の中の美しいガラスコップに、なみなみと水を入れなさい。
しかし、一滴もこぼしてはならぬ。緊張感と自分を律せよ。」と



パイポの煙を気持ち良く燻らせ
鋭い瞳の奥で何度も言われた。



そう生きて来た。



そして最近になり私のパリでの保証人でもあったお師匠さんが
もう、この世にはいないんだな....と思える様になった。





彼のいない今、当時の言葉がいまの私に突き刺さるのだ。








ここ長らく自作曲が浮かんでこない。







突き抜けた青空に、紅葉が映えるよりも

泥の中にたたずむ、この紅葉が好きだ。

それが歌だと、自分の感性を信じている、私は。






Amitié




Le son de la Mer
海音




そろそろハイヒールの事も綴りたい。







2018年12月8日土曜日

女性







女性とは何だろう?

日本の女性とは?

昔は従順だった?今の時代も?

もしあなたが女性でしたら、どのような女性ですか?

またはどう言う女性でありたいでしょうか?




私はフランスに十数年住んでおりましたので
日本人女性と、フランス人女性の違いも
大変面白く、客観的に感じていた部分があります。



多分、どちらが良いとはないと思います。
天地がひっくり返る程、文化も教育も価値観も違いますから。

ただ、傾向的に
自分はどちらを好む生き方、であるかは
大きな違いが生まれて来ます。



私はフランスに行って、実際住んだので
そのお陰で物事をハッキリと言う性格になった訳でもありませんし
自己主張が強くなった訳でもありません。

もともと、です。


ですから小さい頃から
生き難さ(生きにくさ)を心底感じて生きていました。


自分の良いところ(悪いところ)も人に言ったりすると
「何、あの子は自分のことをよく言っちゃって。普通自分でいうか?」
とか 笑


多分、かなりKY(空気読めない)人間だったと思います。
でも私は私だから誇らしげに居たかったですし。


自分のことをお馬鹿だとフランスで言うものならば
「あの人、本当に馬鹿なんだ」と思われます。



どちらが良いのかは知りませんが
私は元々、「自分」が「強い」人間でしたから
フランスに住み、何と心が晴れて、住みやすい国なんだと感嘆しました。






先日、美輪明宏さんのyoutubeを拝見して居ましたら
非常に面白いことを仰っておりました。





(日本)男性は元々、弱い人間なので
「強い」女性が現れると「攻撃的になる」と。

だから自分より少し劣っている、柔らかい女性が好きだ。

あゝ!なるほど!と笑ってしまいました。



思い当たることが日本に来てから幾つかありましたから。

お酒の場でも、日常の場所でも
私は自分の意見を言うと「攻撃的」に
歯向かって意見を述べる男性が多く...身を引こうとしないのですよね。


最終的には言い合いになったりして。笑
でも馬鹿らしいので自分から身を引くか、周りが止めに入ります。


傾向的に「同年代」で経営者や店長や社長の男性が殆ど。


ここで勘違いして欲しくないのは
私が喧嘩っ早い、ヒステリーな女では無いと言う事。



と、言いますのは
パリにいた頃は
誰一人と私に攻撃的になった殿方はおりません。

意見を言い合いになる前に(言い合い、言い争い)
「討論」の術を知っており「尊敬、受け入れ」をしながら
粋に楽しく過ごした思い出しかないからです。



日本を離れたのは22歳の頃です。
まだ精神的にも未熟で独身で、何も分かっているようで分かっていない。

それから十数年、パリで暮らし
現在は「ある意味、大人」になって日本に帰って来て5年。



十数年、パリで暮らしてフランス人男性との争いはゼロでした。
(無論、恋人との諍いはあります)

しかし日本に来てから3,4年のうちで...今も含めまして
何故か日本男性に攻撃的に意見を言われたりするのが
もう既に数回あります。




これはどう言う事でしょうか?



多分、厭、確かに私は日本生まれで日本人
日本文化もこよなく愛しておりますが

書も書きますが、日本女性特有のものが無いのでしょうね。


「私」は「私」と言う人間を貫いているだけで
その「フランス」と言う国が拍車をかけて
自分の個性や美しさを磨いて、大切に育ててくれたのだと思います。












客観的にフランス人女性は私から見て

*自分の良さ、チャームポイントを良く知っている。
*自分が好きだと言う人が多い。
*自分の意見をハッキリ言える
*喜怒哀楽が感情的
*女性を楽しんでいる
*専業主婦がいない


....書ききれないのですが
私は全て当てはまっていたと思います。



では日本人女性はどうでしょうか?


言うまでもなく、傾向的に上記の反対が多いのではないでしょうか?


幸福的にも今の自分の周りには、こう言う日本人女性は
多分いません。




日本人男性は「幼さ」を好む傾向があるのかと感じます。

そしていつまでも「可愛い」を求める傾向が女性は強いのかと。



そして
女性と子供を尊重をすることをお願いしたい。
コンビニエンスストアの男性向けのエロ本は並べるべきではありません。



そして電車の中で女性は足を広げて
お化粧をする姿は美しいとは言えません。

見苦しいの一言です。


内股歩きでバタバタと歩くのもそうです。




しかし美しい女性も沢山いることも知っています。

そう言う方は見解が広く、視野が広く、全てを認知し
生きる所作を心得ている方だと思います。


憧れます。




私は「自分が強い」人間です。




この国で、生きにくいのは昔から変わっていません。



自分の美しさを死守し(外見だけの事ではなく)
人や、動物や、植物への優しさを忘れず
歩みたいものです。



何だかんだ、言っても、まだ発展途上の人間ですから。





いつも読んで下さり、ありがとうございます。






Amitié







Le son de la Mer
海音









2018年12月7日金曜日

中原中也と共に、今、電車を降りる








夜、うつくしい魂はいて、
   ――かの女こそ正当あたりきなのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
   もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
   夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
   うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
   ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……



中原中也















寒さが増し、空気も澄んでくるように

自分が増して、気持ちがより澄んで来たように思える。




静かな夜は何も答えてはくれない。

答えてくれるのは
波打つ「私の心」。






大切な人に

大切な温かみのある思い、言葉を

いつも
そう言うプレゼントが出来たらと思う。

本当にしみじみそう思う。



そうではない
自分がチグハグでいる時、時空の隙で出逢う人は
一見、笑顔に見えて、心の底ではそうではない。


今日は新月なのだな。

手離してゆこう、何もかも。

夢だけは静閑に握り締めて。





乗っている電車から降りたくなる時がある。

自分が降りる駅ではないのに。

それは「人」と「馨」である。



生きている環境から飛び出たくなる。

自分が選んだ道なのに。

それは「人」と「進化」である。



せっかく心地よい電車の座席に座っていても
自分を守るために
その席を即座に立つことがある。



現代


良い顔をして隣に座り
その優しい肘で私の横腹を突いてくる
そして手に持つ電話でメッセージを打ち続ける


昨日

優しい夢はいずれ...

と歌う。

もうメッセージは届かぬと。



芳しい馨りの野原があるのなら
電車を降りよう

もう無理に電車に揺れる花ではなくて良い。

吸いたい空気が外にあるのなら
今を降りよう

もう道化の電車に乗って揺れる時間は無い。








私はいつも、中也の詩のように

「死んだっていいよう、死んだっていいよう」と

湿った地面に横たわり涙を垂らして生きている




それは詩の解釈には、そぐわないが

それくらい自分に従順に、純粋に、鋭いガラスのように生きている


「死んだっていいよう!」と叫ぶくらい

強く真面目に生きている。

それくらい生命力を自分に燃えたぎらせて生きている。


だから

それに水をかけてくる者がいたら

ユーカリの樹の下へ連れてゆき

もう振り向かない。



ユーカリの樹の根を見れば
私の気持ちをあなたは踏みにじったのだ、と

わかるだろう。



ユーカリの根は根深く、強く、自分の根を張り続け
時には人間をも栄養として吸いつくしてしまう力がある



空を飛ぶことも好きだが
私が空を飛べるのは
自分の「根」を持っていて
そこに戻ってくることが出来るからである。


そうでなければ
糸の切れた凧のようだ。







この冷えた心に
もう多くはいらない。

静かな夜は何も答えてはくれない。


雑巾のようになった心を
絞り

落ちてきた水滴が少しでも
まだ輝いていれば
それでいい。


それが私だ。




一滴の水はまた大河になり

朗々と朗々と流れ出す。










Amitié


Le son de la Mer
海音






2018年12月1日土曜日

40代で身長が伸びた理由。
















ハイヒールを初めて履いたのはいつだっただろう。


きっと小さい頃のピアノの発表会の時は
2~3cmの物を履いていたのかと思う。





中学2年の頃に濃紺のベロアのハイヒールを手に入れて
誰も見ていない雪解けの頃に履いた記憶がある。


そっと、つま先を入れ
滑らないようにして歩きながら


「何て履きにくいのだろう...」と思っていた自分を今でも思い出す。



それでも、いいなぁ、美しいなぁ、と自分の部屋の中で
そのハイヒールを眺めていたことも思い出す。



それは記憶の中のハイヒールであって
実際は3~5cmくらいのパンプスだったと思う。



それも、そっと爪先から入れた瞬間は
運動靴やローファーしか履いたことがないものだから、
3cm~5cmでも非常に高く感じた気がする。



時が経ち
いつの頃からか、巷で


「ハイヒールは体に悪い」とか「外反母趾になるよ」とか
「身体のバランスが取れなくなるよ」と声が聞こえてくる大人になった。


そして周りの人々にもハイヒールは身体の良くないよ。と
言われるようにもなって行った。




大学時代もハイヒールへの憧れが止まず
夏に初めて購入したのがサンローランの美しいティファニーブルーの
夏用パンプスだった。

今でも良く覚えている。


その後、赤色、黒色、....安室ちゃん世代なので真っ白いロングブーツまで
仕舞いにはヴィヴィアン  ウエストウッドのロッキンホースまで....
(ちなみに髪の毛はボブでミドリや赤と鮮やかで、
 顔じゅうにピアスをしてました)


とても歩きにくくて、辛く、痛い思いをしながら。





(パリ時代初期は友人企画のゴチックパーティーやライブで働いたりも。
 楽しい思い出。)







無論、
ハイヒールを美しく履く歩き方なぞ全くを持って無知である故に
かなり不格好な歩き方をしていたに違いない。
(冷や汗もので、そう思う)


それでも、選び、履いているのだから
歩き方は棚に上げても「ハイヒール」に憧れて好きだったのだろうと
懐かしく感じる。




ハイヒールを不格好に履き続けても
どんなに歩き方がおかしくても、
どんなに高いハイヒールを履いても、

私は外反母趾にはならなかった。

幼少期からスポーツが好きでアイスホッケー、水泳、陸上と
本格的にやりながら、田舎の季節の道を裸足で駆け巡って来たからか?

それはわからないが。



だから「ハイヒールは外反母趾にならない」と私は思っている。

しかし足の親指に力が入らなく(筋肉がなく)
小指に力が流れてしまい、その小指で支えてしまう癖がつくと
外反母趾になるであろう。



要は何でもそうだが「方法」「やり方」「師」が全てだと思う。
本を読んでやり方を頭に入れたところで

「ハイヒールはこう履いて、こう歩けばいいのだな」と思っても
それは意識が弱い。

音楽であっても、同じことが言える。

極論だがピアノを購入したので、コンサートをやります!と
言うのと同じだ。

自動車を購入したので明日から運転します!と
言うのも同じだ。



ハイヒールを履く前に

歩くと言う本当の行為、歩き方、身体のほぐし方、視線、腕の位置、
見つめ方を、総合の細部を知らないのに

どうしてハイヒールが履けようか?



ハイヒールの履き方を知らずして
どうしてハイヒールを美しく履くことが出来るであろう?




そして反対のことも言える。

どうしてハイヒールは体に悪いと言うのであろうか?

その人はハイヒールを履いて体を壊したのだろうか?
外反母趾になったのだろうか?
身体のバランスを崩したのだろうか?



はっきり言っておくが

それはハイヒールのせいでは無く「あなたのどこか」が原因である。




元々、ハイヒールはルイ14世も好んで履いていたもので
美しいものでしかない。


それをハイヒールに原因があると言う方のお言葉は
非常にナンセンス。





ASAMIさんのハイヒールレッスンを受けている最中であるが
レッスンを受ければ、受けるほど身体はしなやかに、強靭に、
健康に、新陳代謝も良くなり、浮腫まなくなった。


そして自分のインナーマッスルはまだまだ甘く
腹筋も背筋も足内側の筋肉も、発展途上であり
「身体を作り上げている」途中である。


現在、私は40代前半でありながら
先日の健康診断では「過去最高の身長」を告げられ
心の中でガッツポーズをしたのだ^^


通常、150cmが私の身長であり、長年そう思っていた。
しかし一ヶ月前に「152,4cm」と看護師さんに言われ驚いた。


それがどうしてか、分かっている。

普段、ASAMIさんに
「腹筋をもっと引き上げて、もっと、もっと行けます!」と言われ続け
視線も意識してあげるようになった。


結果、普通の気持ちで身長を測っても
今まで一番高い「本来の私の身長」になったと言う訳だ。


(裏を返すと....常日頃、どれだけ猫背でいたのかと恐ろしくなる)




人は意識をしていないと老いてゆく。健康でも無くなってゆく。


しかし、進化し続け、身体と心に向き合うならば
より良く年を美しく重ねることが出来る。


最近、本当に身をもってそう感じる。



それは私が昔から体育会系で身体を動かして来たからでも無く
運動神経が良いからでも無く



「ハイヒールを美しく履きたいので、足裏筋肉、インナーマッスルを
 意識して鍛えている最中」であるから。



そして身体を使い、ハイヒールで歩いていると自己発電になり
体が温かくなり、少し汗ばんでくる。


これからの季節により素晴らしいではないか!




「ハイヒールは体に良くないよ」は洗脳だよ。と返したい。

「ハイヒールは美しい場所に連れて行ってくれる、
 素敵な男性に出逢わせてくれる」の前に


「その人を美しく」してくれる。


しかし、
本当の体の動かし方や、歩き方を知っていれば。の話だが。



ハイヒールが本当に体に悪いのであれば
身長が伸びるはずがない。



ハイヒールを履くエクササイズとレッスンを受けている時点で
身長が伸びたのですから。




Amitié



Le son de la Mer
海音














2018年11月26日月曜日

何歳になっても脚のラインは変わる



     
     古代から、昔からあるバラの品種は香りが本当に芳しいです。
     バラに遊びに来る虫たちの気持ちがとても良くわかります。










心にメスを入れても

体にメスを入れてもらっても

最終的には変わらなかった過去が私にはある。

それがどう言うことかは、まだ語るまい。

しかしその痛みと来たら、まるで狂気の沙汰であり

残ったものは、いつもとあまり変わらぬ

わびしい心だけであった。

厭、それがより静かに、えぐられて

ヒシヒシとジワジワと私の精神を優しく蝕んで行った。

そう違いない昔がある。


そのような自分を横目で流しながら

素知らぬ振りをして人生を進むのであった。










今の時代は何でも出来る時代になった。

機械が音楽を作り

お店の出迎えと受付もロボットがする。

あのレジや受付をしていた人はいづこに?

そのような寂しいような....呆気に取られているような時代。





あなたの「身体」は、あなたの「思考」は誰が作ったか?

あなたは機械や、ロボットでは無い限り

安心して良いほど

あなたの「身体」も「思考」もその、あなたが創造している。

しかし厄介なのは、あなたの「癖」だ。



長年のあなたの「癖」で身体が構築され

長年のあなたの「癖」で思考が同じ道筋をゆく。








9月からASAMIさんのコンサルとハイヒールレッスンを受けて
私の脚の形は程なくして変化した。


どのようにして、の過程の前に
綴りたいのは「結果」として。



*脚の内側のラインが引き締まり、隙間の面積が確実に増えた

*私はピアノ練習や作曲で、椅子に座っている時間が長い為
 いつも脚が浮腫んでしまい、少しそれが慢性的になっていたが
 ASAMIさんのハイヒールレッスンを受けるようになり浮腫みが
 確実に減った。

*よって自信も出て来て、膝上のスカートを選ぶようになった。
(そう自分に許可を出来た)






幼い娘のシングルマザーとして、時間管理にはまだまだ課題があり
隙間時間で課題やエクササイズなどをしながら寝落ちしてしまう
現実の中でも、はっきり言うと「結果」が出ていると言う明確さ。




それほど、ASAMIさんは容赦ない。

そして
それに這い蹲ってでも、ぶら下がってでも付いて行く。

何だか自分が分からなくなる時も有るが
(表現が乏しくて申し訳ない)

「結果」、いわゆる、「脚のラインが変わった」

その、事実だ。






脚のラインを見ていると嬉しくなる。
何故なら、以前と違うからだ。
まだASAMIさんに付いて2ヶ月だと言うのに。
(パリ時代にもASAMIさんのサロンへ通っていたが
今に比べては全く甘い精神で私は受けていたと痛感する)





人はいづれ死ぬのだ。
しかし、生きている間には「特権」が有る。

それは



いくらでも、幾つになっても肉体がこの世とこの手にあるうちは
心も体も変えることが出来る、と言うこと。



人生をより美しい「ライン」へ導いて行くことが出来ると言うこと。


姿勢を美しく保つことは
ハイヒールで美しく歩くことは
意識、努力、意志が根気強く必要だ。



人は弱い生き物だから

本来、ネガティヴに思考することが楽な為、そうして見たり
今まで慣れ親しんで来た(笑)猫背に「意識」をしないと
簡単に戻ってしまう。


口かどを「だらん」とへの字にしているよりも
上げる方が筋肉をかなり使うが、全ては意識である。











.....余談であるが以前、少しお世話になっていたインド人大富豪の方が

「人生のブレイクスルーに一番必要なのは、

 断然「意識」をすることです」と


口を酸っぱくして仰っていたことを思い出す。

彼の口からは「意識しなさい」しか出てこなかった記憶がある。

ピアノのお師匠さんもそうだった。





では、
何歳になっても脚のラインを変えることが出来る「鍵」は何だろうか?



それは脚の親指の付け根にある「母指球」である。

そこを見つけるのは誰にでも易しい。

しかし
「母指球」をものにするのは「意識」と「努力」しかないのである。




「母指球」は誰にでもある。

では、使わない人生は全くを持って...勿体無いではないか。
使って美しくなれるのならば、使うしかない。




しかし、多くの女性はまだまだ使っていないであろう。
「母指球」を使いこなせるようになった時


厭、「意識」を、し始める人生を選んだ時から
その方の醸し出すエネルギー値は変化して行く。



私はまだその途中段階であり、発見途上の身ではあるが
ASAMIさんのご指導の元で
全ては変わりだした。



「母指球」は繋がっている。

脚の内側の筋肉に、骨盤を支えている深層筋(インナーマッスル)に、
腹筋、背筋、肩甲骨、その周りの筋肉....首の筋肉、デコルテ、
視線、頭の先、まで繋がっている。



ここで、もう答えは出ている筈だ。




日本人特有の「内股」に加えて
現代病のスマートフォン使用から来る猫背。



スマートフォンへの意識を、全て「母指球」意識に
シフトチェンジすることを自信を持って、お勧めする。



そうすれば、より良い人生が送れることは間違いない。




そう、昔のうずくまっている私に
本当は語りかけてあげたい。




Amitié





Le son de la Mer
海音







2018年11月24日土曜日

インターネットライブ改善に向けて、と演目。




 大好きなパリ唯一の陶器メーカー「Astier de Villatte」のゴブレット。
 パリ時代から少しずつ集めていました。このお話はまたの機会に。









先日、日曜日に行いました初のインターネットライブは

心温かな皆さまのお陰で成り立つことが出来ましたことを

心より御礼申し上げます。



次回、来週の27日(火)に行う平日の部にもご参加を下さいまして

どうも有難うございます。

1回目ですので、また統計は取れませんが週末(日曜日)の方が
融通の利くリスナー様が多くいらっしゃるのかなと感じております。



前回(先週日曜日)のご感想を多く頂き
非常に励みになることと、厳しいご意見も頂きましたので
その図中の今週はその改善に向かうべく










通常のインターネット回線を解約し →  超安定性のある「光」に変更

Mac内蔵カメラを止め →  800万画素のWeb Cameraの設置

Mac内蔵マイクを止め →
プロ用マイク(ヴォーカル1本、グランドピアノ2本)
とインターフェースとMacを接続する(最中)








と行動をすることが出来ております。

しかし「光」は家での業者工事が必要なため
来月のインターネットライブからになります。


プロ用マイクは火曜日に何とか間に合わせたい次第です。





徐々に改善を試みている最中でございますが
色々とお聴きづらい箇所もまだまだあると思います。



その上で来週のインターネットライブはご鑑賞頂けますと
幸いでございます。





普段のリアルコンサートよりもラフに
しかし「クォリティーは高く」を
楽しんで頂けましたら本当に嬉しいなと思います。



そこまで辿り着けるよう、日び改善を意識しやって参ります。

どうぞ宜しくお願い致します。








     
       有難く息抜き中。
       大好きなシャンパーニュとパテ ドゥ カンパーニュ。
       







余談ですが、リアルコンサートでは
タキシードやシックな個性的ワンピース、男装、ヴィンテージなど
私の世界を象徴するような物を纏っておりますが

自宅でのインターネットライブは
少しクズしたお洋服でやれればと思っております。


元々、私が粋だと思っているファッションは「崩して」いること。
それも、「計算」して。

それは「美」と同じですよね。



本来は
お気に入りのカシミヤセーターにジーンズ、シャネルの羊毛ブーツ。
冬はこういうスタイルがお気に入りです^^


やはりジェーンバーキン、その娘のシャルロット ゲーンズブール、
ジーン セバーグ、シャルロット ランプリングなどが好きなので。



まあ、ジーンズではインターネットライブはきっとしませんが
その季節のもの、その季節の歌を

時に寄り添いながら....

楽しんで頂けるライブを目標にやって行きます。



来月のお日にちは近日中にご報告いたします。



皆さま、心温かな土曜日の歌、がありますように。


心を込めて。



Le son de la Mer
海音





追伸

日曜日のインターネットライブのご感想に対しては
一通り返信済みでございます。

全て目を通しております^^

嬉しいご意見をどうも有難うございます。




その日の演目をご紹介いたします。


♡Mon Amant de St-Jean(サンジャンの私の愛人)

♡ Les feuilles mortes(枯葉)

♡Ave Maria
(マスカーニのオペラ カヴェレリア ルスティカーナより)

♡Sélénde
(ジョルジュ ビゼーのオペラ  美しきパースの娘より)

♡Als die alte Mutter mich noch lehrte singen
(ドヴォルジャークのジプシー歌曲より 我が母の教え給いし歌)


☆Habanera
(ジョルジュ ビゼーのオペラ カルメンより ハバネラ)
*日本では「小さな木の実」として1971年にNHKみんなのうたで使用

☆Sous le ciel de Paris(パリの空の下)

☆心砕(千葉海音 自作曲 2011年作品より)

☆Nessun Dorma!
(プッチーニのオペラ トゥーランドットより 誰も寝てはならぬ)

☆Quand on prie la bonne étoile
(ディズニー映画より When you wish upon a star   星に願いを)






2018年11月18日日曜日

明け方に新幹線に飛び乗る


             谷汲山  華厳寺(岐阜)







金曜日の明け方、娘を連れて新幹線に飛び乗った。

インターネットを全て遮断し

iphomeも写真を撮る以外は触れないことにした。




最近、慢性疲労やら電磁波やら

だから「この世の当たり前」の選択を「しない選択」をしたくなった。

自分を守るために。






SNS、メール、ブログ、.....

他人の人生ドラマに巻き添えにならぬよう

いつも自分が自分の感覚や

自分特有の時間の流れを死守し

目を閉じて休む必要があると判断した。



今朝、購読しているメルマガが一通届き



「他人のドラマに巻き込まれていませんか?」


それが、今回の答えだったなと確信した。




できれば今後もインターネットは最小限にし

「画面」では無く「自分の心」に向かい合いたい。




                                       谷汲山 華厳寺










最近、デトックスしたくて仕方ない。


そう強く欲していると
そういうタイミングと新しい出逢いがある。


頭に自分でヘナを入れて
クレイ(フランスの粘土)で心身を浄化して
微生物培養エキスを美味しく頂き


自分を浄化し続けることを
本当に意識したい。



デトックスするとネガティブな感情もワンサカ出てくるが
良い傾向だと思い過ごしたい。



人生「選択」が大きく占める。


そうならば「今」「何」を選択するか


「誰と」「何処で」「何を」。





昔の私であれば
SNSも自己表現も小粋に楽しくやっていたような気がするが
やはり今は自分が変わったのだ。



いつも自分に向かっていたい。
それが出来て初めて、ほかの人に初めて
接することが出来る気がする。



これから一週間に最低一度はインターネットを遮断する日を
作るようにし

その日は自分と娘だけに向き合うことにする。


それで良い。



それが今の自分に至極必要なことだ。




本当は日本に数年前に帰国した際に
もう携帯電話を持たないようにしようとして
半年間、そうしたが

音楽活動するにあたり
「周りの方に迷惑をかけないように」やはり携帯電話を持つことにした。


これって、「自分主体」ではないのですよね。




           谷汲山 華厳寺









本当に突き詰めていったら
私は本当は何にもいらないです。

ピアノ以外は。

でも表現するツールとして多少、何かを必要であるのは確かであるから。




そこに行き詰まった時は
今回のように、行きたい場所へ行き、会いたい人に会い、目をつぶり
全く電子機器は持たないようにすることにする。



今回はオカヤドカリの「よしおさん」と戯れ
お寺の路を、自分の心の道として辿り
花を眺め
温泉に入り
風の行方を追いかけ
分かち合える心通づる方々と、穏やかに笑い語り



人間としての土台、自分の土台をまた一本多く
「心の柱」を作り「心の調律」をすることが出来た。

(さや花さん、千春さん、たまちゃん、九野さん、有難うございます)







私はもう良い、というほどに
ヨーロッパや東欧を一人旅やバックパッカーで旅をしてきた。



今は誰かと分かち合える方が少し楽しいと思えるようになった。





いつも私を支えて下さる方々に感謝。



Le son de la Mer
海音






〜 『追伸*』 〜




今夜は20時よりSkypeにて私(千葉海音)のインターネットライブ第一回目です。

第2回は今月27日(火)20時より開催いたします。

自宅でのライブですので

私が普段、作曲したり練習するフランスから持って来たアンティークピアノでライブを行いますので

世界観を少しでも感じて頂けるかと思います。

ご興味のある方は是非、こちらから参加ご希望をお知らせ下さいませ。

喜んでお待ち申し上げております。












オカヤドカリの、よしお氏と。

2018年11月13日火曜日

ロウヒールはもう履けない








昨日(一昨日)の今日なのでリアルタイムで綴ろうと思う。




一昨日は長野の安曇野で久しぶりにゲストでステージで出たが
その際に履いていたのが
本当にお気に入りで20年は履いている総刺繍(ゴブラン織り)の
ブーツだ。


私の代表曲の「ジプシーの名もない歌」を演奏するので
気分的にジプシーの気持ちのものをセレクトした。



演奏は楽しく勢いよく出来たのだが
何故か姿勢が決まらない。


何故か全体的に「私」がしっくりこない気持ちで
歩いているのだ。



そしていつも痛くない体の箇所が怠く
腰も鈍く痛いような感じがする。


何故だ?何故だ?と自分を追求したが

答えは1つ。






何だと思われますか?






寝不足?(確かに最近寝不足ではあった)

練習不足?(プロなのでまずはない)

会場や企画がいつもと違うから?(毎回違うし)

緊張から?(緊張すると私は眠くなる)

知らずに転んだのか?(もうそんなに深酒はしない)




自問自答したが



答えは





「ヒールの低さ」でした。






通常だと「ヒールの高さ」と答える女性が多いのだろうが
私の場合は「ヒールの低さ」に間違いない。

バックステージで、帰り道でそう確信した。





先ほどにも記したがお気に入りのゴブランブーツのヒールは
5センチほど。

物足りない体感を引きづりながら過ごす自分は新鮮だった。



ロウヒールとは腹筋も背筋も使わずに歩けるので
きっと便利なものだ。




しかし便利というものは必ず、体が、脳が、鈍るのだ。

そしてどんどん猫背になり首が前に出てくる。

まさに「鈍色(にびいろ)」な気持ちでいた。



自分の姿勢を持ち上げよう、持ち上げようとしていたが
本当に持ち上がっているのかさえも確信できず
過ぎてしまった時間だった。





そして身体がムズムズする。

「伸びたいよ、伸びたいよ」と細胞がワイワイと言っている念が
今すぐにでも口の中から出てきそうなのであった。





私は変わったな。と思った。











ASAMIさんのレッスンで体幹と筋肉が進化している真っ最中だからこそ
今、そう強く感じるのだろう。




ここ最近はステージで10cm以上のハイヒールしか履いておらず
気持ちも、体も上に↑ 上がる気持ちでいたが

それが一気に5cmもヒールがダウンすると
ここまで
「気持ちの違和感」「伸びたいよと細胞が叫ぶ」「体の怠さ」が
一気に来てしまうものなのだと昨日は痛感した。




人生は移り変わってゆくように

自分の良い「選択」も移り変わってゆく。

一緒にいる人も移り変わってゆく。

物もそう。

靴も、そう。





もう5cmヒールは履けないなと思った。

100%自分を演じるならば腹筋、背筋を、全身を使う
ハイヒールを選んで行きたい。



その方が背筋もシャンとする。


ハイヒールを履くと
音楽家としての腹式呼吸も、より芯がある腹式になる。

それは確かだ。




私はピアノに座って歌うので、立って歌うわけではないが
それでもハイヒールでピアノの椅子に座ると
姿勢も腹筋の使い方もハッキリと違う。

ロウヒールでピアノを弾いている時とは大違いだ。
例え、ロウヒールで呼吸や姿勢を意識していても
ハイヒールを履いている時とは比べものにならない。



言うなれば、ハイヒールは...美しい脚のコルセットのようにまで
感じる。







ちまたで言われるハイヒールのナンセンスなレッテルは
「本当のナンセンス」だと思った方が良い。


何故ならば、真のハイヒール理論や人体解剖学を通じて
歩き方を学ぶと体には良いことだらけであり

女性としての美しさへの意識も、より増して湧いてくる。


ASAMIさんのハイヒール哲学を通して、学び中ではあるが

ロウヒールは身体が保たない(もたない)ので
もう履かない。



心もムズムズしない、
イキイキと凛としたハイヒールを



人生に私は
選ぶ。





amitié




Le son de la Mer
海音







2018年11月10日土曜日

フランス人女性と日本人女性の美意識の違い



                                     (迎賓館)














以前、パリの音楽学校のオーディションの打ち上げで
あるフランスの大統領だった方の妹さんがいらして
(歳を召した私の大好きな友人の奥様だった)


私がワインを飲んでいると

「あなたの黒髪や黒い瞳が本当に美しいわね、羨ましいわ」と
褒めて下さった。



当時、私はまだ25,6歳だった。

素直に

「ありがとうございます。でもフランス人の金髪やあなたの
青い目は私には持ち合わせておりませんので羨ましいです」と
お伝えした所


そのご美しいご婦人は大そうご立腹で

「あなたのことを私は褒めてたのに、それが気に食わないというの?
私が嘘をついているとでも想っているの?」と残念ながらに
怒り出してしまった。



その事を、私は今も昨日のように覚えている。


彼女はその半年後に老衰で天国へ旅立たれてしまったが
ずっとずっと
心に残る思い出だ。




私は小さい頃から自分を持っていて
自分の長所や短所も知っていて
意見をハッキリと言える人間だったと思う。
だから周りは嫌われていましたね。




しかし、若くしてパリに生きて
また変な謙譲心と、自分を受け入れずに相手を立てるという事で
反対に相手を怒らせてしまった苦い経験の一つだ。


楽しい打ち上げの場だったが
空気が一気に変わってしまい、穴に入ってしまいたい気持ちに
なった事を覚えている。






そして私の庇護者でピアノの生徒であったユダヤ人のミッシェルは
口を酸っぱくしていつも言ってくれた。


「ミオ、これからの時代は女性はもっと強くしっかり自分の意見を
言わなくてはならないわ。特にあなたはアジア人だから母国では
そういう文化は強くないかもしれないけれど、本当にしっかり
自分の意見を持つのよ。もしこのパリで差別にあったとしても」




日本では男性に
「きつい、難しい、ハッキリしている、強い、わがまま」と
言われることも多々あるが、そういう見方は幼くナンセンスだ。

フランスでは一度も男性にそのようなことを言われたことがない。
















美白や、整形や、お世辞や、愛想笑いや、みんな仲良し、よりも

大切なことがある。



少なくとも私はそう思っている。





ちょっと陽に焼けて、好きな事をして、泣いたり、笑ったりして
着たい服を着て、歳だから服はこの色だ、なんてつまらない事を言わず




アラフォーやアラサーの意味もよく分かってはいなかったが
(今はわかるが)

〜系とか、分類するよりも
自分が何者か、分かって
自分の意見を言えるだけで良いのでは。



ちなみに、自分は宇宙の塵、くらいに思っている。
これは素晴らしい事で
宇宙の小さな一部で

「音楽が好きな、気まぐれ」な宇宙の塵なのだ。






フランスの女性は「自分の美しさ」を本当に大切にしている方が
非常に多いのではないかと察する。

その上で「他の人もリスペクトする」



それにフランスでは
自分のことを「ばか」ですからと言ったものなら
「この人、本当にばかなのね」と本気で思われるので
そんな自分を卑下しない。





日本人女性とフランス人女性の美意識の違いはありすぎるので
反対に「同じ」を見つけることが難儀に思う。



どちらも比べることではないくらい
違いすぎるから面白い。



5年前に日本に帰ってきた頃は
日本語を話しながらフランスのジェスチャーを無意識でしていたら
友人に笑われ

今は笑うときに口に手を当ててしまう癖がついた自分に
笑ってしまう。





ただね、やはり美白とか年相応とか仲良しグループとか
昔から興味ない。






そういうのはつまらない。







面白いのは
自分を生きることだけだ。




誰とでも仲良くする必要はないし
何歳だからこれ、とか
過剰な美白とか





それよりも自分の心と仲良くし
何歳であっても好きな服や、したいことをし
心を真白にして


自分の言葉で生きたい。





Le son de la Mer
海音






追伸 明日は急遽ゲスト出演が決まり朝一で安曇野へ。




☆お知らせ☆
「千葉海音インターネットライブ」ご興味のある方は是非どうぞ。
11月18日(日)20時、11月27日(火)20時
ミュージックチャージ 1,000円

こちらから☆


☆お知らせ2☆
現在、インスタグラムを一般公開中です。
普段は非公開ですので、もしご興味がございましたら
遊びにいらして下さいませ

Instagram








2018年11月5日月曜日

我以外皆我師











前回のブログで告知いたしました「千葉海音 インターネットライブ」への
お申し込みをどうも有難うございます。

ご興味を持って下さり本当に嬉しいです。


ご返信が遅れておりますことを
お詫び申し上げます。

近日中にご応募して下さいました皆様に
返信いたしますので今暫くお待ち下さいませ。






私事ですが
今朝はなんとも、嬉しく懐かしい「お声」から連絡がありました。

フランスからの私の「代母」であるシトロエンさんから。


世界でも有名な自動車会社のシトロエン。
その一族に嫁がれたパリで生きる美しい日本人女性で
旦那様は素晴らしい画家でございました。




5年半ぶりの再会は本当に幸せで、本当に嬉しく
胸が踊ります。


今週にでも、すぐに逢いましょう!となり
シトロエンさんはお忙しいにも関わらず
お互いに逢える日がすぐに決まってしまうのです。


それは、やはりご縁があり、繋がっているから。
それにシトロエンさんの日本での滞在先が近所であることも判明し
何も言わずとも、驚く繋がり様です。





必要な方とは

何年後でも、どこの国に生きていても、環境が変化しても

必ず、逢えるようになっている。



ASAMIさんとの再会も本当に、そうでした。




久々にお逢いする時の姿勢。






あれから色々あり私も変わっていった。
だけれども




「相手をリスペクトする真心」と「今の私の姿勢」を大切にしよう。



そう思えるのでした。





私の生きる姿勢



それはずっと昔から、何にも紛れる事なく
「音楽」です。



しかし以前にも綴りました様に
「自分の生きる姿勢」は定まっていたにしても
「ピアノに向かう」または「日常で歩く」「書に向かう」時々の
姿勢を誰も注意してくれる方はいませんでした。


唯一、ASAMIさんとピアノのお師匠様だけです。

















さて
本日のブログの題名でもある「我以外皆我師」は深くそう共感。

こちらの言葉は宮本武蔵を書かれておられる作家の吉川英治が
その著書の中で綴った言葉である。



思えば、
赤ちゃんは親を
子供は環境、友達や先生や自然から
大人はより広く知人から世界の人々や....


どんどん視野が広くなってゆく。



素敵な人を見ると、優しさに触れると、知識に驚くと、美しさを見ると
なんとも言えない音に出会うと...

ああ、私もそういう風になりたい、したいと喜びが湧く。


しかし、そうではない人に出会ったり、見ると


「ムムム」と思う 笑



口には出さないが
その場を離れるか、もう会わないか、....その方と過ごすその場面を
なるべく避ける様にするか.....




私がよく見るのは
目線、姿勢、食べ方、歩き方、人への態度(お店やレストラン、電車の中等)


一見、どんなに素敵な方(男女問わず)だと思っても
「これは、ないな」と小さな一つがあると
多分、次はない。



だからこそ、「人の振り見て我が振り直せ」なのだ。
はて?では自分はどうであろう?と。


例えば....女性に対する上から目線。スープをすする音。
カフェで周りを気にせず大きな声で喋り続ける人。

きりがない。



私はどうだろう?



だからいつも姿勢を正し「洗練」された人でいたい。




姿勢を気をつける時。
生きる姿勢を気をつける時。



それは、いつも!

いつも誰かに見られていると意識しながら生きる。



そう言えば、
ASAMIさんにピアノに座る際に猫背になっていますよ、海音さん。と
さらっと言われた。




そうそう、やはり気が抜けている。


音楽への姿勢は定まっていても
まだまだ私の「姿勢」はこれからなのだ。



今はピアノのお師匠様、亡き後に
私の隙を鋭く軽やかに、ASAMIさんは言って下さる。



前進あるのみ。


いつか「洗練」についても綴って見たくなった。




Amitié



Le son de la Mer
海音







2018年11月2日金曜日

ライブ告知「千葉海音 インターネットライブ」








この度、ライブを始めてインターネット(Skype)を通して
行うことに致しました。


私にとりまして初めての試みであり
実験でもあります。

かなりのアナログ人間の極みと言えそうな人間ですので
どうなるのか楽しみです。



ただ音楽家としてMacで、
どこまで音質が良くリスナーの皆様に私の作品を届けられるか
気になる所でもあります。







現在、関東のコンサートではミュージックチャージが
4,500円〜5,000円としております。

今回、初回で実験的と考えておりますため
初回価格1,000円でのご提供と致します。(ライブ時間 : 約1時間)


そしてライブ後にブログ内「連絡フォーム」より
ライブのご感想及び、ライブの音質についてのご感想を
お願い出来る方。




かなり今後の参考となりますので
どうぞ宜しくお願い致します。



Skypeのダウンロードはこちらから









『詳細』



〜千葉海音 インターネットライブ 第一回 「秋、東京」〜



♪日にち 週末の部 2018年11月18日(日)20時より約1時間


     平日の部 2018年11月27日 (火)20時より約1時間


♪場所  Skype(スカイプにて)皆様のご自宅で

♪ミュージックチャージ 初回限定1,000円

♪お支払い方法




1. 日本国内で参加ご希望の方
 
ブログ内の『連絡フォーム』より
☆お名前 ☆週末、または平日の部どちらに参加か
☆ご連絡先(メールアドレス)をご記入の上

こちらの口座にお振込下さいませ。

    週末の部11月18日(日)にご参加の場合、11月15日まで
 平日の部11月27日(火)にご参加の場合、11月22日までに

ミュージックチャージ1,000円を『銀行振込』にて
お支払い下さいませ。


Skypeの詳細は折り返しご連絡いたします。




***
三菱UFJ銀行 名古屋駅前支店 普通 0244999
千葉海音
***





2.海外在住で参加ご希望の方


ブログ内の『連絡フォーム』より
☆お名前 ☆週末、または平日の部どちらに参加か
☆ご連絡先(メールアドレス)をご記入の上


    週末の部11月18日(日)にご参加の場合、11月15日まで
 平日の部11月27日(火)にご参加の場合、11月22日までに
『Transfer Wise日本銀行』にてお支払い下さいませ。




送金に関しましては
頂きました連絡フォームより
折り返しお振込の詳細をお送りいたします。






<注意事項>


手数料はお客様のご負担となります。
決済と同時に予約が完了となり決済後の返金は致しかねますこと
併せて、ご了承くださいませ




Le son de la Mer
海音









2018年10月28日日曜日

生きるとは








「生きるとは」






私にとっては天の北極ポラリス




「北極星」である。







「生きる」とは

私にとって常に「北極星」のことである。






凍てつく氷のような瞳の季節の色も
煌々と輝き続ける季節の色も

まるで人の人生を表しているようだ。







厭、むしろ私が北極星のよふに生きたいだけである。



私の作った歌にも一番星と北極星は孤独と人生の道しるべ、
孤独の中の友人として出てくる。






誰の周りも回らずに
常に同じ場所(心の場所)があり

凍える日も、蒸せ返る日も
そこに在る。



己が授かった光を放ち続けているだけである。






ただそれをするのは、

人生における湾曲の中で
し続けることは



生半可ではないだろう。




北極星であり続けるために

私はいつも自由人で努力家で優しさを持ち

持ちうる全てを音楽や美を通して表現する。







そして時に風のよふに、道化師のよふに
戯(おど)けては、知らんぷりをして





時と時のはざま

音と音のはざまを

私は踊るのだ。






それが人生だ。








北極星のよふに、いつも自分という場所を知り

風のよふに、いつも自由に季節を友とし

道化師のように、水面の自分を覗き....己の顔を見つめるのだ







それが私の人生に似合っている。





読んでくださり

どうも有難うございます。




心を込めて。




Amitié





Le son de la Mer
海音








2018年10月27日土曜日

ハープと毛玉と猫








それが私にとって基準である。


いつか文面にこの言葉を描きたい(えがきたい)と思った。


何故なら非常に大切なことである。


それは生活の基準であるから。




ハープは自分への慰めのためにパリで趣味として始めた。

毛玉はエレガントでは無いが
(間違ってもエルメスのカーディガンには毛玉がならないし)笑





この「ハープ」「毛玉」は大きく共通している部分がある。

「夜な夜な」、「空いている小さな時間」、「黙々と」




私には譲れない大切な生活のものだ。

生活の基準、
それはこの「ハープ」と「毛玉取り」が出来ない日びと言うのは
心に余裕がないか、自分らしく生きていない時。




何にも変えがたい時間だ。












埃まみれになったハープや
毛玉だらけになった娘の着るもの、私の着るもの



眺めて「いる」時、「いた」時。



いつも人生に波がある。





今はどちらか、分からない。





ただ、「ハープ」と「毛玉」がいつも基準で
死ぬまで変わらないと思う。


意識していなくても


この二つだけは。



















最近は愛猫の認知症が進み

老猫特有の耳をつく、なりふり構わずに朝も晩も金切り声で叫び散らす。

老いは仕方ない。




耳が神経質な私は睡眠も多く出来なくなり

切ない気持ちになる時が本当に多くなった。


しかし16年前と変わらず可愛いし、より可愛く宝物であることは
変わらない。


誰よりも長く一緒にいる子だから
私が出来ることすべてをやって行きたいと心に確認する。


お世話になっている動物病院にも
もし(認知症が)難しくなったら言ってください。と言われた。


難しくなる時、それはいつなのだろうか。






私は鷹匠にも花火師にも音楽家にもなりたかった。



時間は有限の中、朦朧とすることにより
自分を思い出し
時を駆けるのだ。




Amitié






Le son de la Mer
海音







(Hiver à Paris et mon chat en 2010)