2019年10月4日金曜日

世界遺産 天台宗東北大本山 中尊寺 千葉海音コンサート 2019




晩秋〜
     一隅を照らす音楽を、あなたと共に


世界遺産 中尊寺 かんざん亭 千葉海音コンサート 2019


ゲスト 黒色すみれ



日時  2019年 11月10日(日)13時開場 13時30分開演


料金 大人 2,500円(1ドリンク付き) 
   幼児から高校生まで入場無料および1ドリンク無料


チケット  限定120枚、当日券のみ12時30分より
                     かんざん亭入り口にて発売
     (⭐︎お釣りが無いようにお願い致します。)


会場 天台宗 東北大本山 中尊寺 かんざん亭
 
   岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202



お問い合わせ   0191-46-2211 (中尊寺参拝事業部)

  またはこちらのアドレス(千葉宛)まで宜しくお願い致します。
                

              


♪当日、中尊寺内で菊まつりが開催中でございます。
このご機会に、世界遺産 中尊寺で金色堂、菊まつり、コンサートを
お楽しみ下さいませ。


♪またコンサート内容や、ゲストの黒色すみれにつきましては
ブログで追い追い、ご紹介をして参ります。



お楽しみにいらして下さいませ。




心を込めて。




Le son de la Mer 海音

2019年9月30日月曜日

自分の声を、握り締めるな


私は、まだ、人に触れたことの無い「風」である。





これからを、そう初心に秘めながら

明日を歩む。


















「あなた、自分の声をずっと握りしめて来たんだと思う。

 あなたの声、もっと外に、周りの人に出して良いんだよ。」


声って、本来、そう言うものだからね。






私は最近、15年ぶりに本格的なヴォイストレーニングを再開した。

(以前はConservatoire de Bagneux
バニュー市立音楽院の声楽科で3年程学んだ)




何故、ヴォイストレーニングを再開したかと言うと

今年の5月あたりに、ふと、目にした音楽オーディションに応募をして
合格したから。

ある有名な音楽プロデューサーが1曲、私のために曲を提供して下さり
ゆくゆくは、その歌を私が歌い
カラオケのJOYSOUND(ジョイサウンド)にも入り
何社かインターネット配信もして下さる。
レコーディングなども。


その準備の為の、本格的なヴォイストレーニングだ。





もう私は、受かるとも受からないとも、どちらも思っていない。
ただ、いつも全身全霊の精一杯。
それでダメなら仕方ない。ご縁が無かったと。




そのオーディションは、履歴書は必要なかった。
有名なプロデューサーや、音楽家の前で「アカペラ」で1曲歌うのみ。
その他、簡単な質問がある。




私は5年前から歌い出した「Over the Rainbow」をフランス語で歌った。
(発売している4枚目のCDにも入っている)

それしか、アカペラの持ち曲が無かったのと
子供の頃から「オズの魔法使い」が大好きだったから。





もうコンクールも、オーディションも興味がない。





それに、それどころでは....それどころでは無い気がした。
生きて行くので精一杯で。





ただ、視界に入った
このオーディションを、何故だか....受けようと思った。








私は自分の、人生を変えたかった。
もがくばかりで、1年1年と減りゆく寿命を
惜しんでいた気がする。






それでも、自分を信じていたし
挑戦し続けたいと

もがけば、もがく程に
吹き出す「泡」に人知れず、その強い思いを入れていた。




















「自分の声を握りしめるな、もっと楽に外に出して良い。」




新しい先生は、そう言ってくれた。

素直にそうしたい。





まだ、人に触れたことの無い、風のように
新たな風道を、初心と共に
私は飛んでゆくのです。










このオーディション合格のご報告は
SNS(INSTAGRAM、特にFacebook )で今迄で1番の大きな反響があり
沢山のメッセージやコメントを
本当に有難うございました。




いつも陰ながら支えて下さり、応援して下さる皆様に
限りない

心を込めて。







Le son de la Mer 海音





2019年7月24日水曜日

自分の井戸を掘る







自分の墓場を夜な夜な掘って、その前で踊るよりも

自分の井戸を齷齪(あくせく)しながら、この中で泉を掘り続ける。

自分の人生を「井戸」と例えると

疲れ果てて「自分を掘る」ことを止めてしまい動けなくなる事もある。

しかし、時を経て己の泉を求めて「自分を掘り、自分の泉を求める」

それは永劫に続くようだが、有限の命は突然と終焉を与えてくれる。

いつでも、その準備をしなければならない。






私は非常に正直者で、よく馬鹿を見ると言われるが
そういう風にしか、生きる術を知らないのだから
いいと思う。



このような私でさえ、応援して下さる方々がいるのだから
良い音楽をいつも求めていたい。



それが「私の井戸」を掘り続ける理由だ。





あと、最近、吹っ切れた事があったので思う事がある。

人とは「人を、こういう人間だ」と決めつけたがる傾向がある。

例えば、こうだ。



「君みたいな人間は、非常に変態で変わっているから
普通の男や女といるだけでは満足が出来やしないだろう?
厭、君みたいな人間はお手上げの人の方が多いのじゃない?
自分なんか、どうだい?変わっていて面白いよ。」



私はこういう風に言われるのが今まで多かったのですが
全くを持って、そう思いません。

変な人ではなく、静かに居たいのです。

変で面白い人は要りません。

私は静かに居たいのです。

普通で良いです。

一緒に海に行き泳ぎ、山々や空を仰ぎ、自然を共に分かち合う。

星々を眺め、共に眠りにつく....そういう人と一緒に居たい。



高望みなぞ、しない。

人の営みを、自然を、流れのままに感じれる人と一緒に居たいのです。



娘と私が少しでも笑顔で生きて行けるよう
自分の井戸を掘り続ける。



叱り過ぎた娘の寝顔を見ながら
彷徨い続けても、夜は何も、答えてはくれない。






梅雨が明けたら、逢いたい人がいる。

その人に尋ねてみよう。

雲の行く先、心の行き先を。

井戸の深さを。





Le son de la Mer
海音





2019年7月19日金曜日

美醜綺譚



       野鳥のヴィンテージネクタイとタキシード男装







先日、大阪パリ祭に出演をさせて頂いた。

今回で2回目の出演は嬉しい再会、新しい出逢いにも恵まれ
益々、大阪という地が好きになった。

シャンソン歌手として来年で20年になる。

でも、今は仏語シャンソンも歌う音楽家として活動している。











      


      役者でシャンソン歌手の素敵な市原民子さんと。










パリにいた頃、趣味で作詞作曲を再開し
友人宅のパーティーでその作品らをピアノ弾き語りで披露したところ
日本から来ていた女性の起業家の方と
劇団レトルト内閣という劇団の演出家、劇作家の三名刺繍が
私に声を掛けてくれた。

日本でコンサートをやらないか、うちの劇団にゲストで出ないか、と。
驚いた。もう既に、趣味の作曲だったからだ。




日本での初めてのワンマンコンサートは神戸の「キタノサーカス」と言う
異人館近くの洒落た場所で行なった。

カメラマンも来て下さり
女優の夏目雅子さんの専属のカメラマンだった。
神戸のタウン誌の取材やラジオにも出演した。

そして、劇団レトルト内閣への私の全曲楽曲提供と
全編、グランドピアノでの即興演奏を含む音楽家としてのゲスト
主人公の分身としての役柄だった。




今では本当に仲の良い三名刺繍。
彼女の打つ芝居は、1公演で1000人以上の動員を動かす。


そんな彼女と15年目の付き合いになり
大阪パリ祭の前日に一緒に飲んだ。


今は心底知れた人と飲むこともないので
本当に自由に楽しかった。



年内に関西方面で小さくても良いから
久しぶりにライブをしようと思った。





      三名刺繍と...私がエビカツサンドが好きと覚えていてくれて
      美味しいお店を予約してくれた。嬉しかった。





私は日本のシャンソン界に席を置いていないし
そういうのは好きではないから
(誰かの傘下に入ること、小学の頃に酷いイジメに遭い
小学6年時は1年以上全く学校には行かなかった。
もう、それ以来ひとりで行動している)

上下関係すら興味なく
いちシャンソン歌手として会場でも過ごしている。



今後の私のコンサートのチラシを宣伝として
参加されているシャンソン歌手の方々にご挨拶をして渡し歩いた。

あるシャンソン歌手が私が手渡したチラシを受け取ると
折り曲げて、ウチワがわりにパタパタと私に見えるように
わざと仰ぎ始めた。



20代に出ていたシャンソンのコンクールでも
そういう事はいくらでもあったが
久々に目の前で、されたな...と思った。




「暑かったに違いない。」


そう決めて、思い、忘れた方がいい。
大好きな尊敬するシャンソン歌手の方が、私に言ってくれた。
力強いな、美しい人だなと思った。






今の、私の周りは日本でも、海外でも
美しい人ばかりだから
そういう行為をする人が奇異で、宇宙人のように感じた。



芸術の世界に、もの心がつく前からいる為
嫉妬、ヤキモチ、イジメは日常茶飯事で見慣れて来たが

やはり、そういう人は可哀想だ。




たとえ、私より拍手喝采であっても、美しいドレスをしていたとしても。
























関西は好きだ。

私に初めて「コンサート」をさせてくれた人々がいるからだ。
そして、どの土地よりも多くコンサートをされて頂いている。


その分、傷という学びも昔はあった。



今は傷つかない。


何故なら、もうそういう事には興味がないからだ。






楽しい大阪滞在だった。


本当にいつも有難うございます。




満席の大丸心斎橋劇場、緊張の高揚感

これこそ演奏家としての醍醐味。





音楽、それは生きる、私のよろこび。






心を込めて。





Le son de la Mer
海音






♪〜〜次回コンサート〜〜♪ 
2019年9月7日(日)14時 千葉県君津市市民ホール 大ホール
近日中に詳細をアップいたします。







2019年6月17日月曜日

悪魔的でローズマリーの答え







炎天下の中に、風の又三郎みたく歩いているのだけど、私は。

こう言う、娘とブラブラと歩いている時が

一番、自分らしいと感じる。

墨絵みたいな季節や、かすれた声だっていいのだから


色々楽しもうと思うのです。





去年から今日に至るまで、自分の人生の「なりたくないような人」

または、それらを反面教師の「師」と言いたもう。

特に多かったですね。




私は悪魔的に演じることが出来るので(そうではないと表現者ではないでしょ)

お酒を飲んでも、素面でも

どこまでも面倒臭いことになってしまうので

もう一人になることに決めたんです。

まあ、いつもそうなのだけど
娘もいるし
老猫になったミロンガもいる。


人付き合いで

自分に嘘をついて生きるのが一番苦手で厭だから。


日本人の男性はもういいかも。





















それに変化、進化して行くことが面白い。

以前は文学的な言葉や漢字を使って表現していたけれど

日本に来てからは「ひらがな」を敢えて使用するようになった。

そのほうが、視界からの響きがあり

詩的だから。




以前、フランスの書物で読んだことがあるのですが

「美しい」とは「気に入っている」

「美しい」とは「目の中にある」

それぞれの解釈なのでしょうけれど、それもあるなと思います。

美しい王道なぞ、人それぞれだから。




私は幼少期から、退廃美を非常に好んで来たけれど

滅びゆく寿命の日まで、貝殻を海岸で拾い集めたいとも思うし

何が正しくて、良いなんて、自分でもわからないでしょう。

変わりゆくのだから。



例えば


10年前まではゲランの香水を好んでいたけれど

現在は、フレデリック  マルの香水がお気に入りだし
東京の家の周りのローズマリーやラヴェンダーの香りに包まれたら
幸せだし。


特に、ローズマリーのヘアワックスを纏うことが多いから
「あなたはローズマリーの人ね。」と言われて嬉しかったり。

















あとはお酒を最近やめて感じたこと。

大きくは、あまりないです。

神経症が軽くなったこと。

睡眠の質は、言葉には表現出来ないけれど
確実に変化したのは確か。
深く眠れるようになった。


元々、低血圧のため
お酒を夜に飲んでも、飲まない生活に切り替えても
朝は起きれませんね 笑

ただ、寝起きの軽さは流石に違いますし
浮腫まなくなった。


あと、シャンパーニュやワイン瓶が出なくなったから
ゴミ出しの時がシンプルになった、とか。

365日、毎日シャンパーニュやワインを飲んでいたので
変化は身を以て感じます。

今でも家の地下に頂いたものが残っているから


本当に一緒に飲みたい人とだけ
いづれ開けるのかな。


そんな気軽な感じでいます。



絶対、自分はこうじゃないと行けない

美は、こうじゃないと行けない

それは堅苦しいし、事実、そのようなのは美ではない。

自らの心身に、重い枷(かせ)や楔(くさび)をつけるのは
それ自体、もう美ではない。


そのまま、か、無意識の不断の努力のみにしか
生まれないのかしらね、と思います。







私はサーフィンやスキューバーダイビングや素潜りがしたいから
自分の履歴とか全然関係ない人生の選択も沢山したいし



今週は、書道の2次面接試験、音楽のオーディション、声のワークショップ....
色々だけど

やるだけやって来ているから
背伸びしないのが一番。





雨は友だち、風も友だち、だから負けとかも無い。

だけど私は風の又三郎みたくいるのが好き。


Je suis comme je suis!





Instagramが好きなので、日びの揺らぎはこちらでどうぞ。





7月13日(土)は大阪パリ祭に出ます。
















今日も呼んで下さり、どうも有難うございます。





amitié.




Le son de la Mer
海音






2019年6月2日日曜日

9月7日 千葉県君津市民ホール大ホールの演奏ご案内




         千葉県君津市民ホール 大ホール






こんにちは。

6月になりました。

雨音が季節の音で一番好きかもしれません。

次に好きなのは
遠くを飛ぶ、どこか遠くへ向かう飛行機の音です。








みなさま、「松本ピアノ」をご存知でしょうか?


「松本ピアノ」は明治時代に君津市常代出身の松本新吉が創立した
ピアノ製造メーカーです。

ピアノの響きを決める響板には国産(北海道産)のエゾマツを採用し
やや低めで優しい、室内向きの音色が特徴の(SWEET TONE)ピアノを
作りました。

戦前の国内三大ピアノ メーカー
「松本」「西川オルガン」「山葉(ヤマハ)」の一つとして数えられ
当時は『見栄えの山葉、音色の松本』と評され人気を博していました。
松本新吉、息子の真治、孫の新一のピアノ製造の技は伝承され
1991年に製造工場が操業停止されるまで作り続けられました。


(〜君津市発祥のスイート トーン「松本ピアノ」〜 )より抜粋








  









現在、私がパリから持ち帰ったピアノを調律して下さるのは
この松本ピアノの松本花子さんと言う、素晴らしい調律師さんです。

そして毎年2回行われます
「松本ピアノ コンサート Stage on Stage vol.23」に私を推薦して下さり
9月7日(土)に行われる
君津市民ホール 大ホールで演奏(ライブ)をする運びとなりました。




この *Stage on Stage *と言いますのは
大ホールのステージいっぱいに、お客様をお呼びして
同じステージで「松本ピアノ」の音色を楽しみながら
ライブ感満載のコンサートを致します。

勿論、お座りになる椅子はございますよ^^



かなりユニークなコンサートですよね。





先日、娘を連れて
初めて千葉県君津市の市民ホールへご挨拶と打ち合わせの為
足を運びました。

牧歌的で.....都心よりも、そよ風が涼しく気持ち良い土地でした。
空気が澄んで気持ち良い街でした。



松本ピアノを試演させて頂きましたが
このような音のピアノは初めてで、大変、驚きました。

繊細な瑠璃色をした....優しい光の玉が
いくつも、いくつも転げて行くような...
何とも言えない音色に、ある意味、胸を締め付けられました。


パリで欧米ピアノ ブランドのピアノは
殆ど弾きましたが
このようなピアノの音色は、人生で初めてだったからです。


だからこそ、この松本ピアノでクラシックは何を弾こうかと
考えた時、ワクワクしたのです。




そして大ホールを後ろから眺めた時に、感じた事がありました。



最近では「大阪パリ祭」にもお声を掛けて頂き
大きなホールでピアノを弾き語る機会を、有難く頂きておりますが

今まで音楽をコツコツと40年近くやって来て
本当に小さな会場で3,4人しかお客様が来なかった時代もあり
パリでプロになりながらも、下積み時代も長かった現実があります。


私の夢は


「大ホールで、オーケストラをバックにピアノ弾き語りをする事」が
私の夢です。

いつも、いつも描いて来ました。

そして
その高揚感と良い緊張感と、拍手と、感謝の躍動感あるビジョンを
20年くらい心の中で描き続けて来ました。




想像以下に
6年前に日本に来た時は
生活が苦しく、それ所ではありませんでした。

しかし、今回で一つ、自分は夢を片方掴んだのだと確信しました。


何故なら
ワンマンで大ホールで演奏出来るチャンスを頂いたのですから。


周りの方々は
私の音楽は小さい会場で聴きたいと、その方が合っていると
言う方がおります。

それも、一理あるかもしれませんが
やはり表現者として、私はどんどん大きくなって行きたい。

大きなホールで、会場でやって行きたいのです。

それが、私の昔からの夢です。














5帖ほどの小さな寝室から、隣で寝息を立てている娘の隣で
このブログを綴っています。


小さな限られた場所からでも
大きな夢は、変わらずに、夢が溢れている。



雨風しのげて、ピアノがあれば、それで良いと
パリにいた頃から思っていました。

そこに娘も、猫もいるのですから
私は幸せです。







「松本ピアノ コンサート Stage on Stage vol.23」の詳細は
来月あたりにフライヤーが出来ると思われますので
またご紹介をさせて下さいませ。




最後に、推薦をして下さいました松本花子さん
そして、小さな一ピアニストとして伝統ある「松本ピアノ」を
時を超えて弾く事が出来る喜びに

心より感謝を申し上げます。



いつも読んで下さいまして
どうも有難うございます。







Le son de la Mer
海音








2019年5月21日火曜日

全身全霊で清く沈む(ご報告)







*今年の主な活動(5月22日現在)

7月13日(土) 大阪パリ祭 出演 大丸心斎橋劇場 15時開演

9月7日 (土) 千葉県 君津市民文化ホール 大ホール 
       「松本ピアノコンサート Stage on Stage vol.23」

11月10日(日)  岩手県 世界遺産 中尊寺 かんざん亭  
         ゲスト 黒色すみれ




*最近のyoutube  
 キールタンヨガのKairava Devi Dasiとの沖縄でのOver the Rainbow








先日、誕生日だったが、自分にプレゼントするものを
もう決めていた。


それは物質ではなく

お酒を飲まない人生を自分にプレゼントした事だ。


この20年以上、お酒を飲んで来たが
アルコール依存症とも戦いながら
スパッと辞めた。


娘の妊娠を機に、ヘビースモーカーも辞め
自分の誕生日に依存症のお酒を辞め
カフェインアレルギーの為、コーヒーやお茶は昔から全く飲まない。


今、楽しいことは
娘と食べる八朔(はっさく)を綺麗に剥くこと。
そして、日記を綴ること。



やっと最近、インターネットを少しずつ見る様になったが
SNSやブログは見ていない。

脳が拒否するからだ。




容易な拍手を求めるくらいならば
演奏も表現も、何もかも、しないほうがマシなのだ。

だから私は徹底して、自分が、心身が回復するまでは
人前には現れない。

それは、自分のバランスを取る為だ。





最近、あまりに酷いなと言う事が重なった。
他人は自分の鏡と言うが
本当にそうだろうか?

もう、そう言うことに関しても
色々なことに、一々、意味ずけをすることも辞めて
もっとシンプルに風の様に生きたくなった。


風の様に、生きていたはずだったが
そうではなくなっていたから。




今しばらく、静かに自分と向き合いたい。




ですから、ハイヒールレッスンを楽しみにしていて下さいました方々には
大変申し訳ございません。

より良い意味での、自分の深みに触れるためと
作曲と創作活動を優先とするため
現在に於きましては募集を致しませんが
ゆくゆくは募集をしたいと感じます。

どうぞ宜しくお願い致します。


かろうじて、ピアノレッスンのみ人数限定で募集致します。
(徐々にフランス語シャンソンも募集しようと思います。)

近日中に、より詳しい募集要項をブログに綴りますので
ご希望の方はお待ち下さいませ。








....それが、美しい「音」なのか
そうではない、ものなのか。


それは、その人だ。



もし美しくなければ、より探し求めるのが人生だと
私は思っている。



探し求めよ、そうすれば与えられる....と聖書にもある様に
それを素直に
探し続ける音楽家でいたい。






今は、誰にも逢わずに
八朔(はっさく)の皮を綺麗に向き
日記をランプの下で綴り
作曲に浸り




私は
自分の時間の流れと、バランスを死守し
生きる触覚、感覚を信じて
自分に、全身全霊で清く沈む。


















Amitié





Le son de la Mer
海音








5月の須川山(栗駒岳)を仰ぐ。大好きだった祖父母と叔母を思い出す。



2019年4月29日月曜日

ASAMI-PARISのハイヒール コンサルティングを終えて -闇の歌は、光と友達です-


闇は星々や月が友達です。

誰か寂しい人がいたら

闇は、その友達と相談をして

静かに優しく光を、永劫に漆黒を貫き通すが

くべてあげるのです。







よく、言われます。

私は小さい頃から恵まれた環境に生まれ
賞を沢山受賞して
パリにも留学し
ピアニスト資格も取り
シャンソンのプロにもなった
子供にも恵まれ
音楽活動をして
小さな一軒家に住み
....




羨ましい!と。



本当にそう思うのか?


そう、確かに私は強運であり、努力家であり....




勝手な想像力で人を作り上げるのは、辞めたまえ。






誰だってそうなのだ。
コンプレックスの塊である己を歌うのは、歌いやすい。
人は堕ちた歌が、悲壮歌が歌いやすい。

しかし「現」として人前に己を晒(さら)すのは
どれだけ、どれだけ、心が引き千切られる様になるのかを。
自分を愛していない人は特にそう、感じるだろう。








今夜、遅い時間にASAMIさんとの時間に幕が下りた。
本当は降りないで欲しかった。
しかし、いつまでも同じ季節はつづかない。



コンサルを始めた9月末は
久々の
パリの里帰りから娘と東京に戻り
コーチを目指すどころか、2011年にASAMIさんからご指導されていた時の
「感覚」

それが思い出せない。

気持ちも、ぐちゃぐちゃ。




今だからこそ、言えるが

追い討ちをかける様に
パリに行く直前にゲリラ豪雨の雷で
家の天井や壁や電灯の多くが落下してしまいボロボロの部屋でコンサルを始めた。
(仕事道具であるフランスから持ち帰った
グランドピアノとハープだけは難を逃れた)

家の中を見渡しては、ため息を吐きながら
....以前、履いていたジミーチューのハイヒールを
5年ぶりに引っ張り出して
フラフラと履き、ASAMIさんの前に現れていたと思う。





7ヶ月は流れ星より早かったと思う。

ASAMIさんの厳しさに、負けん気の私は
「なにくそ、なにくそ!」と思い「自分なりに」立ち向かってきたが
惨敗しっぱなしだった。


まるで口角は上がっているのに、「廃人の歌」でも歌いながら(笑)
喰い付いている様でしかない。
当たり前だ。




以前も少し触れたが

仕事や育児に疲れて
うたた寝してしまい、ASAMIさんの電話で目が覚める始末

お付き合いの飲み会の帰りに
お酒が入ったままでのレッスン

ハイヒールから程遠い土地での仕事で
全く、身体の軸が無くなってしまった時のレッスン。



ASAMIさんは糸も変わらず
いつものまま、真摯に厳しく、向き合って下さった。







....







日本に来てから、目標をなくし
自分をも偽って
自分に見合わない音楽以外の仕事を毎日こなし
シングルマザーでいる日びは
タコの紐が切れてしまった、タコの様だった。


自分と言う「プロ」を辞めざるを得ない状況から逃れられなった。





そこに、本当に久々にASAMIさんの眼差しと精神が
鉄線の火花の様に入って来た。







  ASAMIさんに出逢った頃の2011年の私
    震災の慰問として日本各地でコンサートを行った(こちらは地元 岩手)



    最近、沖縄で出逢ったギニアと日本のハーフの女の子。
    アフリカンダンスの時。本当に愛らしく可愛い。





コンサルを終えて
私は、日本の女性の皆さんにお伝えしたいことがある。



それは、もう自分を解放して下さい。
そして、もっとこれから自由になって下さい。



8cmでも、12cmでも、15cmでも
ハイヒールを
お履きになられて歩きたいのであれば
そうしましょう。




アラフォーとかアラサーとかアラフィフとか
ご自分を区切るのは辞めませんか?
(日本はジャンルをつけて色眼鏡で相手を見るのが本当にお得意)




実は私はひどく、潔癖や、コンプレックスで
ミニスカートはもう一生履く事はないと思っていました。

コンプレックスのあまり
凄い若い時から
自分の足に大きなメスを入れて、人体実験や
脂肪を溶かす注射を全身に施したり
病的なくらいでした。
(顔とか整形はしておりませんが)


小さい頃から、もっと、もっと出来る、いつも1位を目指し
しかし、反対にはデブ、ブス、大根足と言われ
もう逃げ場がなかった時代があります。


はっきり言うと常に心は爆発寸前で
岡本太郎が大好きだけど
黙って口だけ笑っているタイプでした。





だからね、私は言いたいのです。

どんな体でも、いいから
ハイヒールをお履きになりたければ
是非、履きましょう、履いてみませんか?


ミニスカートをお履きになりたければ
何歳であろうと履いてみませんか?


ただ、心をそう決めたのなら
一緒に
第一歩を、歩みませんか?と。




何故なら
私はASAMIさんのコンサルを受けて
履きたいハイヒールも
纏いたかったミニのワンピースも

人生で初めて、選べる自信や
己の解放ができる様になったからです。






最後に

以前、パリで最後に住んでいたアパルトマンの近くに
マリアカラスが孤独に晩年住んでいたアパルトマンがあり
いつも、ピアノのお生徒さんの家からの帰りや
コンセルヴァトワールからの帰りに
彼女のいたお部屋を、眺めていた。

ああ、彼女も孤独だったのだな。
だったら
私もやっていけるな、と。

彼女とは桁違いなくらいの、自分かもしれないけれど

また、一からやって行けるな、と。


その時々を思い出し


静かに始動してゆくのです、人生は。







ASAMIさんへ、限りない愛とともに。

いつも読んで下さる皆様へ

笑顔を込めて。





私は出来るのであれば
本当は全てに女性に寄り添いたいです。

出来る限りですが
音楽家としても、ハイヒールコーチとしても。




それは
誰にも言えないことばかりの人生を過ごして来たからです。



闇の歌は、光と友達です。





***
Le son de la Merのハイヒールレッスン
および音楽レッスン(ピアノ、仏語シャンソン)
5月15日(月)より始めさせていただきます。

近日中より、募集を開始いたします。
Blogの右側にある連絡フォームより
ご予約、お問い合わせを受け付け承ります
***





Amitié





Le son de la Mer
海音






2019年4月23日火曜日

この世を忘れて、花になる






プロとは何だろう、そう描く時に浮かんで来たのは

楽しむ事よりも、夢中でやっている「何か」。

夢中でやっていると「楽しい」とか「辛い」とか思わぬものだ。


私は2歳半から書道家の祖母に書道を学び、4歳頃から音楽を始めた。
時間の流れは、こうだ。
遊ぶことは無いのだ。
何故なら、ずっと書きっぱなし、弾きっぱなしなのだから。

そう過ごすことが実は遊びだったのかもしれない。



しかし、やがてコンクールや大会が入ってくると
そうも行かない時がある。

純粋に何かをやっていても大人の事情で
捻じ曲げられる結果を目の前にする。

僻み(ひがみ)が妬みは、どこの世界にも、どこの国にもある。
何せ、私たちは人間なのだから。


以前、ブログでの綴ったが私には欠けている感情がある。
それは「嫉妬や、焼きもち」と言うもの。

あまり人に興味がないので湧かない感情だ。
唯一、私が子供の頃に嫉妬をしたのはすぐ下の弟のみだ。

非常に体が弱く、非常に頭が良かったからだ。

私は常に元気で、非常に努力家だったからだ。



話は戻るが、身内が亡くなっても
日本には一切、戻らなかった。
優先すべきことは音楽である事と分かっていたし
亡くなって行った身内の親愛なる人々は
私が反対にお葬式に出ないことを「私らしい」と喜んでいたに違いない。

そう、私は知っているし、他の選択は無い。
プロとして生きる道筋として。





       




書道も、ピアノも幼少期からのものであるが
ハイヒールは昨年の秋からである。

「指導する側」には責任がある。

ピアノ講師はパリで7年程やっていたが
プレイヤー気質の私にとっては「教えること」に興味があまり無く
初めのうちは精神的に厳しく感じた。

そうは言うものの、7年間もフランス語で指導出来たのは
どうしてだったのかと考える。



先日、ハイヒールのモニターレッスンを有難く行った。
必死すぎて、あっという間に2時間は過ぎてしまい
終焉後に

「ああ、あそこは断然にこういう風に注意を促すべきだった」

「教えることに必死過ぎて肝心な所に焦点が行っていない。」

「(私の)言葉と脳が繋がっていない」

.....などと
目を瞑ると沢山の反省が、泉の様に湧き上がって来た。

情熱はあっても良いが、もっと的を得た「情熱」をすべきだ。





何事に於いても「やればやるほど、奥が深い。」
学びに終わりがないように

「もっと自分は出来るのではないか?」
「もっと自分は惜しみなく出来たのではないか?」と思ってくる。




プロはわかる。プロに近づけば、分かってくる。

自分が
どのくらいの力を持っているか。出来るのかを。


まだまだ私はハイヒールを教えるに当たり
旅の途中で、階段を美しく上がりながらも
満ち満ちていないレヴェルである。



クライアントが「心から、変わりたい」
そうであれば、生半可な教え方ではどうにもならない。

クライアントが「心から、変わりたい」のであれば
己も「心から、変わる」ことをせねば。



(音楽レッスンの例え)
子供ならまだしも、親に習い事を嫌々させられて
2,3ヶ月も同じ曲をダラダラと練習もせずに持ってくる。
これは仕方ない。よくあるパターンだ。

そうなるとこちらも、もう情熱的には注意をしなくなる。
何ごともそうだが、何も言われなくなったら、もうお終いだ。



しかし、ハイヒールレッスンを受講されたい方は
殆どが「自分の意思」で学び始め、安くはないお月謝を払う。




このブログの初めに綴った
「プレイヤー気質の私が何故
ピアノ講師としてフランス語で教えられたか」



それは、音楽の喜びや楽しみを教える小さな伝道者として
美しさや、豊満な色彩の世界を分かち合える音楽の旅人として
きっと誰かに音楽を伝えたくなったのだろう。



だとしたら、ハイヒールコーチとしてならば

女性の特権として、優美さ、美しさ、楽しさ、誇り、しなやかさ
まどろみの中には無い「現実の女性」としての「姿」にある生命の
美しさをより確立させるものとして、私は「これからの女性」と共に
美しい足跡を作って行きたのかもしれない。





足跡とは、いづれ消えて無くなるものだ。

だからこそ、諸行無常の中で「どれだけ美しく」自分の人生を歩めたか。



それを、女性はハイヒールで描くことが出来る唯一の生き物である。


そのプロを目指すとはモンブランの山よりも厳しい気もするが
ある意味、生きている「価値」を試される事とと言えよう。




プロとは夢中で地獄を歩き
いづれ立ち止まった時に天国を見る伝道者であろうか。



Amitié



Le son de la Mer
海音





        

2019年4月12日金曜日

唇に、赤い歌を乗せる


                影遊び



赤い口紅をつけることは、コンサートの時か撮影の時のみだった。

しかし、先日のモニターレッスンの際は忘れていたが

赤い口紅をつけていたことをASAMIさんが教えて下さり

あゝ、そうだった...か。と朧げに記憶を心に映した。

一生懸命過ぎたのと、娘の体調があまりに酷かったので

自分が何色の口紅を乗せたのか憶えていなかった。

もしくは
そういう時だからこそ「赤い口紅」を無意識に選んでいたのか。



そして普段の生活から赤い口紅を乗せることは
また新たな未来を描くことになりそうだ。


以前、真っ赤な髪の毛にしたり、真っ赤なコートを纏っていた。
今は自分も進化し、もう、そうではない。


そうか、だったら

唇に赤い歌を乗せればいい。



普段、口紅は青いベージュや青いピンクしか乗せなかった。



以前、私の目を赤色と青色で描いてくれた画家がいた。
だから
どちらでも良いのだ。

選択は。



1日の質を上げる「選択」をすると言う事。





そうそう、先日、娘の入学式でブルタンのオープントゥの
ハイヒールを履こうと思っていたが
あいにくの大雨で、泣く泣く数年前に履いていた
ベーシックなパンプスに変更することにした。

心の中ではルブタンやジミーチュウよりもヒールが低いし
当時は吸い付くように、自分にとっては履き心地の良い
ハイヒールであったので
久しぶりでも大丈夫であろうと思ったのが最後。


本当に久々に、酷い靴づれになり
我慢出来ぬほどに...皮が大きく深く刳れていた。

ASAMIさんとのハイヒールレッスン時にも支障がある為
ハイヒールを履いてのウォーキングはASAMIさんのお計らいで
女性の性のストレッチに変更をして貰った程であった。

それ位、痛みをかばってしまう自分を分かっていたので
本当に的確なASAMIさんの変更が天国に感じて仕方なかった。



ASAMIさんが仰ったこと、それが
「もう波動が違いすぎるのですよ。」


確かに。

その靴づれを起こしたハイヒールパンプスは
お値段もお手頃、ヒールも7-8cm、形の無難
メゾンではなく
国産の女性アパレルメーカーから出ている物であった。



そうか。
あの頃の自分ではもうないのだから
あの頃の「波動」のハイヒールを履いていたら
それは靴づれになるのだな。


当たり前なのだな。


今はもう、違うのだもの。




「波動」や「質」とは
この「日常」から選ぶもので全てが変わってくる。


かつて、数年前はこのパンプスが己にとって
一番履き心地が良く、気に入っていた。

しかし、今は、私の足を引っ張るものとなっていた。



それは、ふと思えば
人間関係もそういう時があるだろう。




全ては同じで繋がってるいる。




潔く、そのパンプスを手放し
私は新しい外用のルブタンを迎えたいと思うようになった。



赤い薔薇の歌を、唇に。

今の私の呼吸を、足先に。




心軽やかに
明日はどこかへ探しに行こうか。



春だ、春だから。





Amitié





Le son de la Mer
海音







2019年4月9日火曜日

靴と、子どもと、老子(モニターレッスン後に蘇る思い)



               近所の川
   
    














このブログを綴る前に祈りたい事がある。

それはある小さな少年の事だ。

先日、娘の新しい運動靴を靴屋さんへ購入しに行った際に
あまりに酷い光景と言葉を見た。

きっと、その母親は家でもその少年に罵声と虐待をしているであろうと
直感で感じた。

この靴が欲しい、これは?と持ってくる少年に母親は

「高いんだよっ!うちには金がないんだよっ!」云々叫ぶ母親。


この母親、特別ではない。
何故なら、昔の私もそうなりそうだったから。

少年の姿を私は見ていられなかった。

それからずっと少年のことを思い出し
その子が豊かで笑顔のこれからを想像し
明るい顔で母親といることを描きながら夜空を仰いだ。



そしてお金が無いと言いながら、子供達よりふくよかな体格。
これはもう自己管理が出来てない
だらしないものだった。

子供に泣け無しの量でも多く分け与えていたら
そんなことに、ならないであろう。

気が遠くなる瞬間だった。


娘も新しい靴を試して、一生懸命に履いている最中に
その罵倒する声を、驚いた顔で聞いていた。

私は見せたくなく、聞かせたく無かった。



子供に欲しい、履きたい運動靴を購入する。
しかし色々、どの家庭でも事情がある。


ただ
私は娘が欲しい靴や、運動靴を小さなうちは
いつまでも買ってあげれる親でいたいと思った。

その光景が私に見せた、ある見知らぬ親子の映像は
きっと色々な意味が心に流れ、とめどなく心をえぐられた。


その幼い少年が、今夜ゆっくり眠れているように
小さく祈るのだった。










先週の土曜日にモニターレッスンを行った。

実はその二日目から娘の体調が崩れ、39度のまま下がらなかった。
しかしモニターレッスンの時間は迫って来た。

当日は復習や、確認をする余裕が無かった。
モニターレッスンの前後に小児科に連れて行ったからだ。

こう言う時は、よくある。
本業の音楽にさえ、100練習していても
本番直前にアクシデントや、如何しようも無い事が。




そう時は、あきらめる。

老子が昔、語ったはずだ。


「あきらめよう、そうしたら上手く行く。」



もがく程、苦しい。

あとは呼吸を整えてその時をお迎えする。
もう、そうしようと決めたのだった。




モニターレッスンの最中は、回数を誤ってお伝えしたり
モニターの全身のバランスをあまり多く見れず
伝えきれない注意点が沢山あったことが
レッスン後も私の心の蟠り(わだかまり)として残った。

しかし、モニターである彼女の上半身は美しく
猫背にも反り腰にもならない軸があった。
これは本当に素晴らしいと思い、思わず何度も

「素晴らしいですね!」と声をかけずにはいられなかった。

私であったら、右か左に傾き、初回は必ず...かなりの猫背であったから。



それにしても、指導することは本当に難儀である。
以前、ヨガのインストラクターの学校に通っていた事があるが
後半でやめてしまった。

何故なら
シンプルに「指導」が自分には持って行けないと感じたからである。



音楽の指導も、より自分が研鑽を積んで行かずして
やっては行けないものだ。


人前で話すことや、表現することは職業上、慣れている。
そしてASAMIさんの「声の哲学」も非常に興味深く
自分に善い探究心を持たせてくれた。

お陰様でより深みのある話仕方を、身に沁みこませている。



だが、本番となった時
たまに緊張から来る、吃る瞬間があった。



そしてモニターさんが
「こんなにも、濃くてハードなレッスンだとは思いませんでした。」と
美しい汗をかきながら真摯に語って下さった事が嬉しかった。





みっちり、2時間
娘の熱が39度であろうと
気持ちを切り替えて、モニターと向かい合えた事だけは
やり遂げたと思った。
(レッスンの内容の細かな指導の良し悪しは別とする。)



やはり、色々な親がいるから
私みたいな親にも、以前はブログを通して誹謗中傷があったが
ただ貫くだけなのだ。

人のことなぞ、言えないではないか。とね。
思う方もいるのでしょうが


だけど、やるしかないですから。





子供にうちにはお金がない!と罵倒するなら
あなたがあなたらしく、働く努力をすべきだから。
甘えるな、と。






お話を戻します。

モニターで来て下さったEさん
またお逢い致しましょう。

自分に多くを気づかせて下さるお時間を
本当に有難うございました。

春風と一緒に尋ねて来て下さり
そして今後の道標を残して下さいました。




心からお礼を申し上げます。





そして、いつもこのブログを読んでくださる皆様にも
感謝を込めて。




Amitié.




Le son de la Mer
海音





2019年4月5日金曜日

新しい自分が、懐かしい(モニターレッスン前夜)







明日は待ちに待った、モニターレッスンの日です。

厭、待ちに待って居なかったと感ずるのです。正直。
早く...嵐のように過ぎ去って欲しい...と呟いていたのも、確かです。


私は何事もエンジンが掛かるのが遅く(ASAMIさんにも言われました)
もしくは、思ったら即行動的な極端な性格なもので

5日前から本格的に取り組み始めました。


一日7-8時間、通しで取り組みました。
集中力にかける為
固形物は食べず、ミネラルウォーターしか口に含まず
睡眠時間もいつもより削り...
最後の一時間ほどは意識が朦朧として
床に座り、目を閉じて、厭、白目をむいて続けました^^;


本来、地獄のようにストイックな人間ですが
日本に帰って来てから(ブログにも沢山綴りましたが)
私は「生き甲斐」が無くなってしまい

心も顔も身体も「ぼんやり」して
一番、自分が好きではないタイプになっておりました。




一つ一つのストレッチやエクササイズに実は夢中になってしまい
時間を忘れて行う始末....
ランニングハイになり、段々とじわじわ夢中に。



ASAMIさんとのハイヒールレッスンやコンサルティングで
一番酷かった思い出は

娘を寝かせて、自分も寝落ちしてしまい
ASAMIさんからの電話で目が覚め、布団から飛び起きる様...

ASAMIさんは私に忍耐を沢山使って下さったのでは...と
頭が上がりません。



子育て、仕事、音楽活動にハイヒールが本格的に人生に入り
やはり産みの苦しみ、とでも言いましょうか
遠慮なく苦しかったです!

しかし、何故ハイヒールに自分が向かうのか?




それは心と身体の進化が、目に見えて分かり
身体の軸が整う度に、心の軸もより強くなり
日びの中で
選択するものが実に、進化して行きました。



そしてプロ音楽家として、今後の舞台のために
表現の彩どりを豊かにし、より美しい自分であるために。




日本は「年齢」で枠を作りたがり
ナンセンスな事を決めたがったりすることが、至極多いですが

ハイヒールで美しく優美に歩くことは
美しい姿勢で過ごすことは
優雅に過ごす事は
何歳になっても実は出来るのです。



その事を、私は自ら体験し始めています。
そして、これからその事を伝える側でもありたいと思います。





娘は0歳の頃から、ASAMIさんと息子さんのPeter君と
一緒に過ごした事があるので、ASAMIさんとの時間をとても理解してくれ
「ママ、がんばってね!」と言い
ハイヒールレッスンとコンサルティングの時間は
違う部屋で、大好きなティンカーベルのDVDを楽しんで観るか
または一人で眠っていてくれました。

小さいながらに私のことを理解して協力をしてくれました。


時に
私のルブタンのハイヒールに、小さな足を入れて
「つま先から!」とか「膝は曲げないんだよね?」と娘が言いながら
歩いている姿は可愛らしいものでした。
(また別の機会にブログに綴ります。)






さて、明日は新しい1日の始まりです。

ASAMIさんをはじめ
Team ASAMIのメンバーの皆さま
そしてハイヒールにご興味がある女性の皆さま

そしてご応募して下さり
今回、お逢い出来ます素敵なモニターさま。


どうぞ宜しくお願い申し上げます。






終わりに


.....この数日で体重が知らずの間に数キロ落ちました。
元に少し戻りました。

顔も引き締まり、心も引き締まり
懐かしい昔の自分を、鏡に映しているようでした。



新しい自分が、懐かしい。



それは「本当の自分」と言うものを
本来、よくよく分かっていたから
懐かしく、新しい気持ちで感じる事が出来ました。




感謝。




Amitié




Le son de la Mer
海音











2019年4月1日月曜日

ママ!2 「一人で揺らしたゆりかご」



                            5年前、無認可保育園に通っていた頃。
                           とても高く、その為だけに必死で働いていた。
                           庭師を勉強させて頂きながら働いていた。













「ママは、可哀想だと思う。いつも自分を責めて苦しんでいるから。

本当は木ちゃんが悪いのに、わがままだから。

でも、ママはいつも後から怒りすぎてごめんね、って言う。

いつもママは自分を責めていると思う。」



最近、ぽろっと私に向かって話し出した。


まだ言葉の引き出しが少ない娘だが
精一杯、私に伝えたかった様だ。



きっといつも彼女は自分の美しい万華鏡から
私を見ているのだ。







真夏に
楽しく歩いているどこかの家族を横目に
汗だくになり、一人黙々とベビーカーを押していた時。

夜泣きが酷く、明け方まで途方に暮れて
娘を抱っこしていた日び。

雨の日にベビーカーが泥濘み(ぬかるみ)にはまり
もう全てを手離したくなり、頬に涙が伝った瞬間
見知らぬ女性がすぐ横に来て、泥濘みからベビーカーを
上げてくれた時。


こういう人もいるのだ....
人生捨てたものではない、と心が緩んだ記憶が
雨の中にある。




いつも一人でベビーカーを押していた記憶は
ゆりかごを揺らした記憶は

ずっと自分の人生が終わるまで
思い出として春風のように吹くのだろう。


それは心の真ん中にある「私の人生の椅子」にたたずむ
.....いづれ、美しい「クッション(土台)」となって行くのだ。





図中にいると判らない。

自分が峠にいる事を。

乗り越えた時、判る。

自分の血潮の行方を。






昨年は色々乗り越えた、と言うよりも
いい加減、もう上の自分らしいステージと生き方をせよ!と言う
お告げだったに違いない。


私は愛を失い、至極、困憊し続け
容易く人を愛したり、尽くしたりする事をやめた。
しかし、恩師は死と引き換えに、最後に愛を置いていってくれた。


恩師が残してくれた愛とは「これからの選択である。」



そに選択をするには、乗り越えなくてはいけないものが沢山あった。
今もある。



いつも厳しい課題を突きつけてくれる恩師は
いつもと変わらぬままだ。


今だから笑える話だが
初めて恩師にピアノを師事した年の夏のバカンスの宿題は
ショパンのエチュード24曲全てを仕上げてくる事だった。


その年の夏は
日本に帰り、大きな舞台や、初めてのワンマンライブが神戸であり
自作曲やシャンソン弾き語り曲だけで30曲以上も
練習しなければいけないのに。


その事を恩師に言っても首を縦には振らなかった。


この現実的に厳しい課題をどう乗り越えてるのか?


これは音楽に限らない。







答えは「思考」を変える事だった。






昨年の秋から、今日まで
「同じ」ことは無くなった。





私はもう、同じ選択は終い(しまい)。


乗り越えると言うことは

「もう、同じ選択をしない。もう、振り向かない。」と言うことか。









娘は私を強くした。

私に一人でベビーカーを押させ、ゆりかごを私に揺らさせた。



今は手を離れ、自転車に乗ってみたいと言う。

時は経ち、もう夜泣きもしない。


その時は
永遠に生きるように苦しい。


しかし、永遠の命はこの世にはなく
明日は新しい1日となる。




Amitié





Le son de la Mer
海音




追伸

今回は初めて書き直しをしました。
今月から自分と向き合える時間が多くなるため
ブログもまた少しずつ更新頻度を多くしようと思います。
いつも読んでくださり、どうも有難うございます。














2019年3月25日月曜日

モニターレッスン募集のご案内

 {お陰様でモニターレッスン希望者が決定致しましたので
募集を締め切りとさせて頂きます。
ご応募をどうも有難うございました! }

今回、ご希望に沿うことが出来ませんでした希望者様には
また今後、繋がれるご縁が有ります様、精進して参ります。

これから、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 (2019.3.26 千葉海音)






昨年9月末よりASAMIさんのハイヒールレッスンとコンサルティングを
受講して参りました。


後、約1カ月ほどで卒業となりますため
私の自宅でのモニターレッスン募集をお知らせ致します。


この機会にハイヒールを履くための
身体の使い方、心の感じ方を体験して
春を迎えてみませんか?



これからハイヒールを美しく颯爽と履いてみたい方

まだハイヒールにご縁がないが興味を持っておられる方

現在、既にハイヒールをお履きになられているが
基礎から心身を整え、美しくハイヒールを履きたい方....etc


動機はどのような想いでも構いません。


美しいハイヒールと、ご自身に向き合うお時間を
感じて頂けたらと思います。



私はピアニスト、書道家として幼少期より前のめりな姿勢で
長らく表現をし続けて来ました。

美しくない姿勢をフランス パリで
ピアノのお師匠さんに10年間、ご指摘を頂き

ASAMIさんに再会し、昨年秋よりASAMI-PARISメソッドの
学びを頂き、美しい姿勢を保てるようになりました。


美しい姿勢は人間として、表現者として、女性として
メリットしかございません。

ハイヒールを美しく履き、姿勢も良くなり、健康な身体、心身の軸も
恩恵として頂きました。

その恩恵は
ASAMI-PARISの「ハイヒールの哲学」によるものです。


この機会に触れて感じてみて下さいますと
幸いでございます。




             ***要項***




*日時 2019年4月6(土)、7(日)、10日(水)
    この3日間で可能な曜日
   (いづれも11時から18時の時間帯の中からお願い致します)


* 募集人数 先着1名


*連絡先  paris.chanson.piano@gmail.com


* レッスン時間 90~120分


*レッスン場所 都内 杉並区 中央線、総武線、東西線沿いの自宅
        (詳細は後日お知らせ致します)

*レッスン内容  1.ハイヒールに必要なストレッチ
         2.素足のエクササイズ
         3.ハイヒールを実際に履いてのレッスン
         4.女性の美しさ(性)を高めるエクササイズ


*持ち物 ハイヒール


*ひとこと 

・ASAMI-PARISの卒業コンサルティングのモニター募集の為
 レッスン中はビデオを撮影させて頂きます。
      
・私がコーチとしての指導をASAMIさんが拝見した後に削除致します。
      
・ストレッチに必要なヨガマットはこちらで用意させて頂きます。
      
・当日は身体のラインが見えやすいワンピースやスカートで
 お越し下さいませ。




皆様のご応募を心よりお待ち申し上げております。



心を込めて。



Le son de la Mer
海音







2019年3月19日火曜日

醜態から、美しい私へ。





          春雨のしずく







心と体が繋がっていないとしたら
どうだろう?


ここ最近、ご縁から離れた演奏家の方がいるが
その方が有名であれ、どんな生い立ちであれ
どんなに素晴らしい世界を持っていても
立ち去らねばいけない「見極め」がある。


それは「人間性」である。




観衆には見せない、現実の本性を身近で感じ
ある心の旋律を理解してしまった時

どんなに素晴らしいと称される演奏家からも
私はすんなりと、その人から去る。



長年、音楽の世界にいると
性格は酷くても、演奏は別だから。とよく聞くし、言われる。

ふむふむ、しかし、自分がやって気持ち良い演奏家としか
私は一緒にやりたくない。


それは健常者であっても、そうでなくともだ。












昨年9月末から
ASAMIさんのハイヒールレッスンとコンサルティングを学び


「軸」と言うものを


言葉や意味、だけではなく強く再確認させられております。




自分の「軸」で生きることは「当たり前」のような気がします。
しかし、子供になり、外の世界に出、社会に出

特に日本の教育というのは「自分軸」を育てるものではないので
消滅していくことも
そう、「あぶく」のように軸は消滅させられる時々が
あるのかと私は子供の頃に体験しそうになりました。



それは、皆と仲良く、集団、協調性。
その中での「いじめ」など。



ちょっと目立ったり、自分の意見を言うと白い目で見られたり
笑ってしまうことばかりなので




出る杭は打たれていいし
私などはあまり人に興味を持たないので
ヤキモチや嫉妬すら無縁の人生です。



何故、「ハイヒールの哲学はブレない生き方へ導かれるのか?」



冒頭でも述べたように、いくら「自分軸」がある表現者がいたとしても
その「軸」自体がひん曲がっていても本人は気付かずに
その「軸」を正当化して突き進むのだろうと思います。




哀れなことよ。




自分の「軸」がまっすぐだ、と強く信じ真っすぐだとしても
誰かから見ると非常に曲がっていたりする。
それはそれで良い人生なのかもしれませんが


昨年秋からASAMIさんは毎回、根気強く、忍耐強く
私が本来、真っ直ぐだ、と信じていた
いつも曲がった姿勢を指摘し続けて下さった。



長年の癖は、誰もこの歳になると正してはくれない。



体の中心、所謂、インナーマッスルを「意識」する。
「母指球」に体重を乗せて歩くことを「意識」する。
「腹筋、背筋」を「意識」する。
「肩甲骨」を「意識」する。


そうすると段々、体から湧き上がる血潮が「本来」の
「私」を「意識する」ようになる。






そして「纏う(まとう)」と表現される
美しいものに負けない心身を持つことがやっと土台として紡がれる。


どんなにオートクチュールのドレスを纏っても
ルブタンの美しいハイヒールに足を忍ばせても
何千万円のものを身に纏っても


「その人」の軸が、なければ
ドレスにも、ハイヒールにも、装飾品にも負けてしまい
その人ではなく、高価なものだけが輝く。



良く街角で見かけるのが
ルブタンの美しいレッドソールのハイヒールを履いていても
猫背で、膝を曲げ、大きな靴音を鳴らし、歩いている。



履き方を知らないで、履かれた靴は
見事に早く壊れると共に、周りの方々をも良い気持ちにさせない。




裸の王様だ。





その人が良ければ、それで良いのじゃない。
うふふ、そうは全く思わないけれど。






私は元来、自分軸が強すぎて人に苦手がられることも多かったが
体に対しての自分軸はASAMIさんとピアノのお師匠さんに言われて
初めて気がつき、直さねばと感じた。



長年の癖は、「心の癖」「体の癖」全部、繋がっている。



ハイヒールの哲学は、恩恵を後からシャワーのように頂くように感ずる。

外反母趾対策、O脚予防、骨盤調整、腰痛改善、腹筋背筋の強化
肩甲骨とデコルテを開き、首の筋肉強化、まなざしの方向...etc




まなざしの方向が変わると
体の中に「自分」と言う「中心」が集まると
人はどうなるのか?




そうです。
そうなります。





自分が澄んでくる。





ハイヒールの履き方を学び
「自分」を学ぶ。




ずれていた(ぶれていた)「自分」を学ぶ。




その他に勝るものはあるだろうか?




自分の醜い生き様を学ぶのだ。

こんなに史上最高のものはないのです。
得意なものを学ぶことよりも
非常に厳しい。





自分の世界観も、(音楽に対する)実力も、技巧も、人生観も
何もかも確立しているにも関わらず
その上で自分の醜い醜態を知る。



それこそ、美しい人生へのスタート地点だと
ハイヒールの哲学は私に教えてくれた。






Amitié




Le son de la Mer
海音








2019年3月10日日曜日

自分に生き、自分に死ぬ





     近所の美しい夜















「海音さんの一年後を綴って下さい。」

そうASAMIさんが仰られ、

「1年後か...」と心の中で呟いていた。



以前もこのブログに綴ったがパリにいた頃は
3ヶ月後、半年後、1年後、3年後、5年後、10年後のヴィジョンは
いつも描いていた。

日本に来てからは明日の事しか、考えなくなって数年経つ。




そんな自分が1年後を描くのなら
それはもう、嘘でもいいから
何でも綴りたくなる。

いいのです。それで。
脳は騙されるから。
その幸せというものに。






やはり私はパリに呼吸し
そして音楽家として真面目に生きて
自分の呼吸の選択。


海辺に多く訪れ
作品を創作したい。


多くの場所でコンサートを再開し
表現ある人生を謳歌し
音(恩)返しをしてゆく。


多くの方に
私の表現を聴いてもらうチャンスが欲しい。


大きなコンサートを増やして行き
地方公演、都内での開催も増やして行く。



可愛い小さな近い夢ですと
クリスチャンディオールの新作のミニトートバックに
娘と私の名前を刺繍してもらい一緒に使いたい^^





最終的には私は「音楽」である。

音楽家だから。



だから音楽のことを考えたり、感じたいりしている、音楽に生きる
清閑で精力的な一年後にしたい。



今はまだ雑念や、雑音が多すぎる。







ピアノを生徒さんに教えて家に帰り
少しヘトヘトだけど22時まで自分のピアノを弾き
22時以降は簡単な夕ご飯と赤ワインを一人で嗜む生き方が
パリでの生き方だった。
本当に充実していた。
そんな生活を愛していた。

そして、ライブを企画し
自分の表現の場を大切に持つこと。



1年後、.....1年後は
パリと東京で生き
愛していた生活の素晴らしい延長と
今の自分が出来うることの精一杯を提供できる「美の生活」のみ。




だって私は望むものが
本当は昔から決まっていて、変わることなく
むさぼってでも、這いつくばってでも
それを、つかんで来た人間だから。




盆栽もそうだけど、枯れたと見せかけて
そうでは、ない。




口ではいくらでも言えるかもしれないが
間違ってでも誰かのために表現はしない。

それに、人に尽くす人生はもう...しない。

自分に生きて、自分に死ぬ人生にしたい。





いつも、いつの日も。




だから、1年後は人間らしくより美しく輝く人間になり

今もよりも、後姿と横顔が美しい人間でいたい。

今までとは同じ選択をし続けないということだ。




自分の負の連鎖を断ち切る、と言うことだ。









2019年3月3日日曜日

混沌(カオス)から人生の課題へ



            お気に入り(昔の媒体用)





「仕事においては忘れることが重要。
忘れるために多大な努力もしている。
それは不満があるからではなく
新たなアイディアを探さなければいけないから。
過去を振り返っても何も進まない。」

2016




「私はデザイナーだけど、写真も撮るし本も書いて出版する。
でも自ら“アーティスト”を名乗ることはしない。
自惚れに感じるから。他人からは言われる分には
褒められている様で嬉しいけれど
自分からアーティストと名乗りだしたらおしまい。
すぐにやめたほうがいいと思う。」

2015




「私はいつまで経ってもオーガニズムを感じない
ファッション狂の様なもの」

1984



先日、シャネルの長年のデザイナーであったカール ラガーフェルド氏が
亡くなった際に、彼の残した言葉を読んだ。


感想は言葉にしてしまうと陳腐になってしまうので書かないが
心にずっと忍ばせていたい言葉だ。


はっきり言うと彼の言葉が大好きだ。
全てに、私は頷きたい。



エイジレスで非常にお洒落極まりない
自分のスタイルを最後まで貫く人間は本当に素敵で惚れ惚れします。
(特にこう言う男性は↑....
私のピアノのお師匠さんも90歳過ぎ迄、コーデュロイのスーツを纏い
プジョーを運転しながらパイポをふかしておりました。)



今の時代はカール ラガーフェルドも知らずに「シャネル」を身につける
方々も多くいらっしゃるのだと思いますが(FENDIも手がけております)
それはドビュッシーを知らずに「月の光」を弾いている様なもの。


何にせよ、その「背景」や「時代」を知ることで
もっと作品が面白く魅力的に、愛着が湧いて来ます。



もう今後、彼のデザインしたものは出てこないから
私も少しばかりですが愛用しているシャネルがあり...
本当に大切にしていきたいなと思います。









今日の課題は「ブログの課題」







私はいつの頃からかブログを書かなくなった。

パリにいた頃はよく書いていたが
日本に来てからはそれどころでは無かったなと思う。

非常に自分の価値観と感性で綴るので
自分らしく生きていない時には
書けない。


嘘を付いてでも書こうとは思わない。




ブログとは私に場合、自分のまなざしの「万華鏡」であり「苑」である。

その耽美な苑から共有出来ることがあれば嬉しいが
独り綴りの方が私は好きだ。


作曲をしてレコーディングをしても
私はその自分のCDを聴いたりはしない。

おもむろに興味がない。

過去の作品は私にとり「過去」のそのものだから
耳障りになってしまう。


新しいアイディアを常に感性と言う触覚で
無意識に探しているからだ。

だから自分の昔の音楽はいらないのだ。

(コンサート時や、その練習時は別だが)


だから、上記のラガーフェルドの言葉に至極頷けたり
昔から「忘却」「終焉」と言う言葉を、気持ち良く愛用している。





はっきり言うと、この日本に来てからの6年は一言で
「カオス」そのもの、だった。

何だかもう、良く分からない。



ただ、昨年の夏に大きな別れが2回も続き
自分にとってのエネルギーの限界の極限であった。
そして、そこからまだ這い上がれていない時もある。



そんな最中にASAMIさんとパリで再会し
ハイヒールレッスンとコンサルを受けることにした。

まずは「ブログの立ち上げ」
そして「毎週のブログの課題」


ほぼ、今日まで毎週「ブログの課題」を綴ってきた。


時にギリギリになってしまうことも多くあったが


カオス生活を日本でしていると

「優しく突き付けられる課題」がどれだけ自分を立ち返らせて
奮い立たせてくれただろうと感じる。






「課題」がある人生とはいいものだ。

以前は毎日が音楽の課題だらけだったので
脇目も振らずに自分らしく生きた。



しかし、生活のためだけに必死で稼ぐことになると
私は生きる楽しみも、目標も、課題も
何にも見当たらなくなってしまった。


楽しみといえば、休みの日に家の中でゆっくりすること。




私、有名な音楽家になりたかったんだよね?
演奏会を沢山、やりたかったんだよね?
自分を表現し続けたかったんだよね?


と心の中に
叫ぶ様なヤマビコは木霊(こだま)するけれど
誰も答えは返してはくれない。

最終的には心療内科に通うのが
唯一の安らぎになってしまっていた季節を
誇りにも思わない。






その様な中で、ASAMIさんからの課題は
毎週、小さな階段を一段ずつ登ることを繰り返し
根気強く

「本当は自分がどうしたかったのか、どう生きたかったのか」を

思い出させてくれながら、ハイヒールを美しく履く原理や
筋肉の構造、美しさについて毎週ブログで綴り続けると
自分自身が無意識に全身全霊で、その言葉を自ら
落とし込んでいることに気が付いた。

心の軸も、昨年とは大違いだ。




「継続」ほど強いものはない。

そうすると、また新たな自分が見えてくる。

新たな自分を創造し続けることが出来ると言うことを
学んだ。





もともと、私は自分のペースを崩されるのが厭で
全てにおいて自分のテリトリーに入ってこられるのも厭だ。

厭、厭、の人間だが継続だけはしている。

何故なら、継続は厭ではないからだ。



何への継続か?

美しいと感じるもの「だけ」に対する「継続」である。




ASAMIさんへ

限りない感謝を込めて。





Le son de la Mer
海音








    
            



           枯れた紫陽花。





2019年2月25日月曜日

(今後の音楽教室への宣伝1)私はOOしない先生です








この春から色々生活が変化するので楽しみと言うか
未知との遭遇のような気持になる。


最近も
やはり心で違和感を持つもの、人に対して離れる結果の流れが
自然に強くなって来ているので

あなたにとって
この場所と、環境と、人は
違うのだよ、と教えてくれている事に至極納得する。



少しずつピアノとシャンソンのお稽古で
お生徒さんを募集していこうと思う。

やっと、やっとだ。



以前も申し上げた通り






*日本風?の教え方はしない
....今どき、日本人が選ぶ古典的な教則本は必要ない時代です。


*グループレッスンはしない
....私自身が不器用な人間のため、大人数では気が回りません。
それに、お一人お一人の音楽に強く向き合いたいからです。


*日本語でのシャンソンレッスンはしない
....フランス語のシャンソンしか興味がないからです。


*指導に妥協しない
.....基本ですが。
しかし「やるかやらないか」はご本人次第ですので
その問題は私の問題ではありません。


*値引きしない
.....パリでピアノ講師を始めるにあたり、お師匠さんから
30ユーロ以下はやるな。それは家政婦の時給である。
お前は家政婦ではなくピアニストであろう?と言われたことから。



どこの国にいても
自分の価値観は変わりません。






メリットとしては(ピアノレッスン、シャンソンレッスン)


*フランスのエスプリを感じながらレッスンすることが可能です。


*フランス語の用語などを用いて
またはフランス語でのレッスンのご要望はお受け致します。


*1937年のE.D.SEILER(ザイラー)ドイツ領ポーランド製のピアノで
レッスンいたします(象牙、マホガニー)。


*シャンソンレッスンでは無料でピアノ伴奏をいたします。
(レッスン、コンクール出場も含める。)


*ピアノに向かう際、または立って歌う際の姿勢の指導も
致します。



*音楽などに関する通訳、翻訳をお受けいたします。


*日本ではまだ知られていないシャンソンをご紹介可能です。


*旅先などで役立つネイティブフランス語の言い回しなどの
講座もご希望があれば開きたいと思います


*出張レッスン可能です(条件としてピアノが出張先にあること)





曜日は初めは「土曜日、日曜日、月曜日」のうちの
いづれの2日間をお生徒さん募集と予定しております。


お時間は午前11時から19時(18時)まで(曜日による)の予定です。





場所は基本、都内の私の自宅で行う予定です。

注)男性は紹介のみ。



コンサート活動が優先ですが
その際、レッスンの振替は必ず行います。




詳しいことはこれから決定していきますので
その都度、ブログにてお知らせを致します。


ご興味がある方は
心に留めておいて下さると幸いでございます。


どうぞ宜しくお願い申し上げます。




Le son de la Mer
海音







2019年2月18日月曜日

命の星の運転手
























自分の心と繋がり、常に生きること。

そうすると何らかの決断も、いつも早い。

そして、その行く先は

厳しいながらも自分の生き方の王道になる。


初めは道のない、原野の小道であっても

いづれは自分にとっての王道とへんげしてゆくのだ。


列車には往復切符はあっても

人生には往復切符と言うものは存在せず

悲しいかな、止まることはない行く先があり

毎日、同じ方向の自分の終着点に向かい生きている。

しかし、人生を列車と例えるのならば

いつも、一緒に乗っていた人が降りて行く場合もある。

そして、新しく乗ってくる人もいる。

どの駅を目指して、一つの区切りとして生きるのも自分次第か。




命の星に住んで、その星から遠ざかる列車に乗るまでは
自分がその列車の運転手だ。

あなたは今日

命の星で、どの様な運転をしながら生きるのだろう。






自分の決断は、自分の責任。

人生の中で、大きな決断だったものは何だったか。



私にとっては

「よし、フランスへ行こう。」とすんなり決め

大学卒業式よりも、当時上手く行っていた彼よりも

フランスに行くことをあっさりと決めてしまい

そそくさと日本を出て、フランスに行ってしまったことかと思う。




文面で綴ると非常に単結なものに見えるが
その後の十数年のパリでの生活は
想像を絶するものだった。




ピアノに何度も挫折し
日本のシャンソン界にも幻滅し
フランスのでの長い刑事裁判
シングルでの出産、子育て。


反対に、素晴らしい友人たちと
音楽の師匠に恵まれ
ピアニスト資格を取り
ピアノ講師になり
パリで素朴に弾き語りのコンサートを地道に続けれた。



多分、どれも、すべて


どの時も
私は幸せだったのだと思う。


何故ならば
自分を支えてくれる人々がいたから。




そして一度も日本に帰りたいとは思わなかったし
ホームシックたるものが湧き上がる事が無かった。


それは自分の生き方が、自分の心といつも繋がっていたからだ。







神様が「私という駒(コマ)」を日本にそっと置く時
どうしても私は帰ると言う決断が出来ないまま
帰らざるを得ない流れになった。


私の運転する列車は天災に押し流された様に
行き先が思わぬ方向に向いたのだ。


そして時が経ち、ここにいる。





ある日、私は都内の印刷工場に勤めていた。
地下で暖房も冷房もない場所だった。

印刷機に毎日向かい
無気力でたたずみながら、インクで真っ黒くなっていた自分の手を眺め
パリでの生活を思い出していた。

何だか疲れて前向きな気持ちではいられなかった日びを
今でも、たまに思い出す。




自分の人生の選択を誤った様な気がした。

誰と出逢い、愛し合い、何かを手に収めても
すり抜けてゆく取り留めのない事でさえ
自分の選択の責任ならば。




選択を誤った、と思っても自分の人生の列車は進んで行く。
後悔はあっても。

ただ、虚しさだけが心をえぐる。






また時が経ち

今日、水族館へ行った。
イルカショーを見たのだが、とても素晴らしく癒された。








これも22歳の時にパリに行くと、大きな決断をした時からの続きだ。

全て繋がっている。
厭、赤ん坊の頃から、それ以前からのストーリーなのか。




生きていると、この世の果て、の様な
果てしない歌のように感じてしまうことがある。


だけど人生は果てしなくない。
しっかり終焉がある。



どのように毎日を選択して生きるか
小さな選択は、時を経て積み上げられ

ゆくゆくは大きな選択になってゆく。


さざ波が集まって、大波になって行くように。





一見、惨めで不幸に見えても
それは自分にとってその時に必要なもの(と思いたい)であり
人生を作り上げて行く。


見渡せば、しあわせだ。





大きな決断は、やはりフランスへ行く決意をした日からの事。
何故ならば、あのまま日本に残り続けて生きたのならば
今の人間関係も、私も、娘もいなかったのだから。



だから
全て良しとなる。




そして、もし生まれ変わりというものがあり
誰かの美しい髪の毛に寄り添う、かんざしに生まれ変わっても
私は私だったことを忘れたくない。








今日も読んでくださり
どうも有難うございます。



Amitié





Le son de la Mer
海音