2019年1月26日土曜日

意雲凌(いうんりょう)








娘が1月からバレエのクラスがベビー科から児童科へ進級した。



まだお腹がポッコリで可愛いながらも
小学生のお姉さん達に必死で着いて行こうと一生懸命な姿が
頼もしい。


クラスが変われば、流れる音楽も変わる。
今日は美しい瑠璃色の小さな玉が、沢山流れているような曲で
ショパンの明るく繊細なエチュードを思い出した。





ぼんやり聴いていると
自分の手がウズウズして、胸が苦しくなった。


私はピアノを昔見たく弾きたいのだ。
毎日ピアノを弾きたいのだ。


自分の内側から湧き出て来る欲求は
泉のように溢れ出て、決して止まることはない。






私は
誰のものでもなく
誰の言うことも聞かない。


心から尊敬している人以外は。



誰の言うことも聞かぬが
自分の心の声だけは、絶対に聞くようにしている。



「違和感」と言うものからは
必ず離れるようにしている。



厭、離れざるを得ない状況になるのだ。

特に去年の夏からそう言う状況になっている。

強制終了的な感じで終焉に向かうのだ。







そうしないと次のステージには行けないから
神様がそう仕向ける。

荒治療だ。





そのお陰で美しく羽ばたける。








後悔は無いが戻りたい時はある。
今が一番のベストだとは分かっていても

パリで音楽と共に生きていた時代。
そして本当に可愛い時期の娘を手放してしまった
空白の時間。
その成長の様子が真近で見れるのならば
唯一、過去に戻りたい。




でも、今、元気であるならば
きっと良いのだろうと思う。




想いはあれど、進化していく自分。
それは止められない。




私は誰にも嫉妬しない。
そして興味がない。



一番興味があるのは自分の音楽だから。










本日のブログの題名は



「意雲凌」(いうんりょう)






パリにいる、ある有名な書道家が
君にこの字を書いて欲しいんだ。と提案してくれた言葉。

君なら、よく書けるだろう。


そんなことを言ってくれたが
タイミングが悪く書くことは無かった。





でも、今なら時間を見つけて「意雲凌」と書いてみたい。

意味は「超越、自分を超えてゆく」と言うことだ。

中国の言葉だそうだ。







昔の私、一年前の私を
今の私はずっと飛び越えている。当たり前のように。


昔の私はいないのだ。







同じではないから
新しい曲が書ける。

同じではないから
新しい歌が歌いたい。

同じではないから
楽しい。

同じではないから
自分らしい。





一年前とは比べものにならない自分が
私は好きだ。





何が違うか。


自分を本当に大切にすることを
多分、素直に実行していると言うことだ。





でも、まだまだだ。




自分を超えることは
自分を何に於いても

信じ続けることなのだ。




それに一年前は「ペタンコ靴」
今では「ルブタンの13cmハイヒール」




筋肉の使い方も、まなざしも、それは違いますよ。
楽なペタンコ靴でいる精神と
難儀なハイヒールを履きこなしたい精神。


ルブタンは、人生の流れに大きく及ぼし
もう二度とペタンコ靴には戻れなくなった。



だから昔の自分はもう、居ないのです。



我ながら、シンプルな答え。







Amitié




Le son de la Mer
海音













2019年1月21日月曜日

明日も履こう、ルブタンを。





先日、ルブタンのクラシックタイプの黒を拝見しに
ランデヴー前にお時間があり、伊勢丹へ行った。


自分のコンサート用にも
今後の生活の中にも紡ぎ上げていきたいと感じている
ルブタンのクラシックタイプ。


しかし、私には葛藤もあった。(ある、の現在形)


私自身の身長は151-152cmで高い方ではない。
コンサート時はどうしてもカッチリしたタキシードや
今後は洒落た燕尾服など(ドレスも然りだが)着る。


そうなると、やはり欲しいのは
「着熟す(きこなす)身長」がある程度、必要であること。

その前に「姿勢」は基本中の基本なのであるが
私の場合はその次にある程度「身長」が必須であるパフォーマンスの
服を着こなす。と言うこと。



これは今に始まった訳では無い「悩み」「考え事」であった。


マレーネ ディートリッヒやシャーロット ランプリング
オスカル(ヴェルサイユの薔薇)が
美しくタキシードを着こなしている姿は絶品であり
何年経っても色褪せない。


私も、そうなりたい。と思い描いたのは
小学生の頃からであった。





話は戻るが「クラシックタイプ」はやはり美しい。
しかし、もう少し贅沢を言えるなら
やはり自分自身には「衣装」を、と考えるのならば
「プラットフォームタイプ」は魅力的だ。


(無論、どちらかだけに拘るのは好きでは無いから
どちらも」愛し....基...どちらにも愛される身体の女性でありたいし
目指すのみです)




伊勢丹のルブタンのスペースに行き
ルブタンという芸術品をゆっくりと眺めて楽しんでいると
目の中に飛び込んできたのが
こちらの桜色の13cmハイヒールだった。












目が離せなくなってしまい
お目当のクラシックタイプの黒とは全く違うタイプに
一目惚れをしてしまったのだ。


自分でも、女心は秋の空だ...と苦笑いしてしまった。





そして、購入。



人生初のルブタンは桜色のハイヒールになった。




家に着き、笑顔でうっとりと...そのルブタンを何度も眺め
そっと足を忍ばせた瞬間に地獄へ行った気持ちになった。



「桜色天国から→地獄へ」はまさにこの通り。




今まで家でスリッパとしても履いていた
ジミー チューのハイヒール(プラットフォーム)がどれだけ
天国であったのか思い知った。



漫画で描けるほどに
四つん這いになり、どんより落ち込み、沈む私である。
笑ってしまう。



足も体も(ついでに心も)震えてしまうくらい
ルブタン13cmに体、筋肉が全くついて行っていない。

その現実を、足を忍ばせてすぐに突きつけられたデビューであった。


強いて言うならば
9月末から始めたASAMIさんのコンサルとハイヒールレッスンを
もう一度、一から始めないといけないのかもしれない...と
独りよがりに絶望がよぎったのも確かであった。




こんなに美しいのに、地獄なんて....!

だからこそ美しいのである!



(己は全くM女(嬢)ではありませんけれど
素直に膝ま着きたくなるのが....唯一のルブタンですね。
他は膝ま着きたく無いです)^^;



その後、ASAMIさんのハイヒールレッスンとコンサルを受けた後に
心に降って来たものは




「私は、今後、このルブタンを履き、人生を歩むのであれば
今まで通りの人生は、このハイヒールにはそぐわない。」

「私自身を改革しなけば、このハイヒールは私を喜ばないであろう」

「しかし、この思いを選ぶのならば、人生はより凛とした深い軸を持ち
素晴らしい「自分の道」を歩むことになるだろう」



と言うことだった。





そしてASAMIさんが仰る通り
ルブタンを履いてしまうと....他のハイヒールが履けなくなる。



それが至極、やっとわかった。


この魔的、魔物的なエネルギーは
人の心も虜にしてしまうほどだ。



だからこそ
ハイヒールの履き方を知らない女性が
このルブタンを履きこなせないことが嫌な程に明確になる。


それは「ルブタンに履かれた女」になってしまうと言うことだ。

可哀想だが、現実だ。





さあ、今日もルブタンを履きます。

震えは、今後のルブタンとの未来へ繋がる感動の震えであろうと思いたい。笑




私は
あまり怖いものがなく、怖じけずかない、生意気な人間だ。

だけど、ルブタンには地獄へ落とされた。

同時に、これからの自分の生き方への「新しい美しい水」を
注いでもらった経験をもらった。





明日も履こう、ルブタンを。








Amitié



Le son de la Mer
海音









2019年1月13日日曜日

僕は花になった




   
            





フランスの、その時代の女性といえば

作家のコレット、デザイナーのシャネル、画家のマリー ローランサンだ。




この3人は本当に美しい強さと
強靭な精神と
誰も宿すことが出来ないセンスに、今も満ち溢れていると感じる。





マリー ローランサンは「色の魔術師」と呼ばれ
「音の魔術師」と呼ばれたラヴェルやリストを思い出し
楽しい気分になる。




パリにいた頃にローランサンを知り
シャネルと同じくらいに好きになった「女性」だ。



ローランサンはシャネルとも友好関係があったが
シャネルの愛犬とアンニュイな顔のシャネルを作品にして
プレゼントした所、シャネルはその絵が酷く気に入らず
ローランサンに返したのだが

私はその絵が大好きで 笑
そういうエピソードを踏まえると
シャネルのこともローランサンのことも、より好きになった。



そしてなんと言ってもローランサンは
時代を代表する、かの有名な詩人「アポリネール」の恋人であり
アポリネールの母からプレゼントで貰ったギターを
彼と別れても一生、絵に描き続けている所が
何とも言えない愛を感じて、やまない。


(アポリネールはイタリア系ポーランド人の詩人、作家。
シュールレアリズムと言う言葉を生み出させた本人)

安曇野に以前あった個人所有のマリーローランサンの美術館は無くなり
現在は都内のホテルニューオータニのガーデンコートに移っていたが
明日で終了し、ニューオータニが所有するそうだが
今後の公開は未定なのだそうだ。


少し寂しいと思う。





さて、前置きが長くなったが
今日は何を綴りたいかと言いますと


「ふざけないで欲しい。ふざけるな。」です。








先日思いがけなくサプライズに花束を頂きました。
漆黒の中に私をイメージしたブーケなのです。


感激して喜ばない筈がありません。
こんなサプライズ、粋過ぎて非常に幸せな気持ちになりました。



日本だとあまり男性からブーケのプレゼントはありませんし
前回、頂いた時は安曇野にあるワサビ大農園の館長さんの
濱さんからワサビのお花のブーケでした。

この様な粋な男性が本当に素敵だなと感激してしまいます。























私は
女性は皆、お花だと思っております故に
思うことは多々御座います。


それに「女性」みんな「自分を花」だと思って良いのです。
もしくは「自分だったらこんな花になりたい、好き」だけでも。




ローランサンの絵は人生の波を超えて
成熟していくに連れて
描く女性が皆違う花の様に観えます。




独特な色彩で、微妙なニュアンスがあり
皆、女性は違います。


私自身も「どうしようもない程の微妙な灰色(グレー)に
にわか雨が降りそうな水色や、曙色が混じったお色」が好き。

その時にしか見れない雲の色、太陽の光線、月の陰り。
その様な人であり芸術家であり女性で佇んでいたいと思います。







このブログを読んで下さるあなたが、もし、女性であるならば
あなたは自分を例えると、どの様なお花でしょうか?


どの様なお色を、その花は纏っているでしょうか?

風に揺れているのか、太陽に向かっているのか、雨に濡れているのか






または、月光にまどろんでいるのか







枯れているのか。











では、あなたのアイシャドゥは何色ですか?

ご自分にとても良く似合うお色をご存知ですか?


好きなお花は何でしょうか?

あなたにとって、美しいそのお花を
ご自分にプレゼントしませんか?



男性でしたら

奥様や、恋人や、女友達に
彼女をイメージしたお花を喜びに満ちてプレゼントしませんか?

もしくは、ご自分のお部屋に
美しい女性をイメージした、心地よいお花を飾りませんか?






何を言いたいかと言いますと

「あなた、今、自分の気持ちや、自分を知っているか?
自分を愛し、自分を大切にしているか?」と今日のブログの叫びです 笑




己のことも知らずして
前には進めません。




歳だから?

外見に自身ないから?

結婚していないから?

お金ないから?

時間ないから?

子供いるから?

田舎者だから?







キリがない言い訳を言う人の前から
私は立ち去る様にしています。

ご自分にブロックをかけており
言い訳にしている。



上の〜だからは全て、実は私にも当てはまることなのです。



ただ、自分の音楽だけは強く信じておりましたから
そこから全てが解消へ向かいました。




シンプルですね。






初めて日本の大きなシャンソンコンクールのファイナルに
出場した際に、覚えていて下さった方が多く
良い意味でも、悪い意味でも批評を数多く頂きました。

その中で、どう私の当時のメールアドレスを知ったのか
横浜で活躍している、あるシャンソン歌手の方からメッセージを頂き
驚いたことを今でも覚えております。


当時、私は20代前半でパリでまだシャンソンの修行中でしたが






「千葉さんの様にパリに行き、パリでシャンソンを学んだら
簡単にシャンソンなんて歌える様になれるんだったら
私もパリに行きたいくらいです。私にだって歌える様になりますよね?
どうせ、私は日本で歌ってますよ」と。




良く意味がわかりませんので、二度見しました。
私よりもずっと年上の歌手の方ですが。



お返事は返しませんでした。






私にとっては、美しくない花なのです。これは。






どうせ、とか言っているうちは何歳になっても
ノーコメントか立ち去る対象です。





自分という花を、どう美しく見せるか、どう咲かせるか。
そこだけではないでしょうか。




それで「いとも簡単に」そうなれるのならば
それで良しと思いますが
ほぼ、それはないでしょうね。





シャンソンをパリで学びたければ、学べばいいのです。

ハイヒールに挑戦をしたければ、何歳になっても挑戦すればいいのです。




ただ、そこには「甘え」は必要なく論外ですから
多くを工面して
師に出逢い
切磋琢磨する。




それ以外「道」はありません。




どうせ〜だから、のうちは、墓場まで変わらない人生です。

私はそういう方とお付き合いしたくないだけです。







今日のあなたのアイシャドゥは何色ですか?


私はいつも青みがかったローズか
青みがかった赤か
青みがかった灰色が好きです。



それが、似合っていると知っているからです。








今日も読んで下さいまして
どうも有難うございます。




Amitié






Le son de la Mer
海音






追伸「僕は花になった」はレコーディングはしておりませんが
10年ほど前にパリで作曲した自作曲のタイトルです。





          娘へのプレゼントに購入した本。
          大判ですので見応えがありそうです^^


2019年1月7日月曜日

ハイヒールで美しくなる









最近はめっきりペタンコ靴やバレリーナを履くことをやめた。



全く物足りないし、何も意識をしないで歩くことは
非常に怠惰な気持ちになる。

上手く言えないがハイヒールを履くと「キリッ」となる。



特に演奏家としていつも腹筋を鍛えたい日常なので
ハイヒールを履くと同時に腹筋まで磨けるのは
他のメリットも踏まえると一石十鳥くらいなるのではないか。


ここでメリット、と書いたが、反対にデメリットはあるのか?

答えはNonです。




巷では腰痛を招く、足が痛くなる、ヒールが高い為転びやすい...etc
ハイヒールにまつわる多くの良くないレッテルが貼られているが

断言するとハイヒールはそういうものではない。


反対にその症状を改善してくれるものである。


要は「正しい歩き方」を知らないと、そうなるのである。






ASAMIさんのハイヒールレッスンを受講し始めてから
自分が良かったなと思うことを3ヶ月間のことを思い出して
ピックアップしてみようと思います。

(順番は重要ではありません)


1. 腹筋、背筋が強化されお腹と背中が確実に頑丈に引き締まった。

私はお酒を飲むので歳を重ねるほどに蓄積されてゆく脂肪に
恐れをなしていたが....ハイヒールのレッスンを受けてから
お気に入りのワンピースもジーンズも出産前のものを
以前よりスルリと着る事が出来ている。
女性としてこんなに嬉しいことはない。




2.足の(脚)の形が変わった。

ハイヒールレッスンでは足裏の親指の根本にある「母指球」と
足の内側の筋肉を至極強化意識する為
足の内側により隙間が出来た。





3.足が浮腫まなくなった。

ピアノに向かうと足が浮腫み、またはお酒を飲んだ翌日も
足が以前は浮腫んでいたが
最近は朝起きてもキリッとした足である。





4. 見られたり、声を掛けられる事が増えた。

これは紛れもなく確実にそう感じます。これは面白く
ハイヒールを履く際は自分に意識を非常に向けるが
(母指球に体重を乗せる事、足さばき、足の甲を伸ばす
足の内側の筋肉を意識、腹筋を引き上げる、デコルテを開く
頭をプッシュする、目線を上げるetc)
そうしながら歩いていると
他の方からの視線をより以前より感じる。

そうして歩いている方の方が少ないからでしょうか?
「猫背、膝を曲げて歩く、携帯電話を見ながら歩く、
靴の音を立てて歩く方が多い日本」では反対に目立つのでしょうね。






5.姿勢が良くなった。

ピアノを弾いたり、書道を幼少期から長時間やっている私の癖は
猫背だったので、姿勢が悪いと色々な方に言われ続けた人生から
卒業する事が出来た。

今は立っていても、座っていても猫背でいる事が気持ち悪いです。
もしくは
どうしようもなく疲れている際に無意識で猫背になっていると
すかさずに「あっ、猫背になっている」と思い姿勢を正します。

以前でしたら「気づく」こともなく...
うつらうつらと過ごしていたので。



「今よりも歳が若くても、老けた姿勢をしていた」と断言できる。






6.所作がより引き立つようになった。

元々、お所作は好きですが姿勢が良くなり
ハイヒールで歩く日常になったら所作もより映えるようになった。

女性は鮮やか、彩どりがある方が華があると思いますので
「姿勢というものは全てに繋がってるいる」と
感じずにはいられません。




7.顔まわりがすっきりしてきた

やはりこれも猫背とは反対に「頭」をプッシュしながら
生活しているので、首の筋肉も常に鍛えられ
デコルテもすっきりします。



8.選ぶお洋服が変わって来た

ASAMIさんが仰るようにタートルネックで
首やデコルテを隠さないこと。

いつも自分の足を意識できるようにスカートを履くこと
要は「自分を隠さないこと」は身体への意識しかり
自分の心にも向き合える大きなチャンスです。

今、現在、自分がどのような姿勢をしているのか
即座にわかる服装が良いですね。

デコルテが美しく見える、二の腕が見える
ウエストラインがわかる、脚のラインがわかる、etc.




9.ハイヒールを履いてピアノに向かうとより腹筋が使えるようになった

ハイヒールを履かずにペタンコ靴でピアノに向かうのと
ハイヒールを履いてピアノに向かうのでは天と地の差で違います。

何が大きく違うのかと言うと
ハイヒールを履いて弾き語りをすると自然に腹筋を使うので
上半身が持ち上がり姿勢が正され
声もより張りのあるものとなっている。

これは私自身の体で実証済みなので
是非、ピアノ演奏をされる方には試して頂きたい想いがある。





10.自分を非常に客観視出来る様になった

何かをやりながらでも並行して「今の自分はどうか?」と
自分に尋ねる事が出来るようになった。





11. 人の態度が違う

よっぽどではない限り、お粗末な態度を取られることは無いが
(ホテルやレストランのレセプションご案内の際など)

ハイヒールを履き、姿勢良く「人」と接すると
より、あちら側のして下さる(ご提供して下さる)ご対応が違う。






12. 目に潤いをプレゼントする貢献が出来る

私自身もそうですが、男性でも女性でも
美しい姿勢で、清楚で、上を向いたまなざしがそこにあるのならば
そう言う方が自分の視界に入ると、心が気持ち良くなり
凛とします。

特にそれに加えて女性はハイヒールを美しく履いている姿は
より心が踊るのも確かであり

美しい姿勢で、ハイヒールを美しく履いている女性は
元気と希望と、心が温かくなります。
心が豊かになります。


「美しい姿勢、美しい歩き方である女性」は
その姿だけでも十分に心へのプレゼントになります。





13. 着膨れしない、すっきりとした女性になれる


ハイヒールを正しい歩き方で履くと
筋肉を使いながら、体全体を駆使して歩くため
そんなに着込まずとも、自家発電で体がポカポカになって来る。

ペタンコ靴を履きながら「寒い、寒い。」と
小走りで猫背になって歩くよりも


ゆっくりと身体を正しく使いながらハイヒールで歩くのは
非常にエレガンスであり、急がずして体がジワジワと温まって来る。




14. 健康になる

ハイヒールを履いて歩く際に

足裏筋肉、腹筋、足の内側筋肉、膝裏をよく伸ばす
骨盤の正しい位置への誘導
お尻の筋肉、腹筋、デコルテを開く、肩甲骨への意識
頭をプッシュする、目線を上げる、

人は上を見ると心も広く快活になり
丸まった身体はしなやかに伸びて行く

まるで草花が生き生きと太陽に向いている様な姿だ。




これは本当にハイヒールの語り尽くせない恩恵である。






この3ヶ月間でこれだけ(これ以上に)感じる事があるのは
なんと素晴らしいことかと嘆きたくなります。


色々まだまだな箇所は私自身も多くあるのですが
根気強く努力を重ねて行きます。





この世に「美しい」「普通」「醜い」の3選択があるならば
間違いなく「美しい」と自分は選ぶだろう。

普通でいいや、なぞ「生ぬるい感覚や、選択」はしない。

しかし「美」は「粋」と同じで
計算された、秘められた、ものがある。

それ無くして「その表現」はあり得ない。

それは音楽でも同じだ。


ショパンをショパンの意図とした解釈を尊敬しながら
自分の霊感やセンス、技巧を駆使して
やっとコンサートなどの人前で披露出来るまでになるのは
何十時間では、はっきり言うと無理だ。

何百時間、何千時間と言う
自分の人生の時間を紡ぎ上げて来た結果の
結晶であり、美しさや煌びやかさが、初めて生まれる。


それは「姿勢」「ハイヒールで美しく歩く」ことも
全て同じで共鳴することだ。






今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


Le son de la Mer
海音






               実家の庭雪と紫式部