2019年4月29日月曜日

ASAMI-PARISのハイヒール コンサルティングを終えて -闇の歌は、光と友達です-


闇は星々や月が友達です。

誰か寂しい人がいたら

闇は、その友達と相談をして

静かに優しく光を、永劫に漆黒を貫き通すが

くべてあげるのです。







よく、言われます。

私は小さい頃から恵まれた環境に生まれ
賞を沢山受賞して
パリにも留学し
ピアニスト資格も取り
シャンソンのプロにもなった
子供にも恵まれ
音楽活動をして
小さな一軒家に住み
....




羨ましい!と。



本当にそう思うのか?


そう、確かに私は強運であり、努力家であり....




勝手な想像力で人を作り上げるのは、辞めたまえ。






誰だってそうなのだ。
コンプレックスの塊である己を歌うのは、歌いやすい。
人は堕ちた歌が、悲壮歌が歌いやすい。

しかし「現」として人前に己を晒(さら)すのは
どれだけ、どれだけ、心が引き千切られる様になるのかを。
自分を愛していない人は特にそう、感じるだろう。








今夜、遅い時間にASAMIさんとの時間に幕が下りた。
本当は降りないで欲しかった。
しかし、いつまでも同じ季節はつづかない。



コンサルを始めた9月末は
久々の
パリの里帰りから娘と東京に戻り
コーチを目指すどころか、2011年にASAMIさんからご指導されていた時の
「感覚」

それが思い出せない。

気持ちも、ぐちゃぐちゃ。




今だからこそ、言えるが

追い討ちをかける様に
パリに行く直前にゲリラ豪雨の雷で
家の天井や壁や電灯の多くが落下してしまいボロボロの部屋でコンサルを始めた。
(仕事道具であるフランスから持ち帰った
グランドピアノとハープだけは難を逃れた)

家の中を見渡しては、ため息を吐きながら
....以前、履いていたジミーチューのハイヒールを
5年ぶりに引っ張り出して
フラフラと履き、ASAMIさんの前に現れていたと思う。





7ヶ月は流れ星より早かったと思う。

ASAMIさんの厳しさに、負けん気の私は
「なにくそ、なにくそ!」と思い「自分なりに」立ち向かってきたが
惨敗しっぱなしだった。


まるで口角は上がっているのに、「廃人の歌」でも歌いながら(笑)
喰い付いている様でしかない。
当たり前だ。




以前も少し触れたが

仕事や育児に疲れて
うたた寝してしまい、ASAMIさんの電話で目が覚める始末

お付き合いの飲み会の帰りに
お酒が入ったままでのレッスン

ハイヒールから程遠い土地での仕事で
全く、身体の軸が無くなってしまった時のレッスン。



ASAMIさんは糸も変わらず
いつものまま、真摯に厳しく、向き合って下さった。







....







日本に来てから、目標をなくし
自分をも偽って
自分に見合わない音楽以外の仕事を毎日こなし
シングルマザーでいる日びは
タコの紐が切れてしまった、タコの様だった。


自分と言う「プロ」を辞めざるを得ない状況から逃れられなった。





そこに、本当に久々にASAMIさんの眼差しと精神が
鉄線の火花の様に入って来た。







  ASAMIさんに出逢った頃の2011年の私
    震災の慰問として日本各地でコンサートを行った(こちらは地元 岩手)



    最近、沖縄で出逢ったギニアと日本のハーフの女の子。
    アフリカンダンスの時。本当に愛らしく可愛い。





コンサルを終えて
私は、日本の女性の皆さんにお伝えしたいことがある。



それは、もう自分を解放して下さい。
そして、もっとこれから自由になって下さい。



8cmでも、12cmでも、15cmでも
ハイヒールを
お履きになられて歩きたいのであれば
そうしましょう。




アラフォーとかアラサーとかアラフィフとか
ご自分を区切るのは辞めませんか?
(日本はジャンルをつけて色眼鏡で相手を見るのが本当にお得意)




実は私はひどく、潔癖や、コンプレックスで
ミニスカートはもう一生履く事はないと思っていました。

コンプレックスのあまり
凄い若い時から
自分の足に大きなメスを入れて、人体実験や
脂肪を溶かす注射を全身に施したり
病的なくらいでした。
(顔とか整形はしておりませんが)


小さい頃から、もっと、もっと出来る、いつも1位を目指し
しかし、反対にはデブ、ブス、大根足と言われ
もう逃げ場がなかった時代があります。


はっきり言うと常に心は爆発寸前で
岡本太郎が大好きだけど
黙って口だけ笑っているタイプでした。





だからね、私は言いたいのです。

どんな体でも、いいから
ハイヒールをお履きになりたければ
是非、履きましょう、履いてみませんか?


ミニスカートをお履きになりたければ
何歳であろうと履いてみませんか?


ただ、心をそう決めたのなら
一緒に
第一歩を、歩みませんか?と。




何故なら
私はASAMIさんのコンサルを受けて
履きたいハイヒールも
纏いたかったミニのワンピースも

人生で初めて、選べる自信や
己の解放ができる様になったからです。






最後に

以前、パリで最後に住んでいたアパルトマンの近くに
マリアカラスが孤独に晩年住んでいたアパルトマンがあり
いつも、ピアノのお生徒さんの家からの帰りや
コンセルヴァトワールからの帰りに
彼女のいたお部屋を、眺めていた。

ああ、彼女も孤独だったのだな。
だったら
私もやっていけるな、と。

彼女とは桁違いなくらいの、自分かもしれないけれど

また、一からやって行けるな、と。


その時々を思い出し


静かに始動してゆくのです、人生は。







ASAMIさんへ、限りない愛とともに。

いつも読んで下さる皆様へ

笑顔を込めて。





私は出来るのであれば
本当は全てに女性に寄り添いたいです。

出来る限りですが
音楽家としても、ハイヒールコーチとしても。




それは
誰にも言えないことばかりの人生を過ごして来たからです。



闇の歌は、光と友達です。





***
Le son de la Merのハイヒールレッスン
および音楽レッスン(ピアノ、仏語シャンソン)
5月15日(月)より始めさせていただきます。

近日中より、募集を開始いたします。
Blogの右側にある連絡フォームより
ご予約、お問い合わせを受け付け承ります
***





Amitié





Le son de la Mer
海音






2019年4月23日火曜日

この世を忘れて、花になる






プロとは何だろう、そう描く時に浮かんで来たのは

楽しむ事よりも、夢中でやっている「何か」。

夢中でやっていると「楽しい」とか「辛い」とか思わぬものだ。


私は2歳半から書道家の祖母に書道を学び、4歳頃から音楽を始めた。
時間の流れは、こうだ。
遊ぶことは無いのだ。
何故なら、ずっと書きっぱなし、弾きっぱなしなのだから。

そう過ごすことが実は遊びだったのかもしれない。



しかし、やがてコンクールや大会が入ってくると
そうも行かない時がある。

純粋に何かをやっていても大人の事情で
捻じ曲げられる結果を目の前にする。

僻み(ひがみ)が妬みは、どこの世界にも、どこの国にもある。
何せ、私たちは人間なのだから。


以前、ブログでの綴ったが私には欠けている感情がある。
それは「嫉妬や、焼きもち」と言うもの。

あまり人に興味がないので湧かない感情だ。
唯一、私が子供の頃に嫉妬をしたのはすぐ下の弟のみだ。

非常に体が弱く、非常に頭が良かったからだ。

私は常に元気で、非常に努力家だったからだ。



話は戻るが、身内が亡くなっても
日本には一切、戻らなかった。
優先すべきことは音楽である事と分かっていたし
亡くなって行った身内の親愛なる人々は
私が反対にお葬式に出ないことを「私らしい」と喜んでいたに違いない。

そう、私は知っているし、他の選択は無い。
プロとして生きる道筋として。





       




書道も、ピアノも幼少期からのものであるが
ハイヒールは昨年の秋からである。

「指導する側」には責任がある。

ピアノ講師はパリで7年程やっていたが
プレイヤー気質の私にとっては「教えること」に興味があまり無く
初めのうちは精神的に厳しく感じた。

そうは言うものの、7年間もフランス語で指導出来たのは
どうしてだったのかと考える。



先日、ハイヒールのモニターレッスンを有難く行った。
必死すぎて、あっという間に2時間は過ぎてしまい
終焉後に

「ああ、あそこは断然にこういう風に注意を促すべきだった」

「教えることに必死過ぎて肝心な所に焦点が行っていない。」

「(私の)言葉と脳が繋がっていない」

.....などと
目を瞑ると沢山の反省が、泉の様に湧き上がって来た。

情熱はあっても良いが、もっと的を得た「情熱」をすべきだ。





何事に於いても「やればやるほど、奥が深い。」
学びに終わりがないように

「もっと自分は出来るのではないか?」
「もっと自分は惜しみなく出来たのではないか?」と思ってくる。




プロはわかる。プロに近づけば、分かってくる。

自分が
どのくらいの力を持っているか。出来るのかを。


まだまだ私はハイヒールを教えるに当たり
旅の途中で、階段を美しく上がりながらも
満ち満ちていないレヴェルである。



クライアントが「心から、変わりたい」
そうであれば、生半可な教え方ではどうにもならない。

クライアントが「心から、変わりたい」のであれば
己も「心から、変わる」ことをせねば。



(音楽レッスンの例え)
子供ならまだしも、親に習い事を嫌々させられて
2,3ヶ月も同じ曲をダラダラと練習もせずに持ってくる。
これは仕方ない。よくあるパターンだ。

そうなるとこちらも、もう情熱的には注意をしなくなる。
何ごともそうだが、何も言われなくなったら、もうお終いだ。



しかし、ハイヒールレッスンを受講されたい方は
殆どが「自分の意思」で学び始め、安くはないお月謝を払う。




このブログの初めに綴った
「プレイヤー気質の私が何故
ピアノ講師としてフランス語で教えられたか」



それは、音楽の喜びや楽しみを教える小さな伝道者として
美しさや、豊満な色彩の世界を分かち合える音楽の旅人として
きっと誰かに音楽を伝えたくなったのだろう。



だとしたら、ハイヒールコーチとしてならば

女性の特権として、優美さ、美しさ、楽しさ、誇り、しなやかさ
まどろみの中には無い「現実の女性」としての「姿」にある生命の
美しさをより確立させるものとして、私は「これからの女性」と共に
美しい足跡を作って行きたのかもしれない。





足跡とは、いづれ消えて無くなるものだ。

だからこそ、諸行無常の中で「どれだけ美しく」自分の人生を歩めたか。



それを、女性はハイヒールで描くことが出来る唯一の生き物である。


そのプロを目指すとはモンブランの山よりも厳しい気もするが
ある意味、生きている「価値」を試される事とと言えよう。




プロとは夢中で地獄を歩き
いづれ立ち止まった時に天国を見る伝道者であろうか。



Amitié



Le son de la Mer
海音





        

2019年4月12日金曜日

唇に、赤い歌を乗せる


                影遊び



赤い口紅をつけることは、コンサートの時か撮影の時のみだった。

しかし、先日のモニターレッスンの際は忘れていたが

赤い口紅をつけていたことをASAMIさんが教えて下さり

あゝ、そうだった...か。と朧げに記憶を心に映した。

一生懸命過ぎたのと、娘の体調があまりに酷かったので

自分が何色の口紅を乗せたのか憶えていなかった。

もしくは
そういう時だからこそ「赤い口紅」を無意識に選んでいたのか。



そして普段の生活から赤い口紅を乗せることは
また新たな未来を描くことになりそうだ。


以前、真っ赤な髪の毛にしたり、真っ赤なコートを纏っていた。
今は自分も進化し、もう、そうではない。


そうか、だったら

唇に赤い歌を乗せればいい。



普段、口紅は青いベージュや青いピンクしか乗せなかった。



以前、私の目を赤色と青色で描いてくれた画家がいた。
だから
どちらでも良いのだ。

選択は。



1日の質を上げる「選択」をすると言う事。





そうそう、先日、娘の入学式でブルタンのオープントゥの
ハイヒールを履こうと思っていたが
あいにくの大雨で、泣く泣く数年前に履いていた
ベーシックなパンプスに変更することにした。

心の中ではルブタンやジミーチュウよりもヒールが低いし
当時は吸い付くように、自分にとっては履き心地の良い
ハイヒールであったので
久しぶりでも大丈夫であろうと思ったのが最後。


本当に久々に、酷い靴づれになり
我慢出来ぬほどに...皮が大きく深く刳れていた。

ASAMIさんとのハイヒールレッスン時にも支障がある為
ハイヒールを履いてのウォーキングはASAMIさんのお計らいで
女性の性のストレッチに変更をして貰った程であった。

それ位、痛みをかばってしまう自分を分かっていたので
本当に的確なASAMIさんの変更が天国に感じて仕方なかった。



ASAMIさんが仰ったこと、それが
「もう波動が違いすぎるのですよ。」


確かに。

その靴づれを起こしたハイヒールパンプスは
お値段もお手頃、ヒールも7-8cm、形の無難
メゾンではなく
国産の女性アパレルメーカーから出ている物であった。



そうか。
あの頃の自分ではもうないのだから
あの頃の「波動」のハイヒールを履いていたら
それは靴づれになるのだな。


当たり前なのだな。


今はもう、違うのだもの。




「波動」や「質」とは
この「日常」から選ぶもので全てが変わってくる。


かつて、数年前はこのパンプスが己にとって
一番履き心地が良く、気に入っていた。

しかし、今は、私の足を引っ張るものとなっていた。



それは、ふと思えば
人間関係もそういう時があるだろう。




全ては同じで繋がってるいる。




潔く、そのパンプスを手放し
私は新しい外用のルブタンを迎えたいと思うようになった。



赤い薔薇の歌を、唇に。

今の私の呼吸を、足先に。




心軽やかに
明日はどこかへ探しに行こうか。



春だ、春だから。





Amitié





Le son de la Mer
海音







2019年4月9日火曜日

靴と、子どもと、老子(モニターレッスン後に蘇る思い)



               近所の川
   
    














このブログを綴る前に祈りたい事がある。

それはある小さな少年の事だ。

先日、娘の新しい運動靴を靴屋さんへ購入しに行った際に
あまりに酷い光景と言葉を見た。

きっと、その母親は家でもその少年に罵声と虐待をしているであろうと
直感で感じた。

この靴が欲しい、これは?と持ってくる少年に母親は

「高いんだよっ!うちには金がないんだよっ!」云々叫ぶ母親。


この母親、特別ではない。
何故なら、昔の私もそうなりそうだったから。

少年の姿を私は見ていられなかった。

それからずっと少年のことを思い出し
その子が豊かで笑顔のこれからを想像し
明るい顔で母親といることを描きながら夜空を仰いだ。



そしてお金が無いと言いながら、子供達よりふくよかな体格。
これはもう自己管理が出来てない
だらしないものだった。

子供に泣け無しの量でも多く分け与えていたら
そんなことに、ならないであろう。

気が遠くなる瞬間だった。


娘も新しい靴を試して、一生懸命に履いている最中に
その罵倒する声を、驚いた顔で聞いていた。

私は見せたくなく、聞かせたく無かった。



子供に欲しい、履きたい運動靴を購入する。
しかし色々、どの家庭でも事情がある。


ただ
私は娘が欲しい靴や、運動靴を小さなうちは
いつまでも買ってあげれる親でいたいと思った。

その光景が私に見せた、ある見知らぬ親子の映像は
きっと色々な意味が心に流れ、とめどなく心をえぐられた。


その幼い少年が、今夜ゆっくり眠れているように
小さく祈るのだった。










先週の土曜日にモニターレッスンを行った。

実はその二日目から娘の体調が崩れ、39度のまま下がらなかった。
しかしモニターレッスンの時間は迫って来た。

当日は復習や、確認をする余裕が無かった。
モニターレッスンの前後に小児科に連れて行ったからだ。

こう言う時は、よくある。
本業の音楽にさえ、100練習していても
本番直前にアクシデントや、如何しようも無い事が。




そう時は、あきらめる。

老子が昔、語ったはずだ。


「あきらめよう、そうしたら上手く行く。」



もがく程、苦しい。

あとは呼吸を整えてその時をお迎えする。
もう、そうしようと決めたのだった。




モニターレッスンの最中は、回数を誤ってお伝えしたり
モニターの全身のバランスをあまり多く見れず
伝えきれない注意点が沢山あったことが
レッスン後も私の心の蟠り(わだかまり)として残った。

しかし、モニターである彼女の上半身は美しく
猫背にも反り腰にもならない軸があった。
これは本当に素晴らしいと思い、思わず何度も

「素晴らしいですね!」と声をかけずにはいられなかった。

私であったら、右か左に傾き、初回は必ず...かなりの猫背であったから。



それにしても、指導することは本当に難儀である。
以前、ヨガのインストラクターの学校に通っていた事があるが
後半でやめてしまった。

何故なら
シンプルに「指導」が自分には持って行けないと感じたからである。



音楽の指導も、より自分が研鑽を積んで行かずして
やっては行けないものだ。


人前で話すことや、表現することは職業上、慣れている。
そしてASAMIさんの「声の哲学」も非常に興味深く
自分に善い探究心を持たせてくれた。

お陰様でより深みのある話仕方を、身に沁みこませている。



だが、本番となった時
たまに緊張から来る、吃る瞬間があった。



そしてモニターさんが
「こんなにも、濃くてハードなレッスンだとは思いませんでした。」と
美しい汗をかきながら真摯に語って下さった事が嬉しかった。





みっちり、2時間
娘の熱が39度であろうと
気持ちを切り替えて、モニターと向かい合えた事だけは
やり遂げたと思った。
(レッスンの内容の細かな指導の良し悪しは別とする。)



やはり、色々な親がいるから
私みたいな親にも、以前はブログを通して誹謗中傷があったが
ただ貫くだけなのだ。

人のことなぞ、言えないではないか。とね。
思う方もいるのでしょうが


だけど、やるしかないですから。





子供にうちにはお金がない!と罵倒するなら
あなたがあなたらしく、働く努力をすべきだから。
甘えるな、と。






お話を戻します。

モニターで来て下さったEさん
またお逢い致しましょう。

自分に多くを気づかせて下さるお時間を
本当に有難うございました。

春風と一緒に尋ねて来て下さり
そして今後の道標を残して下さいました。




心からお礼を申し上げます。





そして、いつもこのブログを読んでくださる皆様にも
感謝を込めて。




Amitié.




Le son de la Mer
海音





2019年4月5日金曜日

新しい自分が、懐かしい(モニターレッスン前夜)







明日は待ちに待った、モニターレッスンの日です。

厭、待ちに待って居なかったと感ずるのです。正直。
早く...嵐のように過ぎ去って欲しい...と呟いていたのも、確かです。


私は何事もエンジンが掛かるのが遅く(ASAMIさんにも言われました)
もしくは、思ったら即行動的な極端な性格なもので

5日前から本格的に取り組み始めました。


一日7-8時間、通しで取り組みました。
集中力にかける為
固形物は食べず、ミネラルウォーターしか口に含まず
睡眠時間もいつもより削り...
最後の一時間ほどは意識が朦朧として
床に座り、目を閉じて、厭、白目をむいて続けました^^;


本来、地獄のようにストイックな人間ですが
日本に帰って来てから(ブログにも沢山綴りましたが)
私は「生き甲斐」が無くなってしまい

心も顔も身体も「ぼんやり」して
一番、自分が好きではないタイプになっておりました。




一つ一つのストレッチやエクササイズに実は夢中になってしまい
時間を忘れて行う始末....
ランニングハイになり、段々とじわじわ夢中に。



ASAMIさんとのハイヒールレッスンやコンサルティングで
一番酷かった思い出は

娘を寝かせて、自分も寝落ちしてしまい
ASAMIさんからの電話で目が覚め、布団から飛び起きる様...

ASAMIさんは私に忍耐を沢山使って下さったのでは...と
頭が上がりません。



子育て、仕事、音楽活動にハイヒールが本格的に人生に入り
やはり産みの苦しみ、とでも言いましょうか
遠慮なく苦しかったです!

しかし、何故ハイヒールに自分が向かうのか?




それは心と身体の進化が、目に見えて分かり
身体の軸が整う度に、心の軸もより強くなり
日びの中で
選択するものが実に、進化して行きました。



そしてプロ音楽家として、今後の舞台のために
表現の彩どりを豊かにし、より美しい自分であるために。




日本は「年齢」で枠を作りたがり
ナンセンスな事を決めたがったりすることが、至極多いですが

ハイヒールで美しく優美に歩くことは
美しい姿勢で過ごすことは
優雅に過ごす事は
何歳になっても実は出来るのです。



その事を、私は自ら体験し始めています。
そして、これからその事を伝える側でもありたいと思います。





娘は0歳の頃から、ASAMIさんと息子さんのPeter君と
一緒に過ごした事があるので、ASAMIさんとの時間をとても理解してくれ
「ママ、がんばってね!」と言い
ハイヒールレッスンとコンサルティングの時間は
違う部屋で、大好きなティンカーベルのDVDを楽しんで観るか
または一人で眠っていてくれました。

小さいながらに私のことを理解して協力をしてくれました。


時に
私のルブタンのハイヒールに、小さな足を入れて
「つま先から!」とか「膝は曲げないんだよね?」と娘が言いながら
歩いている姿は可愛らしいものでした。
(また別の機会にブログに綴ります。)






さて、明日は新しい1日の始まりです。

ASAMIさんをはじめ
Team ASAMIのメンバーの皆さま
そしてハイヒールにご興味がある女性の皆さま

そしてご応募して下さり
今回、お逢い出来ます素敵なモニターさま。


どうぞ宜しくお願い申し上げます。






終わりに


.....この数日で体重が知らずの間に数キロ落ちました。
元に少し戻りました。

顔も引き締まり、心も引き締まり
懐かしい昔の自分を、鏡に映しているようでした。



新しい自分が、懐かしい。



それは「本当の自分」と言うものを
本来、よくよく分かっていたから
懐かしく、新しい気持ちで感じる事が出来ました。




感謝。




Amitié




Le son de la Mer
海音











2019年4月1日月曜日

ママ!2 「一人で揺らしたゆりかご」



                            5年前、無認可保育園に通っていた頃。
                           とても高く、その為だけに必死で働いていた。
                           庭師を勉強させて頂きながら働いていた。













「ママは、可哀想だと思う。いつも自分を責めて苦しんでいるから。

本当は木ちゃんが悪いのに、わがままだから。

でも、ママはいつも後から怒りすぎてごめんね、って言う。

いつもママは自分を責めていると思う。」



最近、ぽろっと私に向かって話し出した。


まだ言葉の引き出しが少ない娘だが
精一杯、私に伝えたかった様だ。



きっといつも彼女は自分の美しい万華鏡から
私を見ているのだ。







真夏に
楽しく歩いているどこかの家族を横目に
汗だくになり、一人黙々とベビーカーを押していた時。

夜泣きが酷く、明け方まで途方に暮れて
娘を抱っこしていた日び。

雨の日にベビーカーが泥濘み(ぬかるみ)にはまり
もう全てを手離したくなり、頬に涙が伝った瞬間
見知らぬ女性がすぐ横に来て、泥濘みからベビーカーを
上げてくれた時。


こういう人もいるのだ....
人生捨てたものではない、と心が緩んだ記憶が
雨の中にある。




いつも一人でベビーカーを押していた記憶は
ゆりかごを揺らした記憶は

ずっと自分の人生が終わるまで
思い出として春風のように吹くのだろう。


それは心の真ん中にある「私の人生の椅子」にたたずむ
.....いづれ、美しい「クッション(土台)」となって行くのだ。





図中にいると判らない。

自分が峠にいる事を。

乗り越えた時、判る。

自分の血潮の行方を。






昨年は色々乗り越えた、と言うよりも
いい加減、もう上の自分らしいステージと生き方をせよ!と言う
お告げだったに違いない。


私は愛を失い、至極、困憊し続け
容易く人を愛したり、尽くしたりする事をやめた。
しかし、恩師は死と引き換えに、最後に愛を置いていってくれた。


恩師が残してくれた愛とは「これからの選択である。」



そに選択をするには、乗り越えなくてはいけないものが沢山あった。
今もある。



いつも厳しい課題を突きつけてくれる恩師は
いつもと変わらぬままだ。


今だから笑える話だが
初めて恩師にピアノを師事した年の夏のバカンスの宿題は
ショパンのエチュード24曲全てを仕上げてくる事だった。


その年の夏は
日本に帰り、大きな舞台や、初めてのワンマンライブが神戸であり
自作曲やシャンソン弾き語り曲だけで30曲以上も
練習しなければいけないのに。


その事を恩師に言っても首を縦には振らなかった。


この現実的に厳しい課題をどう乗り越えてるのか?


これは音楽に限らない。







答えは「思考」を変える事だった。






昨年の秋から、今日まで
「同じ」ことは無くなった。





私はもう、同じ選択は終い(しまい)。


乗り越えると言うことは

「もう、同じ選択をしない。もう、振り向かない。」と言うことか。









娘は私を強くした。

私に一人でベビーカーを押させ、ゆりかごを私に揺らさせた。



今は手を離れ、自転車に乗ってみたいと言う。

時は経ち、もう夜泣きもしない。


その時は
永遠に生きるように苦しい。


しかし、永遠の命はこの世にはなく
明日は新しい1日となる。




Amitié





Le son de la Mer
海音




追伸

今回は初めて書き直しをしました。
今月から自分と向き合える時間が多くなるため
ブログもまた少しずつ更新頻度を多くしようと思います。
いつも読んでくださり、どうも有難うございます。