2019年2月25日月曜日

(今後の音楽教室への宣伝1)私はOOしない先生です








この春から色々生活が変化するので楽しみと言うか
未知との遭遇のような気持になる。


最近も
やはり心で違和感を持つもの、人に対して離れる結果の流れが
自然に強くなって来ているので

あなたにとって
この場所と、環境と、人は
違うのだよ、と教えてくれている事に至極納得する。



少しずつピアノとシャンソンのお稽古で
お生徒さんを募集していこうと思う。

やっと、やっとだ。



以前も申し上げた通り






*日本風?の教え方はしない
....今どき、日本人が選ぶ古典的な教則本は必要ない時代です。


*グループレッスンはしない
....私自身が不器用な人間のため、大人数では気が回りません。
それに、お一人お一人の音楽に強く向き合いたいからです。


*日本語でのシャンソンレッスンはしない
....フランス語のシャンソンしか興味がないからです。


*指導に妥協しない
.....基本ですが。
しかし「やるかやらないか」はご本人次第ですので
その問題は私の問題ではありません。


*値引きしない
.....パリでピアノ講師を始めるにあたり、お師匠さんから
30ユーロ以下はやるな。それは家政婦の時給である。
お前は家政婦ではなくピアニストであろう?と言われたことから。



どこの国にいても
自分の価値観は変わりません。






メリットとしては(ピアノレッスン、シャンソンレッスン)


*フランスのエスプリを感じながらレッスンすることが可能です。


*フランス語の用語などを用いて
またはフランス語でのレッスンのご要望はお受け致します。


*1937年のE.D.SEILER(ザイラー)ドイツ領ポーランド製のピアノで
レッスンいたします(象牙、マホガニー)。


*シャンソンレッスンでは無料でピアノ伴奏をいたします。
(レッスン、コンクール出場も含める。)


*ピアノに向かう際、または立って歌う際の姿勢の指導も
致します。



*音楽などに関する通訳、翻訳をお受けいたします。


*日本ではまだ知られていないシャンソンをご紹介可能です。


*旅先などで役立つネイティブフランス語の言い回しなどの
講座もご希望があれば開きたいと思います


*出張レッスン可能です(条件としてピアノが出張先にあること)





曜日は初めは「土曜日、日曜日、月曜日」のうちの
いづれの2日間をお生徒さん募集と予定しております。


お時間は午前11時から19時(18時)まで(曜日による)の予定です。





場所は基本、都内の私の自宅で行う予定です。

注)男性は紹介のみ。



コンサート活動が優先ですが
その際、レッスンの振替は必ず行います。




詳しいことはこれから決定していきますので
その都度、ブログにてお知らせを致します。


ご興味がある方は
心に留めておいて下さると幸いでございます。


どうぞ宜しくお願い申し上げます。




Le son de la Mer
海音







2019年2月18日月曜日

命の星の運転手
























自分の心と繋がり、常に生きること。

そうすると何らかの決断も、いつも早い。

そして、その行く先は

厳しいながらも自分の生き方の王道になる。


初めは道のない、原野の小道であっても

いづれは自分にとっての王道とへんげしてゆくのだ。


列車には往復切符はあっても

人生には往復切符と言うものは存在せず

悲しいかな、止まることはない行く先があり

毎日、同じ方向の自分の終着点に向かい生きている。

しかし、人生を列車と例えるのならば

いつも、一緒に乗っていた人が降りて行く場合もある。

そして、新しく乗ってくる人もいる。

どの駅を目指して、一つの区切りとして生きるのも自分次第か。




命の星に住んで、その星から遠ざかる列車に乗るまでは
自分がその列車の運転手だ。

あなたは今日

命の星で、どの様な運転をしながら生きるのだろう。






自分の決断は、自分の責任。

人生の中で、大きな決断だったものは何だったか。



私にとっては

「よし、フランスへ行こう。」とすんなり決め

大学卒業式よりも、当時上手く行っていた彼よりも

フランスに行くことをあっさりと決めてしまい

そそくさと日本を出て、フランスに行ってしまったことかと思う。




文面で綴ると非常に単結なものに見えるが
その後の十数年のパリでの生活は
想像を絶するものだった。




ピアノに何度も挫折し
日本のシャンソン界にも幻滅し
フランスのでの長い刑事裁判
シングルでの出産、子育て。


反対に、素晴らしい友人たちと
音楽の師匠に恵まれ
ピアニスト資格を取り
ピアノ講師になり
パリで素朴に弾き語りのコンサートを地道に続けれた。



多分、どれも、すべて


どの時も
私は幸せだったのだと思う。


何故ならば
自分を支えてくれる人々がいたから。




そして一度も日本に帰りたいとは思わなかったし
ホームシックたるものが湧き上がる事が無かった。


それは自分の生き方が、自分の心といつも繋がっていたからだ。







神様が「私という駒(コマ)」を日本にそっと置く時
どうしても私は帰ると言う決断が出来ないまま
帰らざるを得ない流れになった。


私の運転する列車は天災に押し流された様に
行き先が思わぬ方向に向いたのだ。


そして時が経ち、ここにいる。





ある日、私は都内の印刷工場に勤めていた。
地下で暖房も冷房もない場所だった。

印刷機に毎日向かい
無気力でたたずみながら、インクで真っ黒くなっていた自分の手を眺め
パリでの生活を思い出していた。

何だか疲れて前向きな気持ちではいられなかった日びを
今でも、たまに思い出す。




自分の人生の選択を誤った様な気がした。

誰と出逢い、愛し合い、何かを手に収めても
すり抜けてゆく取り留めのない事でさえ
自分の選択の責任ならば。




選択を誤った、と思っても自分の人生の列車は進んで行く。
後悔はあっても。

ただ、虚しさだけが心をえぐる。






また時が経ち

今日、水族館へ行った。
イルカショーを見たのだが、とても素晴らしく癒された。








これも22歳の時にパリに行くと、大きな決断をした時からの続きだ。

全て繋がっている。
厭、赤ん坊の頃から、それ以前からのストーリーなのか。




生きていると、この世の果て、の様な
果てしない歌のように感じてしまうことがある。


だけど人生は果てしなくない。
しっかり終焉がある。



どのように毎日を選択して生きるか
小さな選択は、時を経て積み上げられ

ゆくゆくは大きな選択になってゆく。


さざ波が集まって、大波になって行くように。





一見、惨めで不幸に見えても
それは自分にとってその時に必要なもの(と思いたい)であり
人生を作り上げて行く。


見渡せば、しあわせだ。





大きな決断は、やはりフランスへ行く決意をした日からの事。
何故ならば、あのまま日本に残り続けて生きたのならば
今の人間関係も、私も、娘もいなかったのだから。



だから
全て良しとなる。




そして、もし生まれ変わりというものがあり
誰かの美しい髪の毛に寄り添う、かんざしに生まれ変わっても
私は私だったことを忘れたくない。








今日も読んでくださり
どうも有難うございます。



Amitié





Le son de la Mer
海音







2019年2月14日木曜日

まなざしで人生を語れるか?(名古屋にて)















































厭、私は語れない。


まなざしをコントロールする程の余裕があった年月では無かった。

ただ、瞬きをせずに生きるのは得意だ。






先週末は
名古屋のアソシアホテルの最上階近くのお部屋に
娘と2泊も滞在をさせて頂いた。



ご縁がご縁を呼び
再会と助言と学びのための滞在になった。



名古屋に「カフェ コンセール エルム」と言う
有名なシャンソニエがある。


美輪明宏、アストル ピアソラなども出演し
フランス シャンソンの巨匠であったシャルル アズナブールも
バックアップしたシャンソニエだ。




























































エルムの代表である加藤修滋先生にはパリから帰国した後に
名古屋で短期間ではあるが大変お世話になり、応援して頂いた。

大きな恩人であり、国際的ピアニストだ。

そして加藤先生はフランス政府より「芸術文化勲章シュヴァリエ」を
叙勲されておられる。





しかし当時、私は自分のコンサートもキャンセルをする程
精神的に辛い時期であり、名古屋で歌う機会を何度も頂いたが
逃げるように東京に、誰にもお礼を言わずに出て来てしまった。

無論、加藤先生にもお礼を言わずに。




最終の新幹線に小さい荷物と、飼い猫のミロンガを乗せて
遠くなっていく名古屋をデッキから眺めていた思い出は
今でも何とも言えない気持ちになる。



それから数年経ち、幸いにも
加藤先生に再会するチャンスを頂いた。



反対に、私は不幸者で
どう顔を見せて良いのかも分からず
もう逢えないだろうと感じていた矢先だった。


大変お忙しいお方なので本当にラッキーだった。





数年前に、いきなり、いなくなった私だったのに
笑顔で穏やかに迎えて下さった瞬間には心が熱くなった。




色々話をお聞きし、あるコンクールに出場することを
勧めて下さった。

私はもうコンクールには全く興味がなく
寧ろ、倦厭する気持ちが多かった。

しかし尊敬する音楽家の先生が勧めて下さるのならば...と思い
出場を決心した(詳細は分かり次第告知いたします^^)






そして現在の私の弾き語りを聴いて頂き、ご助言を求めた。



「君は、もう歌も、ピアノも確立している。
だけど、自分の演奏する表情を見たことがあるかい?
表情が問題だ。」と。




























限られたお時間の中で
世界の有名どころの歌手達の表情を、映像でいくつも見せて下さり

8章節おきにしか、まばたきをしない歌手。

非常にゆっくりと、まばたきをする歌手。

優しい包み込むような、まなざしで語る歌手。




パチパチ何度も、まばたきをする歌手。



多少、歌が下手でも表情が良いと
吸い込まれるのも確か。

反対に、歌が上手くても
まばたきが多いと聴いていて落ち着かない。



....余談だが日本人は緊張をするとまばたきが多い^^;



昔、フランス人のシャンソンのお師匠さんに
まばたきをしないで表現することを学んだので
そこは問題ではないが




加藤先生は「私の表情と、まなざし」が乏しいことを
御指摘された。




歌も、ピアノも、完璧に持って行きたい目標がある。
妥協した弾き語りは一切したくないし
ピアニストとしても両立した歌手で居たいのだ。



しかし、演奏や歌に一生懸命なあまり
自分なりには表現をしていても
その道のプロに見ていただくと
本当に多くのボロが、あれよあれよと湧き出て来る。



でも、いい。

音楽に意見を下さり
自分がそれを受け入れる事が出来るのは
音楽も人生も、両方とも、尊敬をしている方しか
私は言うことを聞かないからだ。



それに歳を重ねると
プロと言う、音楽に対して
的確な助言を下さる方は居なくなって行く。





帰り際、加藤先生と固い握手をした際に
「いづれ、また名古屋でもやりましょう。」とお声を
掛けて下さった。




いきなり姿を消した私を、温かく迎えて下さり
助言まで鋭く、的確に下さった加藤先生との再会は
今後の人生の流れの深みを
増してゆくきっかけになった。






世の中は冷たいが
人は温かい。

そして今後、どう音楽で恩返しの人生を生きるか。





その鍵は「まなざし」か。






今日のあなたのまなざしは、どうだろう?


まばたきは、いつしましたか?






今日も読んでくださり
どうも有難うございます。






Amitié






Le son de la Mer
海音







2019年2月9日土曜日

美しい理り(ことわり)




                      photo by 高木 亜麗









気持ち良い人々といると
気持ち良く、物事が進む。


気持ち良い自分でいると
色々な事が、自然に回り出す。

最終的には、そうではなかろうか?





自分にとり呼吸が合っていない時は
心も、体も苦しくなる。


それでも無理に行うと
ゆくゆくは、そう言う結果になる。

人間関係や物事は
全てそう出来ているのではなかろうか?





生まれてから、今日の日まで
何でも思い出してみると
全ての答えがそうだったように。






履くハイヒールをクリスチャン ルブタンに変えてから
色々変わりだした。

人間関係も、私も。



それってどう言うこと?



履く靴を変えただけで
人生が変わるのならば
この世の女性は皆、ハッピーになるのだろうか?

答えは


NOだ。



何故なら
猫背で、膝を曲げてルブタンを履いても
人生は変わらない。

シンデレラ靴は
ただ履くだけでは
何も変わらないのだ。





それにふさわしい、エネルギーが完全必須だ。



明らかにルブタンが放つハイヒールのエネルギーは
今まで感じた事が無いくらいのエネルギーだ。

それに見合ったエネルギー、またはそれ以上に
漲る精神が必要だ。



音楽に例えると
何千万円のスタウィンウェイに
美しいドレスを纏い
ピアノの前に座り
バッハの楽譜を置き
3日前から練習した覚束ない(おぼつかない)演奏を

誰でもすることは出来る。




しかし、そこに伴っているのは何であろうか?

輝かしいピアノと、煌びやかなドレスだけである。





良いシャンパーニュを口に含んでも
良き時間、良き相手でなければ
水に等しく

水道水以下だ。






余談だが
今夜は昨年、奮発して購入したソファーに寄りかかり
シャンパーニュを少し飲みながら
ゆったりとリラックスして、ブログを綴っている。





基本、私は一人が大好きで
その時間を死守しなければ
何にも出来ない。

娘との時間も、例えようの無い
至極大切な時間だが

それ以前に
孤独での練習、作業は
私自身を作り上げる貴重な時間なので
これも何にも代え難い。





話は戻すが
ハイヒールレッスンでルブタンを履くようになり
今まで使っていなかった筋肉を使うことにより
「心身の軸」がシンプルに強化され



心の洗濯、選択
体の洗濯、選択

この二つのインプットとアウトプットが凄まじい。



ルブタンで、ゆっくりと歩くと
真冬の気温の中で、体は発熱し、汗が流れてくる。


まさに、スポーツだ。




軸が段々と出来てくると
心の軸も強化され


今まで、心の中で片目を瞑っていたもの(我慢、違和感)
本来の自分らしく無いもの
自分の呼吸では無いもの
本当は手放したかったもの

それらが明白に見えて来て

自分はどう生きたいのか

彷徨うこと無く
心の手で、その思いを掴むことが出来る。





基本、私は演じることが上手な人間なので
(裏表では無い意味で、そうでなければ表現者は出来ない)

その場を凌ぐことが出来ても
やはりボロがいづれ、出てくるのだ。


そんなことになるのならば
とっとと

今までの己を捨て去るのが良い。



私は、いつから、こんなにも悲しくなった?

と責める前に。






ルブタンは私に転機をもたらした。

故に、昨年の今頃とは全く違う環境と、境遇と、私がいるからだ。




それはエネルギー(波動)が変わり
現実も変わったと言うことだ。



切磋琢磨しながらも
安らかに眠りに寄せて
美しい孤独に凭れかかることが出来るとは





私は人生で知らなかったからだ。






Amitié



Le son de la Mer
海音





                      朝目覚めの、視界。

2019年2月4日月曜日

ママ! 1




       住んでいたパリ16区の近所をベビーカーでお散歩。







街角で「ママ!」と聞こえてくると

つい、振り向いてしまうのは

自分が親になった人生の経験のプレゼントを娘から頂いたからだと思う。


でも、私は変わらなかった。

娘が出来ても子供仕様の部屋にすることもせず

自分が生きるスタイルだけを貫いて来た。




当時、臨月まで一人でパリの自宅で生き

産む一週間前までピアノ講師として生徒さんの自宅に出向き

出産3ヶ月後は、費用が掛かっても

私立の託児所を探し出し、娘を預けてピアノ講師を再開した。




フランスは何もなければ産後3~4日で退院させられる。

私の場合は会陰の傷が痛くとも、体が痛くとも

退院当日に、歩いて薬局に行き、育児に必要なものを買い回った。

正直、頼る人が、頼れる人がいなかった事も確かだった。

そういう少し寂しい思い出もあるが

今は良い思い出だ。

若しくは、人に頼るのが苦手な性格でもあった。




いつでも、私は私でいたかったし

出産をしたところで、生きる姿勢は変わらないのだ。




きっとパリの女性ってそうじゃない?

私だけではなくて。

パリで専業主婦を探すのが大変な程だから。

今どき、いるのかしら?

少なくとも私の周りは居なかった。

自分の得意な事をもがきながらでも情熱を持って向かっている

女性が殆どだったと思う。

またはそれをバリバリ忙しそうにこなしているセクシーな女性とか。




子供を産むって素晴らしいと思う。

(そうでもない人生も素晴らしいと思う。)


人生が変わるわけだから。

でも、私が変わるわけじゃない。



親として、と言う何とも言えないものを与えられる感覚は
絶品なほどに
どうしようもない気持ちになる。



お花の芽に、愛と言うお水を注ぐ。

だけどその水の量や、肥料を与えすぎても、足りな過ぎても
根や、芽は枯れてしまう。

子供だって同じだ。



非常に過保護に育てられた私にとって
そこだけは強く強調して、経験したから言える。

極端な話、子供は放っておいても大きくなる。




しかし、自分(親)は自分のことを放っておいてはだめだよ。って。



2歳過ぎてから久々に娘と暮らし始めた時に
娘は私のことをイマイチ覚えていなくて、なつかずに
切ない気持ちになってしまった時があったけれど

「ママ!」って言葉だけは私に向かって話せる。
勝手に覚えてヨチヨチ歩いている。


それでいいのではないかなぁと思った。



では、「ママ!」と呼ばれた私の生き方は?




何とも上手くいっていなかった。
日本のシングルマザーに対する雇用はあまりに、ずさんで
足元ばかり見るから、参ってしまった。




子供に自分が出来ることは

自分の演奏を生活の中で適度に提供すること
自分が一流と思うものに触れさせてあげること
フランス的な思想
フランス語
字の書き方
挨拶
優しさ

清潔な身体にしてあげて
ご飯を一緒に食べて
良い睡眠をとらせること。

などなど。









ここでのフランス的思想とは

[Je suis comme je suis} 私は私。




日本は「みんなと仲良くしましょう」「みんなで〜しましょう。」の
教えが常にあるが

仲良くなぞしなくて良いと思う。
喧嘩をしろと言う意味ではなくて
自分と合わない人とは距離を置いて、合う人とだけ居てもいい。
本来それで良い。
だって波動が似ているのだから。
わざわざ一緒にいる必要がない。意味がない。

合わない人もいるんだ、と受け入れる。
受け入れた上で「自分はこう思っている」と討論できる。





そして自分をバカだと言わない。思わない。
そんなことを自分で言ったらヨーロッパでは
「本当にバカなんだ」と思われる。



「自分は素晴らしいんだ、素敵なんだ」と思っていい。





自分の感じていること、考えていることをプレゼンテーション出来て
自分のことが好きな人間


そんな人って素敵だと思う。







このブログタイトル「ママ!」はシリーズ化して行きたいと思う。
何故なら書きたいことが山ほどあるから。



子供が大の苦手で、一生独身で動物とだけ暮らしていければいいと
思っていた私にパリで天使がやってきた。




そして今日のブログの終わりに綴らさせて頂く。

以前アメブロでブログを綴っていた時に誹謗中傷で

「子供を認可の保育園に入れておきながら
好きな音楽だけやっている人間は、とっととフランスへ帰れ。」と
コメントがあった。




あ、このひと。私のブラウンディングに引っかかったな。と。笑

好きな音楽をやって生きて行くには
私の場合、派遣の仕事も、庭師も、販売員も、事務も
ウェイトレスも、他の事も何でも構わずやって来た。


しかしSNS上では、優雅に音楽だけ(コンサート)だけを
やっているように見えたのでしょうね。


だから私のブラウンディングは成功していたのです。



誹謗中傷する方々は、本当は身近で応援してくれている人が殆ど。
わかっています。





最近、この一週間で
大阪パリ祭出演のお誘い、千葉県でのクラシックピアノ演奏のお誘い
名古屋にいた頃に大変お世話になった恩人との再会の手綱...を頂きました。



流れが新しく進化して行きます。





読んでくださり有難うございます。




Amitié



Le son de la Mer
海音