2018年12月31日月曜日

音楽教育と娘(トゥーランドット 誰も寝てはならぬ)












































まずは今日で今年も終焉の日になり
門松を眺めながら、日本のこういう厳かで美しい風習は
素敵だなと横目で見ながら年末を過ごしている。


日本らしい年末の独特な空気の中は
一番日本が美しい季節なのではないかと感じずにはいられない。



本来は一年を思い返したりするのだが
今年は自分にとり悲しい別れが複数回あり
あまり思い返したくない心境である。



そんな中で最近のコンサートでも歌っている
プッチーニのオペラ「TURANDOT」より-誰も寝てはならぬ- を
また適度に録画してみましたので
ご興味のある方は見てくださいませ。

トゥーランドットより-誰も寝てはならぬ-

(日本ですとよくフィギアスケート音楽で使われているので
耳にしたことがある音楽だと思います)


もっと改善を図り、より朗々とした演奏が行く行くは出来たらと
思いますので、乞うご期待下さいませ。




娘が思いの外、体調を崩しお互いに寝不足になっていたり
年末に開いている小児科を探して出かけて検査をしたり
久々にバタついた年末だが、私はお陰様で元気である。
(血液クレンジングや水素のお陰かしら^^)



今年は1曲も作曲することが出来ず、インスピレーションが
降りてこなった年だった。

今までで一番ライブをしなかった年でもあった。

来年は自分らしい曲が出来ると良いなと思う。



私は音楽に対して非常に情熱的な人間ではあるが
それ以外はアンニュイで少し冷めている。

そんな音楽人間だが教育に対しては一体どの様な見解を
持っているか、または音楽レッスンについて綴ろうと思う。




パリで7年間ピアノをフランス人とユダヤ人に教えてきたが
面白い2つの法則があることを発見した。


1つ目....初めてお伺いするお宅の玄関と洗面所が汚いお宅は
トラブルが多く、レッスンすっぽかし、長く続かない。

2つ目....どんなに素晴らしいグランドピアノを持っているお宅でも
親が無理に子供に習わせている場合も続かない。



この2つは100%でした。


反対に


風通しの良いお宅で、玄関と洗面所が美しいお宅は
長らくレッスンを懸命に受けて下さる方が殆どでした。


「心」は「家」に繋がってるいると思います。
そして、それは音楽までにも。




基本、私は子供のピアノレッスンは募集してはおりません。
しかし何らかの繋がりやご縁のあるお子様には教えます。

教え方は、間違ってもバイエルやブルグミュラー、ツェルニーを
使っての教え方も致しません。
(どうしても弾きたい、と言う方は別ですが)


これは子供、大人共通です。

何故かと言いますと
それらの教則本は日本独特の音楽教育だからです。

それで競い合うのもつまらないものです。


基礎は「教則本」が無くとも準備出来ますし
まずは「ご自分が弾きたい曲」をご用意頂き
解釈、その曲の時代背景、作曲家のこと、をご一緒に探ります。

そこからです。


1曲の中に、学ぶべき技巧も、センスも、練習も
死ぬほど沢山のすでに入っておりますし
人生は有限ですので「ご自分が弾きたい曲」の中で
多くのニュアンスや技巧を学んで行けば良いだけです。

ただ、難易度が高い大曲などは
段階を踏んでから向き合えば良いのだと思いますので。



「音色」を探すことも特に重要としたい部分です。
音楽家にとり、音色を探し続けることは一生、毎日ですから
生徒さんにも同じことを、深みとして学んで欲しいといつも思います。


そして私のグランドピアノ(ED. SEILER エドワード ザイラー)は
パリで購入し、日本へ持って帰ってきたものです。

第三帝国で作られたドイツ製(ポーランド産)の稀なピアノです。

マホガニーで象牙の美しい小さなピアノで
良き古きドイツの音を楽しんで頂けたらと思います。






少し娘についても綴ろうと思います。

巷では、妊娠すると「モーツァルトやバッハ」が胎教に良いと
されている様です。

hertzの問題もあるのかと思います。

娘を妊娠している最中は
バッハは弾いていましたが、それ以外はプロコフィエフ、リスト、
メシアン、とかなり難儀なリズムと無調な曲もあり
胎教的に微妙なセレクトばかり弾いていました。

毎日練習やピアノの生徒さん宅に教えて行っていました。


娘が生まれてからは左手で抱っこし、右手の練習(その反対も)
オンブしながらハープの練習をしていました。

2歳くらいから私のコンサートにも時々来てくれます。


ただ、私は音楽を彼女に教えたくないので
ピアノやハープを娘が触っていても何も注意しません。

注意するとすれば
手の形、指の形、しっかりと奥まで鍵盤を押す事くらい。


それ以外は厳しくなり過ぎてしまうので教えません。
どうしても音楽を学びたい場合は
お外の先生にお願いするのが良いと思っております。


子供は娘に限らず、本当に可能性が未知ですよね。


以前、名古屋に住んでいた頃に昔ならではのお豆腐屋さんが
「ポー」と言う音とともに道端にやって来ていたのですが

0歳の娘はまだ「あー、うー、まんま」位しか
お喋りが出来ないにも関わらず

「うー」と言ってはお豆腐屋さんの音の同じ「高さ」で
「うー」と言う様になった時は、面白い!音の高さと同じ音声で
言葉を出している、とびっくりしました。


私の歌うフランス語の歌を意味もわからず
先入観なしに覚えて歌っていたり

題名を知らなくとも聴いただけで
「これはチャイコフスキー」と当てます。

どうして?と尋ねると
「なんかわかるよ。踊りたくなるよ。」と言います。


最近、一番驚いたのは....お絵かきをしながら
「ママ、この曲知っているよ。発表会の時に流れていたよ」と
ラジオから流れていた曲をすぐさま当てたのです。

しかもグノーやグリュックのバレエ音楽であり
1度しか聴いていない筈なのに、と驚きました。


別に親バカで行っているわけではありません。
まぁ、親バカでもいいと思っていますけど。


子供は本当に無限の可能性があることに
娘を通して驚かされます。


だから
押し付けてはいけないのです。


そうすると気持ちが歪んで消えてしまう。
(私自身、書道がそうでしたので)

放っておきながら、導いてあげる。




しかし子供にはどう言うピアノレッスンが良いのでしょうね。

それは自分が子供だった頃に「楽しかった」こと
どんな曲で、どんな先生で、どんな感じだったか

それが私の答えです。



無意識で楽しいのが一番です。

子供でも大人でも好きなことはランニングハイになる。

音楽だってそうだった。

でも、練習しなさい、とか言われると気持ちが下がる。



私は小さい時は練習が厭でしたので
自分の世界に入り作曲もどきを、隠れて沢山やっていました。

あとは
今、吹いている風の音、スズメの鳴き声を
ピアノで真似して弾いていた記憶があります。

それが一番楽しかったからです。

今でもモーツァルトを弾くのはあまり興味がなく
作曲している方が楽しいです。





楽しくなくなった時

人は物事からも、人からも離れるのと同じ様に。





子供の目線で、ピアノを子供に伝えられたらと
今後、日本の子供さんとご縁がありましたら

そう教えたい楽しみがあります。
(音楽教育、レッスンに関してはまた続けてブログに綴ります)




良いお年を。



心を込めて。




Le son de la Mer
海音






追伸 これは全くの私の嗜好で趣味ですが何百回と観た
   リリアナ カヴァーニの映画です。
   その中にグリュックのOrphee et Eurydice Dance des Furiesが流れています。
   愛の嵐(The Night Porter








2018年12月24日月曜日

Cadaux de Noël pour vous クリスマスプレゼントです^^














































こんばんは。

クリスマスイヴを如何お過ごしでしょうか?


先ほど、自宅で録音してみました。

いつもお世話になっております皆さまへ
ささやかですが☆クリスマスプレゼント☆です。

もし宜しければお楽しみ下さいませ。




Cantique de Noëlを日本語と原語フランス語で歌っております。
世界では『O Holy Night』で親しまれております。

日本語題名は「さやかに星はきらめき」です。


どうぞ皆様が心穏やかで温かなクリスマスをお過ごしに
なられます様に。

いつも、どうも有難うございます。

心を込めて。


千葉海音

2018年12月20日木曜日

ASAMIさんとの出逢い









2011年、出逢った頃のASAMIさん



当時、私は何故かネットサーフィンをしており
ASAMIさんに辿り着いた記憶がある。

瞬間的に

「あ、この方とコンタクトを取りたい。」と直感で思い
隈なくASAMIさんのこれまでの人生のブログを拝見させて頂きました。

それは夏の終わり位だったでしょうか。

そして秋も深まる頃にコンタクトを取った記憶があります。


当時、私は10年以上パリに住み続け
その時に持っていたヴィザをはっきりと労働に切り替えようか
色々考えていた頃で
音楽活動もフランス、日本でまずまず出来ていた頃。

しかし、パリと言う街で
何か物足りなさを感じていたことも確かです。

贅沢ですが
心通う友達も、恋人も、音楽環境も、ありました。

(現在もそうですがフランスの方が友人知人は日本より多いです)





そして時が経ち、ASAMIさんからも、フランスからも離れる時
とても泣いた記憶があります。

私はフランスに居たかった。

日本に帰る覚悟がないまま帰国しました。




そしてまた時が経ち
パリで出産した娘の木も
今や6歳になり、日び二人三脚で生きています。



ピアノのお師匠様が昇天され
やはりまたパリの土を踏みたい、逢いたい人に逢いたいと
娘とパリに里帰りをしたのが9月でした。




そしてまたASAMIさんと再会し
ハイヒールに足指先を美しく入れる生活を再スタート致しました。




前置きがなくなりましたが
私は確実に変わりました。
もとい、進化しました。


高価なメゾンのバレリーナシューズも売り払い


現在はハイヒールとスポーツシューズのみです。
(元々私はスポーツが好きなのでシューズは外せない人生でもあります)



やっと最近、本望に足親指の「母指球」に体重を乗せれる意識が
より強くなってきました。

体のどこを使えば美しいのか、そうではないのか。





電車に乗っている女性の姿勢や
椅子に座りながら膝を広げている姿
スマートフォンを覗き込み猫背になっている姿
道や階段を歩く際に大きな音を立てながらパンプスで歩く姿
内股がカワイイ?と思っている変な女子文化
せっかくのレストランやcafeなのに無言でスマートフォンを見ている
人々。
急いで駆け込む姿。



いつも違和感を感じていましたが
より目につくようになりました。





勿論、そちらにエネルギーを取られることはないのですが
反面教師が溢れている現在のおかしくなって来ている日本に
直面します(勿論、そうではない方もいらっしゃいます)。



そして気持ちの面で、思います。


ハイヒールパンプスのハイヒールは
その履く方の心身そのままを、表していると言うことを。



いつも急いでいる人....パンプスのヒールに皮がめくれている女性。

良いパンプスにも関わらずブランドだけを身につけて
実際に「履きこなせていない」....見栄だけの女性

乱暴に履きすぎてヒールが折れてしまう...女性

若い頃からの癖でO脚になりが外側重心の....まだ可愛くいたい女性






私はどちらかと言うと目標は
ハイヒールパンプスの元々もヒールの様な女性になりたい。
そしてあり続けたいです。


最近、より自分の中心が体で取れる様に少しずつなって来ました。
するとどうでしょう?







私は変わりましたね。



ASAMIさんのハイヒールの哲学に毎日触れ
コンサルティングやハイヒールレッスンで
その哲学を自分の中で咀嚼し、変容し....いる結果



そのハイヒールパンプスの美しく存在するヒールの様に
凛と一本で、そこに在る女性に成るべくして
生き始める様になりました。


ハイヒールのヒールの様に生きたいと言う訳です。



一人の人間と出逢い、自分の人生がより美しく変わって行く。

そんな素晴らしいことがあるでしょうか?



しかし、そう言う方に逢えるのは人生に
ほんのわずかです。


私は今までの人生の中でASAMIさんとの出逢いは
5本の指に入るお方です。



初めは、わー、と思っていても
時間と共に、自分の変化と共に消えてゆく人が多い中
静けさの中で強烈に響く印象を残してゆく人は
そんなにおりません。


そして、大切なもの、たくさん、多く在るほど、人生長くありません。





ASAMIさんに再会させて下さったのは
ピアノのお師匠様とのお別れでした。




しっかり、自分らしく、あなたの人間性を奏でて生きなさいと
最後に残して下さった希望だったと思います。


パンドラの箱に最後に残ったものは
「愛」ではなく「希望」だったことを思います。



どちらも途方もなく深いものです。

どちらでも、最期に残して下さった
静かな愛と希望だったのです。







私は自分の気持ちに素直なので
非常に不器用な人間で損するタイプだと色んな人々に今までも
言われ続けて来ました。





最近、お世話になっているコバシャールさんの言葉に

「損したって、いいじゃない。」

「今の時代、みんな自分が得することだけ考えている。」とあり

あゝ、そうそう。本当にそう思うと感動しました。

他の人から見て「損している」と思われても
自分にとって「得(徳)なこと、自分らしいこと」があります。





話が大分、ずれてしまいましたが





ハイヒールをまた本格歴に学び出し、履き始めたら
自分もハイヒールの様な人間に少しずつなりかけて来た。
(日び一歩、一歩ではあるが)


いつも凛として、細い華奢な一本の軸で生きている。
しかし、その細く華奢な一本の軸は「鋼(ハガネ)」であり
誰も、何も自分を揺らがせることは出来ないほどに強靭である。

ソールの曲線は女性の精神としてのしなやかさ、たおやかさである。




ASAMIさんはおもしろい。

人間を進化させる魔力がある。
魔力と言う名の繊細な洞察力、まなざし、揺るがない強靭精神だ。

どこにもない
一つの花(ASAMIさん)です。





ピアノのお師匠様もそうだった。
だから10年も師事し続けた私の本能がある。


自分も人間が強い性質の類だが
自分に必要な人は必ずいる。





身体の軸と、心の軸が
本来の私へ戻る季節に入った今


この季節で良かった。




以前、フランス人の男性にも
「君は本当に強い人間だよ。」と何度も言われた。

より、今、強くなってゆく。



出逢いは人生を変える、とはこう言うことだ。


これから徐々に、良い方向へ私は人生の舵を取る。


そのための美しい西洋の風はASAMIさんであると。




Amitié


Le son de la Mer
海音







2018年12月19日水曜日

ひとりごと

















































本当に自分の波動(エネルギー)に合っているならば
全てはスムーズに行っているはずだと思う。



最近は特にそう感じざるを得なくて
冷え冷えとした心持ちでいたり
やんわり穏やかであった気持で居たり
差がある自分を素直に感じる。



それに強く則って生きる。


自分の気持ちを誤魔化さない。

それこそ
己を放棄していることになってしまうからだ。




冬は好きだ。

自分の心がより澄み渡り
本心が曇りなく見えてくるからだ。

余計なエネルギーは使いたくはない。




今年
美しかったことを思い出す。

無論、良いことで感謝の意味の一年であった。






心に正直にしか呼吸が出来ないので
今までの自分がしてきた選択はもうしない。



自分に正直で居たい
自分を大切にしたい。




自分の領域を大切に、守りたいですし
自分らしく
美しく生きるための方法が一番大切です。



例えば他から変に見られても

私は
自分を大切にしたいのです。




Amitié




Le son de la Mer
海音










2018年12月16日日曜日

少女の顔で、老婆の声 其の一








昔、あるお世話になっていた女性のピアノの先生が仰っていた。



「あの子ね、凄く上手で完璧なのよね。誰も太刀打ちできないくらい。

 でもね、演奏がつまらないのよ。恋したことがないのよ。
 
 または男性と付き合ったことがないものだから。

 ピアノ、いいけど、弾く前に恋をしたらいいのだけどね。

 そしたら最強だと思うんだけどなぁ。エクスタシーがないのよ!

 アルゲリッチくらいの顔、あなた知っているでしょ!

 あれくらいの顔、しなきゃ!」←徐々にヒートアップして行く。









機械的な情熱のピアノ演奏はパリでも幾らでも聴いて来た。
尚の事、日本でも。



先を言うと、要は何でも経験なのだと思う。







まぁ、色々な表現法があるので何とも言えないけれど。


私は情熱的に頭や体を振り乱して弾くタイプの人間(演奏家)ではない。
そう言う余計なエネルギーパフォーマンスを避ける傾向がある。

意味がないから。


それに私はエンターテイナーではないから。







小さな頃から師事していた先生方も
そう言うタイプだったのかもしれない。



淡々と、冷え冷えとした姿勢で弾きながらも
音には色彩があり、温かみがある。



非常に落差があるものが好きで、至極、魅力的だ。






ASAMIさんとのハイヒールレッスンも同じことが言えるだろう。

「余計」な動き、意識を入れない。

「焦点」だけに強く強く、意識をする。

非常に芸術的で理に適っている。



いつも
あゝ、理に適い過ぎていると感動します。










ハイヒールの歩き方も
ピアノの弾き方も

色気や性が非常に重要だと思います。


その波の満ち引きがある様に。







リストの超絶技巧練習は以前、私も得意としていましたが
幾らでも「機械的に」「速く」「超人的」に弾くことは
ある程度のピアニストなら出来ると思います。

リスクは腱鞘炎に成りかねない時もありますが。


しかし「人間的に」「冷酷さ」「温もり」「呼吸」「間(ま)」を

または「神の領域」を



どれだけを持って表現できるかが、人間表現力のおもしろみであり
リスナーにも高揚感や幸福感、清閑的、歴史的悲壮感なものを
身体中で感ずることが出来ると思うのです。


当たり前ですが「機械的」「速さ」は初めは面白がられても
果ては、飽きられます。




感覚の問題ですが
パリである有名なヴァイオリニストの演奏を楽しみに聴きに行った時
(私の偏愛するショスタコーヴィッチのプログラム)


解釈とセンスがあまりにも自分の感受性に合わず
その場に居られなくなり
奮発して良いお値段のお席にも関わらず
一部まで我慢し、休憩中に音楽劇場を出てた。


そして、すたこら家に帰ってしまった思い出がある。


(まだOISTRAKH....オイストラフ(私の愛するヴァイオリニスト)
のCDを家で聴いて居た方が幸せだと思い)




愛してやまないショスタコーヴィッチ ヴィオロン コンチェルト op.99 No.1
(笑いもせず、高揚する顔もせず、ぶっきらぼうな相変わらずなお顔)

しかし
ファイナルをこれまでに圧巻、高揚、勝利で奏でるヴァイオリニストが
どこに、いるであろうか?これぞ全くブレない官能だ(私にとって)




多くの演奏家は体を揺らして演奏する方が多いが
オイストラフは動かない、変わらないポーカーフェイス
音楽は高揚しても、自身の体も顔も高揚しない。

しかし音だけは凄まじい人間性の嵐だ。

何年聴いても、それは変わらない。


Shostakovitch violin concerto op.99 No.1 final
☆音が出ますのでお気を付けてください。


(その他、ショスタコに関する音楽を載せようと思ったが
あまりにマニアック過ぎるので割愛させて頂きます)








好み、そこに含まれる「きっかけ、原因」となんぞや?





思うに


「呼吸」と「官能」ではないでしょうか?





前に述べたように
昔、師事して居た女性のピアノの先生が限りなく仰って居たことに
共通すると思います。



人は、そこを求めますね。




しかし「あけらさま」に分かってしまうような呼吸や
官能は滑稽なピエロです。

本人から自然に醸し出される人生、の音とでも言いましょうか。






「呼吸」と「官能」は重なるものがあります。



そして同じくらい「非常に興味のないもの」でもあります。
私にとっては。





ある意味、幾らでも演技が出来てしまうものでもありますから。


非常に忍耐強く、全くつまらないの時間にもなります。






以前パリで、日本で、歌を歌った時に同じ言葉を頂きました。

まだ20代〜30代のシャンソン下積み時代でしたが

「少女の顔で老婆の声の歌手」と。




私は
それで良い、と当時から本望だと思って居ました。

老婆くらい、生きて居たと思うときがあるからです。

多くは語りませんが

当たり前だ!と叫びたくなりました。





生きること全てが音楽でいる自分にとって
「感じる」何かは常に「餌と肥やし」として生きて来ました。





男性にドキッとすることですか?

その人、それぞれで「これ」と言うものはありませんが

色々冷めている部分も多く

美しい雌猫と一緒に過ごす方が幸せだと思うのは
ワガママでしょうか?







私は変態なのです。







官能ない音楽は、ただの「工事現場の機械音」なのです。



官能とは「呼吸」と「血の流れ」とも言いましょうか。

ただ、そこに何かの「軸」がなければ
かつて生まれなかったものだと
産み出せないものだと思うのです。



その人が孕んで来た
人の道




所謂、「脈」でしょうか。






Amitié




Le son de la Mer
海音









2018年12月14日金曜日

あなた、髪を切らなくて良いから








































髪に魂があり、髪に心がある
頭皮は美の源泉であり、女の生命である。



髪は神への架け橋であるから、多くて長いのが結構である。
美術家などが髪を長くすることは、まことに理由があることで
これでなければ芸術的なよい想いはうかびにくい。

インスピレーションと言うのは、神からの内流である。

頭髪だけは毛といわずにカミというのが神の毛の意味である。




森田要先生のご本に綴られていた。










「あなた、髪を切らなくて良いから、一度サロンへいらっしゃい。」

「とても繊細な髪の毛をしているのね、
声も印象的....女性系...子宮を壊していたのね」



私の顔と頭を見て、すぐさま森田要先生は仰りました。
(森田先生は日本に初めてヘナを紹介した美容師であり
日本語版、英語版と多くを出版させている)


どうして分かるのだろうなあ。と不思議な気持ちになりました。














ある日、そっと森田先生のサロンのドアを開けて見ると
凄い光景が
目に優しく突き刺さりました。


「予約で一杯だから、お茶しか出せないけれど、良かったらどうぞ」




ずっと水音だけが流れていて
太陽光も然程、入らないサロンにも関わらず
植物も花々も非常に強いエネルギーで咲いているのを感じた。



ルーヴル美術館にもある「Jean Batiste CARPEAUX」の彫刻や
草間彌生の初期の作品、多くのインドの神々が祀られている。




甘いお香の中
ぼんやりと座り、先生が出して下さったお茶を飲んでいた。
時々、花々や植物に触れて見たり。




どうして先生は私をサロンに呼んで下さったのだろう。

時間が止まった様なこのサロンで
髪を切らずに佇んでいた。











そして
りんごと私のCDを起き、雨の表参道へ出た。

実は外には出たくない程に、居心地が何とも良かった。






帰り際に、先生が



「髪を切らなくて良いから、またいらっしゃい。これもご縁ですから
どうも有難うございます。」と深々にお辞儀をされました。



それは本当は私がする事なのに。











髪を切らなくてもいいから、またいらっしゃい。

美容師の森田先生はサラっと風の様に仰った。







エネルギーチャージをしに、また行こう。






髪の毛を切らない美容室は初めてだった。






Amitié



Le son de la Mer
海音









2018年12月10日月曜日

蛾の粉を見逃さない






今宵は書きたいことがないのだが、Macに向かおうと何故か思った。


最近はMacを良く持ち歩いている。
家よりもカフェや良いホテルでMacを開く方が気持ちが解放されて良い。




泥水の中に美しい趣のある紅葉に出逢った。

ぼんやり眺めていたが、その時間が良かった。

最近の、名もない時間の出来事だった。







昔、人に自分を言葉で表現するときに

「夜、街灯に集う蛾から舞落ちる、細やかな粉すらも見逃さない人。
 そう言う、人でありたい。」

と言って自分を表現していた。




余談だが
以前、私は蛾の標本収集に加えて、蛾の歌や、「蛾」と言うタイトルの
CDを発表していた。狂気的、しかし豊かで美しい醜さ、が大好きだ。


姿形は違うが、同じ命を持つ生命体として
どうしようもなく、同調、共鳴をせずにはいられない生き物。

それが私にとっては「蛾」だったのだ。

それに蝶よりも美しすぎる蛾は本当に多くいるのだ。


おまけに、パリの標本屋で
蛾の様にべったり張り付いて
時間を忘れるほどに店に入り浸っていた。






そしてピアノのお師匠さんからは

「いつも心の中の美しいガラスコップに、なみなみと水を入れなさい。
しかし、一滴もこぼしてはならぬ。緊張感と自分を律せよ。」と



パイポの煙を気持ち良く燻らせ
鋭い瞳の奥で何度も言われた。



そう生きて来た。



そして最近になり私のパリでの保証人でもあったお師匠さんが
もう、この世にはいないんだな....と思える様になった。





彼のいない今、当時の言葉がいまの私に突き刺さるのだ。








ここ長らく自作曲が浮かんでこない。







突き抜けた青空に、紅葉が映えるよりも

泥の中にたたずむ、この紅葉が好きだ。

それが歌だと、自分の感性を信じている、私は。






Amitié




Le son de la Mer
海音




そろそろハイヒールの事も綴りたい。







2018年12月8日土曜日

女性







女性とは何だろう?

日本の女性とは?

昔は従順だった?今の時代も?

もしあなたが女性でしたら、どのような女性ですか?

またはどう言う女性でありたいでしょうか?




私はフランスに十数年住んでおりましたので
日本人女性と、フランス人女性の違いも
大変面白く、客観的に感じていた部分があります。



多分、どちらが良いとはないと思います。
天地がひっくり返る程、文化も教育も価値観も違いますから。

ただ、傾向的に
自分はどちらを好む生き方、であるかは
大きな違いが生まれて来ます。



私はフランスに行って、実際住んだので
そのお陰で物事をハッキリと言う性格になった訳でもありませんし
自己主張が強くなった訳でもありません。

もともと、です。


ですから小さい頃から
生き難さ(生きにくさ)を心底感じて生きていました。


自分の良いところ(悪いところ)も人に言ったりすると
「何、あの子は自分のことをよく言っちゃって。普通自分でいうか?」
とか 笑


多分、かなりKY(空気読めない)人間だったと思います。
でも私は私だから誇らしげに居たかったですし。


自分のことをお馬鹿だとフランスで言うものならば
「あの人、本当に馬鹿なんだ」と思われます。



どちらが良いのかは知りませんが
私は元々、「自分」が「強い」人間でしたから
フランスに住み、何と心が晴れて、住みやすい国なんだと感嘆しました。






先日、美輪明宏さんのyoutubeを拝見して居ましたら
非常に面白いことを仰っておりました。





(日本)男性は元々、弱い人間なので
「強い」女性が現れると「攻撃的になる」と。

だから自分より少し劣っている、柔らかい女性が好きだ。

あゝ!なるほど!と笑ってしまいました。



思い当たることが日本に来てから幾つかありましたから。

お酒の場でも、日常の場所でも
私は自分の意見を言うと「攻撃的」に
歯向かって意見を述べる男性が多く...身を引こうとしないのですよね。


最終的には言い合いになったりして。笑
でも馬鹿らしいので自分から身を引くか、周りが止めに入ります。


傾向的に「同年代」で経営者や店長や社長の男性が殆ど。


ここで勘違いして欲しくないのは
私が喧嘩っ早い、ヒステリーな女では無いと言う事。



と、言いますのは
パリにいた頃は
誰一人と私に攻撃的になった殿方はおりません。

意見を言い合いになる前に(言い合い、言い争い)
「討論」の術を知っており「尊敬、受け入れ」をしながら
粋に楽しく過ごした思い出しかないからです。



日本を離れたのは22歳の頃です。
まだ精神的にも未熟で独身で、何も分かっているようで分かっていない。

それから十数年、パリで暮らし
現在は「ある意味、大人」になって日本に帰って来て5年。



十数年、パリで暮らしてフランス人男性との争いはゼロでした。
(無論、恋人との諍いはあります)

しかし日本に来てから3,4年のうちで...今も含めまして
何故か日本男性に攻撃的に意見を言われたりするのが
もう既に数回あります。




これはどう言う事でしょうか?



多分、厭、確かに私は日本生まれで日本人
日本文化もこよなく愛しておりますが

書も書きますが、日本女性特有のものが無いのでしょうね。


「私」は「私」と言う人間を貫いているだけで
その「フランス」と言う国が拍車をかけて
自分の個性や美しさを磨いて、大切に育ててくれたのだと思います。












客観的にフランス人女性は私から見て

*自分の良さ、チャームポイントを良く知っている。
*自分が好きだと言う人が多い。
*自分の意見をハッキリ言える
*喜怒哀楽が感情的
*女性を楽しんでいる
*専業主婦がいない


....書ききれないのですが
私は全て当てはまっていたと思います。



では日本人女性はどうでしょうか?


言うまでもなく、傾向的に上記の反対が多いのではないでしょうか?


幸福的にも今の自分の周りには、こう言う日本人女性は
多分いません。




日本人男性は「幼さ」を好む傾向があるのかと感じます。

そしていつまでも「可愛い」を求める傾向が女性は強いのかと。



そして
女性と子供を尊重をすることをお願いしたい。
コンビニエンスストアの男性向けのエロ本は並べるべきではありません。



そして電車の中で女性は足を広げて
お化粧をする姿は美しいとは言えません。

見苦しいの一言です。


内股歩きでバタバタと歩くのもそうです。




しかし美しい女性も沢山いることも知っています。

そう言う方は見解が広く、視野が広く、全てを認知し
生きる所作を心得ている方だと思います。


憧れます。




私は「自分が強い」人間です。




この国で、生きにくいのは昔から変わっていません。



自分の美しさを死守し(外見だけの事ではなく)
人や、動物や、植物への優しさを忘れず
歩みたいものです。



何だかんだ、言っても、まだ発展途上の人間ですから。





いつも読んで下さり、ありがとうございます。






Amitié







Le son de la Mer
海音









2018年12月7日金曜日

中原中也と共に、今、電車を降りる








夜、うつくしい魂はいて、
   ――かの女こそ正当あたりきなのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
   もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
   夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
   うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
   ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……



中原中也















寒さが増し、空気も澄んでくるように

自分が増して、気持ちがより澄んで来たように思える。




静かな夜は何も答えてはくれない。

答えてくれるのは
波打つ「私の心」。






大切な人に

大切な温かみのある思い、言葉を

いつも
そう言うプレゼントが出来たらと思う。

本当にしみじみそう思う。



そうではない
自分がチグハグでいる時、時空の隙で出逢う人は
一見、笑顔に見えて、心の底ではそうではない。


今日は新月なのだな。

手離してゆこう、何もかも。

夢だけは静閑に握り締めて。





乗っている電車から降りたくなる時がある。

自分が降りる駅ではないのに。

それは「人」と「馨」である。



生きている環境から飛び出たくなる。

自分が選んだ道なのに。

それは「人」と「進化」である。



せっかく心地よい電車の座席に座っていても
自分を守るために
その席を即座に立つことがある。



現代


良い顔をして隣に座り
その優しい肘で私の横腹を突いてくる
そして手に持つ電話でメッセージを打ち続ける


昨日

優しい夢はいずれ...

と歌う。

もうメッセージは届かぬと。



芳しい馨りの野原があるのなら
電車を降りよう

もう無理に電車に揺れる花ではなくて良い。

吸いたい空気が外にあるのなら
今を降りよう

もう道化の電車に乗って揺れる時間は無い。








私はいつも、中也の詩のように

「死んだっていいよう、死んだっていいよう」と

湿った地面に横たわり涙を垂らして生きている




それは詩の解釈には、そぐわないが

それくらい自分に従順に、純粋に、鋭いガラスのように生きている


「死んだっていいよう!」と叫ぶくらい

強く真面目に生きている。

それくらい生命力を自分に燃えたぎらせて生きている。


だから

それに水をかけてくる者がいたら

ユーカリの樹の下へ連れてゆき

もう振り向かない。



ユーカリの樹の根を見れば
私の気持ちをあなたは踏みにじったのだ、と

わかるだろう。



ユーカリの根は根深く、強く、自分の根を張り続け
時には人間をも栄養として吸いつくしてしまう力がある



空を飛ぶことも好きだが
私が空を飛べるのは
自分の「根」を持っていて
そこに戻ってくることが出来るからである。


そうでなければ
糸の切れた凧のようだ。







この冷えた心に
もう多くはいらない。

静かな夜は何も答えてはくれない。


雑巾のようになった心を
絞り

落ちてきた水滴が少しでも
まだ輝いていれば
それでいい。


それが私だ。




一滴の水はまた大河になり

朗々と朗々と流れ出す。










Amitié


Le son de la Mer
海音






2018年12月1日土曜日

40代で身長が伸びた理由。
















ハイヒールを初めて履いたのはいつだっただろう。


きっと小さい頃のピアノの発表会の時は
2~3cmの物を履いていたのかと思う。





中学2年の頃に濃紺のベロアのハイヒールを手に入れて
誰も見ていない雪解けの頃に履いた記憶がある。


そっと、つま先を入れ
滑らないようにして歩きながら


「何て履きにくいのだろう...」と思っていた自分を今でも思い出す。



それでも、いいなぁ、美しいなぁ、と自分の部屋の中で
そのハイヒールを眺めていたことも思い出す。



それは記憶の中のハイヒールであって
実際は3~5cmくらいのパンプスだったと思う。



それも、そっと爪先から入れた瞬間は
運動靴やローファーしか履いたことがないものだから、
3cm~5cmでも非常に高く感じた気がする。



時が経ち
いつの頃からか、巷で


「ハイヒールは体に悪い」とか「外反母趾になるよ」とか
「身体のバランスが取れなくなるよ」と声が聞こえてくる大人になった。


そして周りの人々にもハイヒールは身体の良くないよ。と
言われるようにもなって行った。




大学時代もハイヒールへの憧れが止まず
夏に初めて購入したのがサンローランの美しいティファニーブルーの
夏用パンプスだった。

今でも良く覚えている。


その後、赤色、黒色、....安室ちゃん世代なので真っ白いロングブーツまで
仕舞いにはヴィヴィアン  ウエストウッドのロッキンホースまで....
(ちなみに髪の毛はボブでミドリや赤と鮮やかで、
 顔じゅうにピアスをしてました)


とても歩きにくくて、辛く、痛い思いをしながら。





(パリ時代初期は友人企画のゴチックパーティーやライブで働いたりも。
 楽しい思い出。)







無論、
ハイヒールを美しく履く歩き方なぞ全くを持って無知である故に
かなり不格好な歩き方をしていたに違いない。
(冷や汗もので、そう思う)


それでも、選び、履いているのだから
歩き方は棚に上げても「ハイヒール」に憧れて好きだったのだろうと
懐かしく感じる。




ハイヒールを不格好に履き続けても
どんなに歩き方がおかしくても、
どんなに高いハイヒールを履いても、

私は外反母趾にはならなかった。

幼少期からスポーツが好きでアイスホッケー、水泳、陸上と
本格的にやりながら、田舎の季節の道を裸足で駆け巡って来たからか?

それはわからないが。



だから「ハイヒールは外反母趾にならない」と私は思っている。

しかし足の親指に力が入らなく(筋肉がなく)
小指に力が流れてしまい、その小指で支えてしまう癖がつくと
外反母趾になるであろう。



要は何でもそうだが「方法」「やり方」「師」が全てだと思う。
本を読んでやり方を頭に入れたところで

「ハイヒールはこう履いて、こう歩けばいいのだな」と思っても
それは意識が弱い。

音楽であっても、同じことが言える。

極論だがピアノを購入したので、コンサートをやります!と
言うのと同じだ。

自動車を購入したので明日から運転します!と
言うのも同じだ。



ハイヒールを履く前に

歩くと言う本当の行為、歩き方、身体のほぐし方、視線、腕の位置、
見つめ方を、総合の細部を知らないのに

どうしてハイヒールが履けようか?



ハイヒールの履き方を知らずして
どうしてハイヒールを美しく履くことが出来るであろう?




そして反対のことも言える。

どうしてハイヒールは体に悪いと言うのであろうか?

その人はハイヒールを履いて体を壊したのだろうか?
外反母趾になったのだろうか?
身体のバランスを崩したのだろうか?



はっきり言っておくが

それはハイヒールのせいでは無く「あなたのどこか」が原因である。




元々、ハイヒールはルイ14世も好んで履いていたもので
美しいものでしかない。


それをハイヒールに原因があると言う方のお言葉は
非常にナンセンス。





ASAMIさんのハイヒールレッスンを受けている最中であるが
レッスンを受ければ、受けるほど身体はしなやかに、強靭に、
健康に、新陳代謝も良くなり、浮腫まなくなった。


そして自分のインナーマッスルはまだまだ甘く
腹筋も背筋も足内側の筋肉も、発展途上であり
「身体を作り上げている」途中である。


現在、私は40代前半でありながら
先日の健康診断では「過去最高の身長」を告げられ
心の中でガッツポーズをしたのだ^^


通常、150cmが私の身長であり、長年そう思っていた。
しかし一ヶ月前に「152,4cm」と看護師さんに言われ驚いた。


それがどうしてか、分かっている。

普段、ASAMIさんに
「腹筋をもっと引き上げて、もっと、もっと行けます!」と言われ続け
視線も意識してあげるようになった。


結果、普通の気持ちで身長を測っても
今まで一番高い「本来の私の身長」になったと言う訳だ。


(裏を返すと....常日頃、どれだけ猫背でいたのかと恐ろしくなる)




人は意識をしていないと老いてゆく。健康でも無くなってゆく。


しかし、進化し続け、身体と心に向き合うならば
より良く年を美しく重ねることが出来る。


最近、本当に身をもってそう感じる。



それは私が昔から体育会系で身体を動かして来たからでも無く
運動神経が良いからでも無く



「ハイヒールを美しく履きたいので、足裏筋肉、インナーマッスルを
 意識して鍛えている最中」であるから。



そして身体を使い、ハイヒールで歩いていると自己発電になり
体が温かくなり、少し汗ばんでくる。


これからの季節により素晴らしいではないか!




「ハイヒールは体に良くないよ」は洗脳だよ。と返したい。

「ハイヒールは美しい場所に連れて行ってくれる、
 素敵な男性に出逢わせてくれる」の前に


「その人を美しく」してくれる。


しかし、
本当の体の動かし方や、歩き方を知っていれば。の話だが。



ハイヒールが本当に体に悪いのであれば
身長が伸びるはずがない。



ハイヒールを履くエクササイズとレッスンを受けている時点で
身長が伸びたのですから。




Amitié



Le son de la Mer
海音