2018年10月9日火曜日

美しく生きる覚悟



















それは
まるで地平線のような心である。

どこまで行っても



嵐も
台風も
吹雪も
快晴も
夕暮れも
雨も

如何様であっても変わらぬ「地平線」であること。


私の故郷にある海、三陸海岸の美しい地平線を想う。








また、それは
まるで自分が生まれる前から持っている右手のネジを
自分の左の乳房(心臓)に

こころよく捩じ込むことが出来る時期である



出来ない時期は
こころよく捩じ込むことが出来ないので
血がにじみ出たり、しっくりとネジが入らないのである。











Vivaldi(ヴィヴァルディ)の

「Vespri Solenni per la festa dell'Assunzione di Maria Vergine」
(聖母マリアの昇天の祝日のための厳粛な挽課)


陽気に猛暑のパリで聴いていた私の様だ。
(始めは陽気だが途中から非常にシビアに重くなるのが好きだ
 48分以降の方が一般的に聴きやすいだろう)



Vivaldiはこちら(かなり長いです、秋の夜長にどうぞ)







出産の臨月まで一人でいることを選び
陽気な孤独の中で

担当医のドクトルのロワールの別荘で過ごしたり
パリで自分らしく娘を出産する1週間前までピアノを教えていた。





それは美しく「生きた」覚悟であった。









今はどうであろう。






そういうのは暫く忘れていたと申しましょうか。
また忘れていないと辛かったのであります。






ただ黙々と自分を見つめ
黙々と自分を大切にし
黙々と青や紫の花々を眺めること





今日は沈黙の中に朝から用事があり
その中にいたので


ブツブツと自分の弱さや煩悩が膿の様に出てくる。




























帰りに少し甘いものを飲み、バラとケイトウの花に出逢った。




私は花の様な人が好きなのです。



最近も教会でそのよふな方に出逢ったのですが。











「美しく生きる覚悟」







それは




自分を花だと思い
大切に水を与え、一心に太陽や月に向かい
美しく向上するのみであります。



他は、見ません。






それ以外はありませぬ。






小さい頃に見た、鬼百合や山百合が大好きで
誰にも見られないのにも関わらず



気高く、自分を命の限りに表現し、媚びない。



それは昔オーストリアの山間にひっそりと咲いていた
人知れず咲いて枯れてゆくエーデルワイスに似ていると思った。






しかし
私は人間であり表現者であるので
これからもっと人前に出てゆくでしょう。



地下鉄で揺れる、花束では終われないのです。






今まで出逢った美しい花々に感謝。
















娘もこの世に咲く小さな花です。

どのよふな、花になるのかは知りませんけれど。