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2019年7月24日水曜日

自分の井戸を掘る







自分の墓場を夜な夜な掘って、その前で踊るよりも

自分の井戸を齷齪(あくせく)しながら、この中で泉を掘り続ける。

自分の人生を「井戸」と例えると

疲れ果てて「自分を掘る」ことを止めてしまい動けなくなる事もある。

しかし、時を経て己の泉を求めて「自分を掘り、自分の泉を求める」

それは永劫に続くようだが、有限の命は突然と終焉を与えてくれる。

いつでも、その準備をしなければならない。






私は非常に正直者で、よく馬鹿を見ると言われるが
そういう風にしか、生きる術を知らないのだから
いいと思う。



このような私でさえ、応援して下さる方々がいるのだから
良い音楽をいつも求めていたい。



それが「私の井戸」を掘り続ける理由だ。





あと、最近、吹っ切れた事があったので思う事がある。

人とは「人を、こういう人間だ」と決めつけたがる傾向がある。

例えば、こうだ。



「君みたいな人間は、非常に変態で変わっているから
普通の男や女といるだけでは満足が出来やしないだろう?
厭、君みたいな人間はお手上げの人の方が多いのじゃない?
自分なんか、どうだい?変わっていて面白いよ。」



私はこういう風に言われるのが今まで多かったのですが
全くを持って、そう思いません。

変な人ではなく、静かに居たいのです。

変で面白い人は要りません。

私は静かに居たいのです。

普通で良いです。

一緒に海に行き泳ぎ、山々や空を仰ぎ、自然を共に分かち合う。

星々を眺め、共に眠りにつく....そういう人と一緒に居たい。



高望みなぞ、しない。

人の営みを、自然を、流れのままに感じれる人と一緒に居たいのです。



娘と私が少しでも笑顔で生きて行けるよう
自分の井戸を掘り続ける。



叱り過ぎた娘の寝顔を見ながら
彷徨い続けても、夜は何も、答えてはくれない。






梅雨が明けたら、逢いたい人がいる。

その人に尋ねてみよう。

雲の行く先、心の行き先を。

井戸の深さを。





Le son de la Mer
海音





2019年6月17日月曜日

悪魔的でローズマリーの答え







炎天下の中に、風の又三郎みたく歩いているのだけど、私は。

こう言う、娘とブラブラと歩いている時が

一番、自分らしいと感じる。

墨絵みたいな季節や、かすれた声だっていいのだから


色々楽しもうと思うのです。





去年から今日に至るまで、自分の人生の「なりたくないような人」

または、それらを反面教師の「師」と言いたもう。

特に多かったですね。




私は悪魔的に演じることが出来るので(そうではないと表現者ではないでしょ)

お酒を飲んでも、素面でも

どこまでも面倒臭いことになってしまうので

もう一人になることに決めたんです。

まあ、いつもそうなのだけど
娘もいるし
老猫になったミロンガもいる。


人付き合いで

自分に嘘をついて生きるのが一番苦手で厭だから。


日本人の男性はもういいかも。





















それに変化、進化して行くことが面白い。

以前は文学的な言葉や漢字を使って表現していたけれど

日本に来てからは「ひらがな」を敢えて使用するようになった。

そのほうが、視界からの響きがあり

詩的だから。




以前、フランスの書物で読んだことがあるのですが

「美しい」とは「気に入っている」

「美しい」とは「目の中にある」

それぞれの解釈なのでしょうけれど、それもあるなと思います。

美しい王道なぞ、人それぞれだから。




私は幼少期から、退廃美を非常に好んで来たけれど

滅びゆく寿命の日まで、貝殻を海岸で拾い集めたいとも思うし

何が正しくて、良いなんて、自分でもわからないでしょう。

変わりゆくのだから。



例えば


10年前まではゲランの香水を好んでいたけれど

現在は、フレデリック  マルの香水がお気に入りだし
東京の家の周りのローズマリーやラヴェンダーの香りに包まれたら
幸せだし。


特に、ローズマリーのヘアワックスを纏うことが多いから
「あなたはローズマリーの人ね。」と言われて嬉しかったり。

















あとはお酒を最近やめて感じたこと。

大きくは、あまりないです。

神経症が軽くなったこと。

睡眠の質は、言葉には表現出来ないけれど
確実に変化したのは確か。
深く眠れるようになった。


元々、低血圧のため
お酒を夜に飲んでも、飲まない生活に切り替えても
朝は起きれませんね 笑

ただ、寝起きの軽さは流石に違いますし
浮腫まなくなった。


あと、シャンパーニュやワイン瓶が出なくなったから
ゴミ出しの時がシンプルになった、とか。

365日、毎日シャンパーニュやワインを飲んでいたので
変化は身を以て感じます。

今でも家の地下に頂いたものが残っているから


本当に一緒に飲みたい人とだけ
いづれ開けるのかな。


そんな気軽な感じでいます。



絶対、自分はこうじゃないと行けない

美は、こうじゃないと行けない

それは堅苦しいし、事実、そのようなのは美ではない。

自らの心身に、重い枷(かせ)や楔(くさび)をつけるのは
それ自体、もう美ではない。


そのまま、か、無意識の不断の努力のみにしか
生まれないのかしらね、と思います。







私はサーフィンやスキューバーダイビングや素潜りがしたいから
自分の履歴とか全然関係ない人生の選択も沢山したいし



今週は、書道の2次面接試験、音楽のオーディション、声のワークショップ....
色々だけど

やるだけやって来ているから
背伸びしないのが一番。





雨は友だち、風も友だち、だから負けとかも無い。

だけど私は風の又三郎みたくいるのが好き。


Je suis comme je suis!





Instagramが好きなので、日びの揺らぎはこちらでどうぞ。





7月13日(土)は大阪パリ祭に出ます。
















今日も呼んで下さり、どうも有難うございます。





amitié.




Le son de la Mer
海音






2019年5月21日火曜日

全身全霊で清く沈む(ご報告)







*今年の主な活動(5月22日現在)

7月13日(土) 大阪パリ祭 出演 大丸心斎橋劇場 15時開演

9月7日 (土) 千葉県 君津市民文化ホール 大ホール 
       「松本ピアノコンサート Stage on Stage vol.23」

11月10日(日)  岩手県 世界遺産 中尊寺 かんざん亭  
         ゲスト 黒色すみれ




*最近のyoutube  
 キールタンヨガのKairava Devi Dasiとの沖縄でのOver the Rainbow








先日、誕生日だったが、自分にプレゼントするものを
もう決めていた。


それは物質ではなく

お酒を飲まない人生を自分にプレゼントした事だ。


この20年以上、お酒を飲んで来たが
アルコール依存症とも戦いながら
スパッと辞めた。


娘の妊娠を機に、ヘビースモーカーも辞め
自分の誕生日に依存症のお酒を辞め
カフェインアレルギーの為、コーヒーやお茶は昔から全く飲まない。


今、楽しいことは
娘と食べる八朔(はっさく)を綺麗に剥くこと。
そして、日記を綴ること。



やっと最近、インターネットを少しずつ見る様になったが
SNSやブログは見ていない。

脳が拒否するからだ。




容易な拍手を求めるくらいならば
演奏も表現も、何もかも、しないほうがマシなのだ。

だから私は徹底して、自分が、心身が回復するまでは
人前には現れない。

それは、自分のバランスを取る為だ。





最近、あまりに酷いなと言う事が重なった。
他人は自分の鏡と言うが
本当にそうだろうか?

もう、そう言うことに関しても
色々なことに、一々、意味ずけをすることも辞めて
もっとシンプルに風の様に生きたくなった。


風の様に、生きていたはずだったが
そうではなくなっていたから。




今しばらく、静かに自分と向き合いたい。




ですから、ハイヒールレッスンを楽しみにしていて下さいました方々には
大変申し訳ございません。

より良い意味での、自分の深みに触れるためと
作曲と創作活動を優先とするため
現在に於きましては募集を致しませんが
ゆくゆくは募集をしたいと感じます。

どうぞ宜しくお願い致します。


かろうじて、ピアノレッスンのみ人数限定で募集致します。
(徐々にフランス語シャンソンも募集しようと思います。)

近日中に、より詳しい募集要項をブログに綴りますので
ご希望の方はお待ち下さいませ。








....それが、美しい「音」なのか
そうではない、ものなのか。


それは、その人だ。



もし美しくなければ、より探し求めるのが人生だと
私は思っている。



探し求めよ、そうすれば与えられる....と聖書にもある様に
それを素直に
探し続ける音楽家でいたい。






今は、誰にも逢わずに
八朔(はっさく)の皮を綺麗に向き
日記をランプの下で綴り
作曲に浸り




私は
自分の時間の流れと、バランスを死守し
生きる触覚、感覚を信じて
自分に、全身全霊で清く沈む。


















Amitié





Le son de la Mer
海音








5月の須川山(栗駒岳)を仰ぐ。大好きだった祖父母と叔母を思い出す。



2019年3月3日日曜日

混沌(カオス)から人生の課題へ



            お気に入り(昔の媒体用)





「仕事においては忘れることが重要。
忘れるために多大な努力もしている。
それは不満があるからではなく
新たなアイディアを探さなければいけないから。
過去を振り返っても何も進まない。」

2016




「私はデザイナーだけど、写真も撮るし本も書いて出版する。
でも自ら“アーティスト”を名乗ることはしない。
自惚れに感じるから。他人からは言われる分には
褒められている様で嬉しいけれど
自分からアーティストと名乗りだしたらおしまい。
すぐにやめたほうがいいと思う。」

2015




「私はいつまで経ってもオーガニズムを感じない
ファッション狂の様なもの」

1984



先日、シャネルの長年のデザイナーであったカール ラガーフェルド氏が
亡くなった際に、彼の残した言葉を読んだ。


感想は言葉にしてしまうと陳腐になってしまうので書かないが
心にずっと忍ばせていたい言葉だ。


はっきり言うと彼の言葉が大好きだ。
全てに、私は頷きたい。



エイジレスで非常にお洒落極まりない
自分のスタイルを最後まで貫く人間は本当に素敵で惚れ惚れします。
(特にこう言う男性は↑....
私のピアノのお師匠さんも90歳過ぎ迄、コーデュロイのスーツを纏い
プジョーを運転しながらパイポをふかしておりました。)



今の時代はカール ラガーフェルドも知らずに「シャネル」を身につける
方々も多くいらっしゃるのだと思いますが(FENDIも手がけております)
それはドビュッシーを知らずに「月の光」を弾いている様なもの。


何にせよ、その「背景」や「時代」を知ることで
もっと作品が面白く魅力的に、愛着が湧いて来ます。



もう今後、彼のデザインしたものは出てこないから
私も少しばかりですが愛用しているシャネルがあり...
本当に大切にしていきたいなと思います。









今日の課題は「ブログの課題」







私はいつの頃からかブログを書かなくなった。

パリにいた頃はよく書いていたが
日本に来てからはそれどころでは無かったなと思う。

非常に自分の価値観と感性で綴るので
自分らしく生きていない時には
書けない。


嘘を付いてでも書こうとは思わない。




ブログとは私に場合、自分のまなざしの「万華鏡」であり「苑」である。

その耽美な苑から共有出来ることがあれば嬉しいが
独り綴りの方が私は好きだ。


作曲をしてレコーディングをしても
私はその自分のCDを聴いたりはしない。

おもむろに興味がない。

過去の作品は私にとり「過去」のそのものだから
耳障りになってしまう。


新しいアイディアを常に感性と言う触覚で
無意識に探しているからだ。

だから自分の昔の音楽はいらないのだ。

(コンサート時や、その練習時は別だが)


だから、上記のラガーフェルドの言葉に至極頷けたり
昔から「忘却」「終焉」と言う言葉を、気持ち良く愛用している。





はっきり言うと、この日本に来てからの6年は一言で
「カオス」そのもの、だった。

何だかもう、良く分からない。



ただ、昨年の夏に大きな別れが2回も続き
自分にとってのエネルギーの限界の極限であった。
そして、そこからまだ這い上がれていない時もある。



そんな最中にASAMIさんとパリで再会し
ハイヒールレッスンとコンサルを受けることにした。

まずは「ブログの立ち上げ」
そして「毎週のブログの課題」


ほぼ、今日まで毎週「ブログの課題」を綴ってきた。


時にギリギリになってしまうことも多くあったが


カオス生活を日本でしていると

「優しく突き付けられる課題」がどれだけ自分を立ち返らせて
奮い立たせてくれただろうと感じる。






「課題」がある人生とはいいものだ。

以前は毎日が音楽の課題だらけだったので
脇目も振らずに自分らしく生きた。



しかし、生活のためだけに必死で稼ぐことになると
私は生きる楽しみも、目標も、課題も
何にも見当たらなくなってしまった。


楽しみといえば、休みの日に家の中でゆっくりすること。




私、有名な音楽家になりたかったんだよね?
演奏会を沢山、やりたかったんだよね?
自分を表現し続けたかったんだよね?


と心の中に
叫ぶ様なヤマビコは木霊(こだま)するけれど
誰も答えは返してはくれない。

最終的には心療内科に通うのが
唯一の安らぎになってしまっていた季節を
誇りにも思わない。






その様な中で、ASAMIさんからの課題は
毎週、小さな階段を一段ずつ登ることを繰り返し
根気強く

「本当は自分がどうしたかったのか、どう生きたかったのか」を

思い出させてくれながら、ハイヒールを美しく履く原理や
筋肉の構造、美しさについて毎週ブログで綴り続けると
自分自身が無意識に全身全霊で、その言葉を自ら
落とし込んでいることに気が付いた。

心の軸も、昨年とは大違いだ。




「継続」ほど強いものはない。

そうすると、また新たな自分が見えてくる。

新たな自分を創造し続けることが出来ると言うことを
学んだ。





もともと、私は自分のペースを崩されるのが厭で
全てにおいて自分のテリトリーに入ってこられるのも厭だ。

厭、厭、の人間だが継続だけはしている。

何故なら、継続は厭ではないからだ。



何への継続か?

美しいと感じるもの「だけ」に対する「継続」である。




ASAMIさんへ

限りない感謝を込めて。





Le son de la Mer
海音








    
            



           枯れた紫陽花。





2019年2月9日土曜日

美しい理り(ことわり)




                      photo by 高木 亜麗









気持ち良い人々といると
気持ち良く、物事が進む。


気持ち良い自分でいると
色々な事が、自然に回り出す。

最終的には、そうではなかろうか?





自分にとり呼吸が合っていない時は
心も、体も苦しくなる。


それでも無理に行うと
ゆくゆくは、そう言う結果になる。

人間関係や物事は
全てそう出来ているのではなかろうか?





生まれてから、今日の日まで
何でも思い出してみると
全ての答えがそうだったように。






履くハイヒールをクリスチャン ルブタンに変えてから
色々変わりだした。

人間関係も、私も。



それってどう言うこと?



履く靴を変えただけで
人生が変わるのならば
この世の女性は皆、ハッピーになるのだろうか?

答えは


NOだ。



何故なら
猫背で、膝を曲げてルブタンを履いても
人生は変わらない。

シンデレラ靴は
ただ履くだけでは
何も変わらないのだ。





それにふさわしい、エネルギーが完全必須だ。



明らかにルブタンが放つハイヒールのエネルギーは
今まで感じた事が無いくらいのエネルギーだ。

それに見合ったエネルギー、またはそれ以上に
漲る精神が必要だ。



音楽に例えると
何千万円のスタウィンウェイに
美しいドレスを纏い
ピアノの前に座り
バッハの楽譜を置き
3日前から練習した覚束ない(おぼつかない)演奏を

誰でもすることは出来る。




しかし、そこに伴っているのは何であろうか?

輝かしいピアノと、煌びやかなドレスだけである。





良いシャンパーニュを口に含んでも
良き時間、良き相手でなければ
水に等しく

水道水以下だ。






余談だが
今夜は昨年、奮発して購入したソファーに寄りかかり
シャンパーニュを少し飲みながら
ゆったりとリラックスして、ブログを綴っている。





基本、私は一人が大好きで
その時間を死守しなければ
何にも出来ない。

娘との時間も、例えようの無い
至極大切な時間だが

それ以前に
孤独での練習、作業は
私自身を作り上げる貴重な時間なので
これも何にも代え難い。





話は戻すが
ハイヒールレッスンでルブタンを履くようになり
今まで使っていなかった筋肉を使うことにより
「心身の軸」がシンプルに強化され



心の洗濯、選択
体の洗濯、選択

この二つのインプットとアウトプットが凄まじい。



ルブタンで、ゆっくりと歩くと
真冬の気温の中で、体は発熱し、汗が流れてくる。


まさに、スポーツだ。




軸が段々と出来てくると
心の軸も強化され


今まで、心の中で片目を瞑っていたもの(我慢、違和感)
本来の自分らしく無いもの
自分の呼吸では無いもの
本当は手放したかったもの

それらが明白に見えて来て

自分はどう生きたいのか

彷徨うこと無く
心の手で、その思いを掴むことが出来る。





基本、私は演じることが上手な人間なので
(裏表では無い意味で、そうでなければ表現者は出来ない)

その場を凌ぐことが出来ても
やはりボロがいづれ、出てくるのだ。


そんなことになるのならば
とっとと

今までの己を捨て去るのが良い。



私は、いつから、こんなにも悲しくなった?

と責める前に。






ルブタンは私に転機をもたらした。

故に、昨年の今頃とは全く違う環境と、境遇と、私がいるからだ。




それはエネルギー(波動)が変わり
現実も変わったと言うことだ。



切磋琢磨しながらも
安らかに眠りに寄せて
美しい孤独に凭れかかることが出来るとは





私は人生で知らなかったからだ。






Amitié



Le son de la Mer
海音





                      朝目覚めの、視界。

2019年1月21日月曜日

明日も履こう、ルブタンを。





先日、ルブタンのクラシックタイプの黒を拝見しに
ランデヴー前にお時間があり、伊勢丹へ行った。


自分のコンサート用にも
今後の生活の中にも紡ぎ上げていきたいと感じている
ルブタンのクラシックタイプ。


しかし、私には葛藤もあった。(ある、の現在形)


私自身の身長は151-152cmで高い方ではない。
コンサート時はどうしてもカッチリしたタキシードや
今後は洒落た燕尾服など(ドレスも然りだが)着る。


そうなると、やはり欲しいのは
「着熟す(きこなす)身長」がある程度、必要であること。

その前に「姿勢」は基本中の基本なのであるが
私の場合はその次にある程度「身長」が必須であるパフォーマンスの
服を着こなす。と言うこと。



これは今に始まった訳では無い「悩み」「考え事」であった。


マレーネ ディートリッヒやシャーロット ランプリング
オスカル(ヴェルサイユの薔薇)が
美しくタキシードを着こなしている姿は絶品であり
何年経っても色褪せない。


私も、そうなりたい。と思い描いたのは
小学生の頃からであった。





話は戻るが「クラシックタイプ」はやはり美しい。
しかし、もう少し贅沢を言えるなら
やはり自分自身には「衣装」を、と考えるのならば
「プラットフォームタイプ」は魅力的だ。


(無論、どちらかだけに拘るのは好きでは無いから
どちらも」愛し....基...どちらにも愛される身体の女性でありたいし
目指すのみです)




伊勢丹のルブタンのスペースに行き
ルブタンという芸術品をゆっくりと眺めて楽しんでいると
目の中に飛び込んできたのが
こちらの桜色の13cmハイヒールだった。












目が離せなくなってしまい
お目当のクラシックタイプの黒とは全く違うタイプに
一目惚れをしてしまったのだ。


自分でも、女心は秋の空だ...と苦笑いしてしまった。





そして、購入。



人生初のルブタンは桜色のハイヒールになった。




家に着き、笑顔でうっとりと...そのルブタンを何度も眺め
そっと足を忍ばせた瞬間に地獄へ行った気持ちになった。



「桜色天国から→地獄へ」はまさにこの通り。




今まで家でスリッパとしても履いていた
ジミー チューのハイヒール(プラットフォーム)がどれだけ
天国であったのか思い知った。



漫画で描けるほどに
四つん這いになり、どんより落ち込み、沈む私である。
笑ってしまう。



足も体も(ついでに心も)震えてしまうくらい
ルブタン13cmに体、筋肉が全くついて行っていない。

その現実を、足を忍ばせてすぐに突きつけられたデビューであった。


強いて言うならば
9月末から始めたASAMIさんのコンサルとハイヒールレッスンを
もう一度、一から始めないといけないのかもしれない...と
独りよがりに絶望がよぎったのも確かであった。




こんなに美しいのに、地獄なんて....!

だからこそ美しいのである!



(己は全くM女(嬢)ではありませんけれど
素直に膝ま着きたくなるのが....唯一のルブタンですね。
他は膝ま着きたく無いです)^^;



その後、ASAMIさんのハイヒールレッスンとコンサルを受けた後に
心に降って来たものは




「私は、今後、このルブタンを履き、人生を歩むのであれば
今まで通りの人生は、このハイヒールにはそぐわない。」

「私自身を改革しなけば、このハイヒールは私を喜ばないであろう」

「しかし、この思いを選ぶのならば、人生はより凛とした深い軸を持ち
素晴らしい「自分の道」を歩むことになるだろう」



と言うことだった。





そしてASAMIさんが仰る通り
ルブタンを履いてしまうと....他のハイヒールが履けなくなる。



それが至極、やっとわかった。


この魔的、魔物的なエネルギーは
人の心も虜にしてしまうほどだ。



だからこそ
ハイヒールの履き方を知らない女性が
このルブタンを履きこなせないことが嫌な程に明確になる。


それは「ルブタンに履かれた女」になってしまうと言うことだ。

可哀想だが、現実だ。





さあ、今日もルブタンを履きます。

震えは、今後のルブタンとの未来へ繋がる感動の震えであろうと思いたい。笑




私は
あまり怖いものがなく、怖じけずかない、生意気な人間だ。

だけど、ルブタンには地獄へ落とされた。

同時に、これからの自分の生き方への「新しい美しい水」を
注いでもらった経験をもらった。





明日も履こう、ルブタンを。








Amitié



Le son de la Mer
海音









2019年1月13日日曜日

僕は花になった




   
            





フランスの、その時代の女性といえば

作家のコレット、デザイナーのシャネル、画家のマリー ローランサンだ。




この3人は本当に美しい強さと
強靭な精神と
誰も宿すことが出来ないセンスに、今も満ち溢れていると感じる。





マリー ローランサンは「色の魔術師」と呼ばれ
「音の魔術師」と呼ばれたラヴェルやリストを思い出し
楽しい気分になる。




パリにいた頃にローランサンを知り
シャネルと同じくらいに好きになった「女性」だ。



ローランサンはシャネルとも友好関係があったが
シャネルの愛犬とアンニュイな顔のシャネルを作品にして
プレゼントした所、シャネルはその絵が酷く気に入らず
ローランサンに返したのだが

私はその絵が大好きで 笑
そういうエピソードを踏まえると
シャネルのこともローランサンのことも、より好きになった。



そしてなんと言ってもローランサンは
時代を代表する、かの有名な詩人「アポリネール」の恋人であり
アポリネールの母からプレゼントで貰ったギターを
彼と別れても一生、絵に描き続けている所が
何とも言えない愛を感じて、やまない。


(アポリネールはイタリア系ポーランド人の詩人、作家。
シュールレアリズムと言う言葉を生み出させた本人)

安曇野に以前あった個人所有のマリーローランサンの美術館は無くなり
現在は都内のホテルニューオータニのガーデンコートに移っていたが
明日で終了し、ニューオータニが所有するそうだが
今後の公開は未定なのだそうだ。


少し寂しいと思う。





さて、前置きが長くなったが
今日は何を綴りたいかと言いますと


「ふざけないで欲しい。ふざけるな。」です。








先日思いがけなくサプライズに花束を頂きました。
漆黒の中に私をイメージしたブーケなのです。


感激して喜ばない筈がありません。
こんなサプライズ、粋過ぎて非常に幸せな気持ちになりました。



日本だとあまり男性からブーケのプレゼントはありませんし
前回、頂いた時は安曇野にあるワサビ大農園の館長さんの
濱さんからワサビのお花のブーケでした。

この様な粋な男性が本当に素敵だなと感激してしまいます。























私は
女性は皆、お花だと思っております故に
思うことは多々御座います。


それに「女性」みんな「自分を花」だと思って良いのです。
もしくは「自分だったらこんな花になりたい、好き」だけでも。




ローランサンの絵は人生の波を超えて
成熟していくに連れて
描く女性が皆違う花の様に観えます。




独特な色彩で、微妙なニュアンスがあり
皆、女性は違います。


私自身も「どうしようもない程の微妙な灰色(グレー)に
にわか雨が降りそうな水色や、曙色が混じったお色」が好き。

その時にしか見れない雲の色、太陽の光線、月の陰り。
その様な人であり芸術家であり女性で佇んでいたいと思います。







このブログを読んで下さるあなたが、もし、女性であるならば
あなたは自分を例えると、どの様なお花でしょうか?


どの様なお色を、その花は纏っているでしょうか?

風に揺れているのか、太陽に向かっているのか、雨に濡れているのか






または、月光にまどろんでいるのか







枯れているのか。











では、あなたのアイシャドゥは何色ですか?

ご自分にとても良く似合うお色をご存知ですか?


好きなお花は何でしょうか?

あなたにとって、美しいそのお花を
ご自分にプレゼントしませんか?



男性でしたら

奥様や、恋人や、女友達に
彼女をイメージしたお花を喜びに満ちてプレゼントしませんか?

もしくは、ご自分のお部屋に
美しい女性をイメージした、心地よいお花を飾りませんか?






何を言いたいかと言いますと

「あなた、今、自分の気持ちや、自分を知っているか?
自分を愛し、自分を大切にしているか?」と今日のブログの叫びです 笑




己のことも知らずして
前には進めません。




歳だから?

外見に自身ないから?

結婚していないから?

お金ないから?

時間ないから?

子供いるから?

田舎者だから?







キリがない言い訳を言う人の前から
私は立ち去る様にしています。

ご自分にブロックをかけており
言い訳にしている。



上の〜だからは全て、実は私にも当てはまることなのです。



ただ、自分の音楽だけは強く信じておりましたから
そこから全てが解消へ向かいました。




シンプルですね。






初めて日本の大きなシャンソンコンクールのファイナルに
出場した際に、覚えていて下さった方が多く
良い意味でも、悪い意味でも批評を数多く頂きました。

その中で、どう私の当時のメールアドレスを知ったのか
横浜で活躍している、あるシャンソン歌手の方からメッセージを頂き
驚いたことを今でも覚えております。


当時、私は20代前半でパリでまだシャンソンの修行中でしたが






「千葉さんの様にパリに行き、パリでシャンソンを学んだら
簡単にシャンソンなんて歌える様になれるんだったら
私もパリに行きたいくらいです。私にだって歌える様になりますよね?
どうせ、私は日本で歌ってますよ」と。




良く意味がわかりませんので、二度見しました。
私よりもずっと年上の歌手の方ですが。



お返事は返しませんでした。






私にとっては、美しくない花なのです。これは。






どうせ、とか言っているうちは何歳になっても
ノーコメントか立ち去る対象です。





自分という花を、どう美しく見せるか、どう咲かせるか。
そこだけではないでしょうか。




それで「いとも簡単に」そうなれるのならば
それで良しと思いますが
ほぼ、それはないでしょうね。





シャンソンをパリで学びたければ、学べばいいのです。

ハイヒールに挑戦をしたければ、何歳になっても挑戦すればいいのです。




ただ、そこには「甘え」は必要なく論外ですから
多くを工面して
師に出逢い
切磋琢磨する。




それ以外「道」はありません。




どうせ〜だから、のうちは、墓場まで変わらない人生です。

私はそういう方とお付き合いしたくないだけです。







今日のあなたのアイシャドゥは何色ですか?


私はいつも青みがかったローズか
青みがかった赤か
青みがかった灰色が好きです。



それが、似合っていると知っているからです。








今日も読んで下さいまして
どうも有難うございます。




Amitié






Le son de la Mer
海音






追伸「僕は花になった」はレコーディングはしておりませんが
10年ほど前にパリで作曲した自作曲のタイトルです。





          娘へのプレゼントに購入した本。
          大判ですので見応えがありそうです^^


2018年10月27日土曜日

ハープと毛玉と猫








それが私にとって基準である。


いつか文面にこの言葉を描きたい(えがきたい)と思った。


何故なら非常に大切なことである。


それは生活の基準であるから。




ハープは自分への慰めのためにパリで趣味として始めた。

毛玉はエレガントでは無いが
(間違ってもエルメスのカーディガンには毛玉がならないし)笑





この「ハープ」「毛玉」は大きく共通している部分がある。

「夜な夜な」、「空いている小さな時間」、「黙々と」




私には譲れない大切な生活のものだ。

生活の基準、
それはこの「ハープ」と「毛玉取り」が出来ない日びと言うのは
心に余裕がないか、自分らしく生きていない時。




何にも変えがたい時間だ。












埃まみれになったハープや
毛玉だらけになった娘の着るもの、私の着るもの



眺めて「いる」時、「いた」時。



いつも人生に波がある。





今はどちらか、分からない。





ただ、「ハープ」と「毛玉」がいつも基準で
死ぬまで変わらないと思う。


意識していなくても


この二つだけは。



















最近は愛猫の認知症が進み

老猫特有の耳をつく、なりふり構わずに朝も晩も金切り声で叫び散らす。

老いは仕方ない。




耳が神経質な私は睡眠も多く出来なくなり

切ない気持ちになる時が本当に多くなった。


しかし16年前と変わらず可愛いし、より可愛く宝物であることは
変わらない。


誰よりも長く一緒にいる子だから
私が出来ることすべてをやって行きたいと心に確認する。


お世話になっている動物病院にも
もし(認知症が)難しくなったら言ってください。と言われた。


難しくなる時、それはいつなのだろうか。






私は鷹匠にも花火師にも音楽家にもなりたかった。



時間は有限の中、朦朧とすることにより
自分を思い出し
時を駆けるのだ。




Amitié






Le son de la Mer
海音







(Hiver à Paris et mon chat en 2010)




2018年10月5日金曜日






天気予報もニュースも見たり聴いたりしないので
世の中の流れがわからない。



それよりも己の「心の流れ」をわかっている方が、よっぽど良い。



聖書にも「世の調子に合わせて生きることなかれ」とある。
(新約聖書   ローマ人への手紙12章1,2節)




そこは人それぞれの価値観なので違いはあれど


「人」に合わせて生きて来なかった積み重ねの結果が
今の私である。






叶姉妹も言っていたが

「あなたのことをKY(空気が読めない人)と言う人がいたら
 今すぐ、その人の前から立ち去りなさい(人に合わせる必要がない)」と。

それを読んで「うふふ」と嬉しくなった記憶がある。







「美」に例えたらどうであろう?


誰か有名な音楽家の言葉で


「美とは目の前にあるものではない。
 あなたの目の中(心の中)にあるものを言う」と。





今朝、無造作に育てている青い花が15個も咲いた。
娘と小雨の中、数を数えて小さく喜んだ。





チューリップのよふな真っ赤な傘に、使い古した麦わら帽子
スペインの夜闇色のような青いコートと、ハイヒール。


一見、ちぐはぐに見えるが
私は、それが好き。

バックに流れるのは小雨の音。


娘は小鬼みたいな風貌でいる。




二人で青い花を覗き込むものだから
青い花たちは困惑しただろう。








日常の中の砂の様な時間だが
私はこういう時間を覚えていたい。



優しくも、目に突き刺さる光景は
いづれ自分に孕み(はらみ)続け

やがて自分の広い「心の苑(庭園)」となる。



それは美しい唯一の命の血潮となり
巡り続けるのであろう。









☆ところでヴァレンチノのスタッズバレリーナ(フラット)を
手放そうと思う。意識が下がり猫背になるから。笑



読んで下さり、どうも有難うございます。



Le son de la Mer  海音




☆お写真 昔パリの古道具屋で購入した蝶の標本。割れても嬉しい。