2019年1月13日日曜日

僕は花になった




   
            





フランスの、その時代の女性といえば

作家のコレット、デザイナーのシャネル、画家のマリー ローランサンだ。




この3人は本当に美しい強さと
強靭な精神と
誰も宿すことが出来ないセンスに、今も満ち溢れていると感じる。





マリー ローランサンは「色の魔術師」と呼ばれ
「音の魔術師」と呼ばれたラヴェルやリストを思い出し
楽しい気分になる。




パリにいた頃にローランサンを知り
シャネルと同じくらいに好きになった「女性」だ。



ローランサンはシャネルとも友好関係があったが
シャネルの愛犬とアンニュイな顔のシャネルを作品にして
プレゼントした所、シャネルはその絵が酷く気に入らず
ローランサンに返したのだが

私はその絵が大好きで 笑
そういうエピソードを踏まえると
シャネルのこともローランサンのことも、より好きになった。



そしてなんと言ってもローランサンは
時代を代表する、かの有名な詩人「アポリネール」の恋人であり
アポリネールの母からプレゼントで貰ったギターを
彼と別れても一生、絵に描き続けている所が
何とも言えない愛を感じて、やまない。


(アポリネールはイタリア系ポーランド人の詩人、作家。
シュールレアリズムと言う言葉を生み出させた本人)

安曇野に以前あった個人所有のマリーローランサンの美術館は無くなり
現在は都内のホテルニューオータニのガーデンコートに移っていたが
明日で終了し、ニューオータニが所有するそうだが
今後の公開は未定なのだそうだ。


少し寂しいと思う。





さて、前置きが長くなったが
今日は何を綴りたいかと言いますと


「ふざけないで欲しい。ふざけるな。」です。








先日思いがけなくサプライズに花束を頂きました。
漆黒の中に私をイメージしたブーケなのです。


感激して喜ばない筈がありません。
こんなサプライズ、粋過ぎて非常に幸せな気持ちになりました。



日本だとあまり男性からブーケのプレゼントはありませんし
前回、頂いた時は安曇野にあるワサビ大農園の館長さんの
濱さんからワサビのお花のブーケでした。

この様な粋な男性が本当に素敵だなと感激してしまいます。























私は
女性は皆、お花だと思っております故に
思うことは多々御座います。


それに「女性」みんな「自分を花」だと思って良いのです。
もしくは「自分だったらこんな花になりたい、好き」だけでも。




ローランサンの絵は人生の波を超えて
成熟していくに連れて
描く女性が皆違う花の様に観えます。




独特な色彩で、微妙なニュアンスがあり
皆、女性は違います。


私自身も「どうしようもない程の微妙な灰色(グレー)に
にわか雨が降りそうな水色や、曙色が混じったお色」が好き。

その時にしか見れない雲の色、太陽の光線、月の陰り。
その様な人であり芸術家であり女性で佇んでいたいと思います。







このブログを読んで下さるあなたが、もし、女性であるならば
あなたは自分を例えると、どの様なお花でしょうか?


どの様なお色を、その花は纏っているでしょうか?

風に揺れているのか、太陽に向かっているのか、雨に濡れているのか






または、月光にまどろんでいるのか







枯れているのか。











では、あなたのアイシャドゥは何色ですか?

ご自分にとても良く似合うお色をご存知ですか?


好きなお花は何でしょうか?

あなたにとって、美しいそのお花を
ご自分にプレゼントしませんか?



男性でしたら

奥様や、恋人や、女友達に
彼女をイメージしたお花を喜びに満ちてプレゼントしませんか?

もしくは、ご自分のお部屋に
美しい女性をイメージした、心地よいお花を飾りませんか?






何を言いたいかと言いますと

「あなた、今、自分の気持ちや、自分を知っているか?
自分を愛し、自分を大切にしているか?」と今日のブログの叫びです 笑




己のことも知らずして
前には進めません。




歳だから?

外見に自身ないから?

結婚していないから?

お金ないから?

時間ないから?

子供いるから?

田舎者だから?







キリがない言い訳を言う人の前から
私は立ち去る様にしています。

ご自分にブロックをかけており
言い訳にしている。



上の〜だからは全て、実は私にも当てはまることなのです。



ただ、自分の音楽だけは強く信じておりましたから
そこから全てが解消へ向かいました。




シンプルですね。






初めて日本の大きなシャンソンコンクールのファイナルに
出場した際に、覚えていて下さった方が多く
良い意味でも、悪い意味でも批評を数多く頂きました。

その中で、どう私の当時のメールアドレスを知ったのか
横浜で活躍している、あるシャンソン歌手の方からメッセージを頂き
驚いたことを今でも覚えております。


当時、私は20代前半でパリでまだシャンソンの修行中でしたが






「千葉さんの様にパリに行き、パリでシャンソンを学んだら
簡単にシャンソンなんて歌える様になれるんだったら
私もパリに行きたいくらいです。私にだって歌える様になりますよね?
どうせ、私は日本で歌ってますよ」と。




良く意味がわかりませんので、二度見しました。
私よりもずっと年上の歌手の方ですが。



お返事は返しませんでした。






私にとっては、美しくない花なのです。これは。






どうせ、とか言っているうちは何歳になっても
ノーコメントか立ち去る対象です。





自分という花を、どう美しく見せるか、どう咲かせるか。
そこだけではないでしょうか。




それで「いとも簡単に」そうなれるのならば
それで良しと思いますが
ほぼ、それはないでしょうね。





シャンソンをパリで学びたければ、学べばいいのです。

ハイヒールに挑戦をしたければ、何歳になっても挑戦すればいいのです。




ただ、そこには「甘え」は必要なく論外ですから
多くを工面して
師に出逢い
切磋琢磨する。




それ以外「道」はありません。




どうせ〜だから、のうちは、墓場まで変わらない人生です。

私はそういう方とお付き合いしたくないだけです。







今日のあなたのアイシャドゥは何色ですか?


私はいつも青みがかったローズか
青みがかった赤か
青みがかった灰色が好きです。



それが、似合っていると知っているからです。








今日も読んで下さいまして
どうも有難うございます。




Amitié






Le son de la Mer
海音






追伸「僕は花になった」はレコーディングはしておりませんが
10年ほど前にパリで作曲した自作曲のタイトルです。





          娘へのプレゼントに購入した本。
          大判ですので見応えがありそうです^^


2019年1月7日月曜日

ハイヒールで美しくなる









最近はめっきりペタンコ靴やバレリーナを履くことをやめた。



全く物足りないし、何も意識をしないで歩くことは
非常に怠惰な気持ちになる。

上手く言えないがハイヒールを履くと「キリッ」となる。



特に演奏家としていつも腹筋を鍛えたい日常なので
ハイヒールを履くと同時に腹筋まで磨けるのは
他のメリットも踏まえると一石十鳥くらいなるのではないか。


ここでメリット、と書いたが、反対にデメリットはあるのか?

答えはNonです。




巷では腰痛を招く、足が痛くなる、ヒールが高い為転びやすい...etc
ハイヒールにまつわる多くの良くないレッテルが貼られているが

断言するとハイヒールはそういうものではない。


反対にその症状を改善してくれるものである。


要は「正しい歩き方」を知らないと、そうなるのである。






ASAMIさんのハイヒールレッスンを受講し始めてから
自分が良かったなと思うことを3ヶ月間のことを思い出して
ピックアップしてみようと思います。

(順番は重要ではありません)


1. 腹筋、背筋が強化されお腹と背中が確実に頑丈に引き締まった。

私はお酒を飲むので歳を重ねるほどに蓄積されてゆく脂肪に
恐れをなしていたが....ハイヒールのレッスンを受けてから
お気に入りのワンピースもジーンズも出産前のものを
以前よりスルリと着る事が出来ている。
女性としてこんなに嬉しいことはない。




2.足の(脚)の形が変わった。

ハイヒールレッスンでは足裏の親指の根本にある「母指球」と
足の内側の筋肉を至極強化意識する為
足の内側により隙間が出来た。





3.足が浮腫まなくなった。

ピアノに向かうと足が浮腫み、またはお酒を飲んだ翌日も
足が以前は浮腫んでいたが
最近は朝起きてもキリッとした足である。





4. 見られたり、声を掛けられる事が増えた。

これは紛れもなく確実にそう感じます。これは面白く
ハイヒールを履く際は自分に意識を非常に向けるが
(母指球に体重を乗せる事、足さばき、足の甲を伸ばす
足の内側の筋肉を意識、腹筋を引き上げる、デコルテを開く
頭をプッシュする、目線を上げるetc)
そうしながら歩いていると
他の方からの視線をより以前より感じる。

そうして歩いている方の方が少ないからでしょうか?
「猫背、膝を曲げて歩く、携帯電話を見ながら歩く、
靴の音を立てて歩く方が多い日本」では反対に目立つのでしょうね。






5.姿勢が良くなった。

ピアノを弾いたり、書道を幼少期から長時間やっている私の癖は
猫背だったので、姿勢が悪いと色々な方に言われ続けた人生から
卒業する事が出来た。

今は立っていても、座っていても猫背でいる事が気持ち悪いです。
もしくは
どうしようもなく疲れている際に無意識で猫背になっていると
すかさずに「あっ、猫背になっている」と思い姿勢を正します。

以前でしたら「気づく」こともなく...
うつらうつらと過ごしていたので。



「今よりも歳が若くても、老けた姿勢をしていた」と断言できる。






6.所作がより引き立つようになった。

元々、お所作は好きですが姿勢が良くなり
ハイヒールで歩く日常になったら所作もより映えるようになった。

女性は鮮やか、彩どりがある方が華があると思いますので
「姿勢というものは全てに繋がってるいる」と
感じずにはいられません。




7.顔まわりがすっきりしてきた

やはりこれも猫背とは反対に「頭」をプッシュしながら
生活しているので、首の筋肉も常に鍛えられ
デコルテもすっきりします。



8.選ぶお洋服が変わって来た

ASAMIさんが仰るようにタートルネックで
首やデコルテを隠さないこと。

いつも自分の足を意識できるようにスカートを履くこと
要は「自分を隠さないこと」は身体への意識しかり
自分の心にも向き合える大きなチャンスです。

今、現在、自分がどのような姿勢をしているのか
即座にわかる服装が良いですね。

デコルテが美しく見える、二の腕が見える
ウエストラインがわかる、脚のラインがわかる、etc.




9.ハイヒールを履いてピアノに向かうとより腹筋が使えるようになった

ハイヒールを履かずにペタンコ靴でピアノに向かうのと
ハイヒールを履いてピアノに向かうのでは天と地の差で違います。

何が大きく違うのかと言うと
ハイヒールを履いて弾き語りをすると自然に腹筋を使うので
上半身が持ち上がり姿勢が正され
声もより張りのあるものとなっている。

これは私自身の体で実証済みなので
是非、ピアノ演奏をされる方には試して頂きたい想いがある。





10.自分を非常に客観視出来る様になった

何かをやりながらでも並行して「今の自分はどうか?」と
自分に尋ねる事が出来るようになった。





11. 人の態度が違う

よっぽどではない限り、お粗末な態度を取られることは無いが
(ホテルやレストランのレセプションご案内の際など)

ハイヒールを履き、姿勢良く「人」と接すると
より、あちら側のして下さる(ご提供して下さる)ご対応が違う。






12. 目に潤いをプレゼントする貢献が出来る

私自身もそうですが、男性でも女性でも
美しい姿勢で、清楚で、上を向いたまなざしがそこにあるのならば
そう言う方が自分の視界に入ると、心が気持ち良くなり
凛とします。

特にそれに加えて女性はハイヒールを美しく履いている姿は
より心が踊るのも確かであり

美しい姿勢で、ハイヒールを美しく履いている女性は
元気と希望と、心が温かくなります。
心が豊かになります。


「美しい姿勢、美しい歩き方である女性」は
その姿だけでも十分に心へのプレゼントになります。





13. 着膨れしない、すっきりとした女性になれる


ハイヒールを正しい歩き方で履くと
筋肉を使いながら、体全体を駆使して歩くため
そんなに着込まずとも、自家発電で体がポカポカになって来る。

ペタンコ靴を履きながら「寒い、寒い。」と
小走りで猫背になって歩くよりも


ゆっくりと身体を正しく使いながらハイヒールで歩くのは
非常にエレガンスであり、急がずして体がジワジワと温まって来る。




14. 健康になる

ハイヒールを履いて歩く際に

足裏筋肉、腹筋、足の内側筋肉、膝裏をよく伸ばす
骨盤の正しい位置への誘導
お尻の筋肉、腹筋、デコルテを開く、肩甲骨への意識
頭をプッシュする、目線を上げる、

人は上を見ると心も広く快活になり
丸まった身体はしなやかに伸びて行く

まるで草花が生き生きと太陽に向いている様な姿だ。




これは本当にハイヒールの語り尽くせない恩恵である。






この3ヶ月間でこれだけ(これ以上に)感じる事があるのは
なんと素晴らしいことかと嘆きたくなります。


色々まだまだな箇所は私自身も多くあるのですが
根気強く努力を重ねて行きます。





この世に「美しい」「普通」「醜い」の3選択があるならば
間違いなく「美しい」と自分は選ぶだろう。

普通でいいや、なぞ「生ぬるい感覚や、選択」はしない。

しかし「美」は「粋」と同じで
計算された、秘められた、ものがある。

それ無くして「その表現」はあり得ない。

それは音楽でも同じだ。


ショパンをショパンの意図とした解釈を尊敬しながら
自分の霊感やセンス、技巧を駆使して
やっとコンサートなどの人前で披露出来るまでになるのは
何十時間では、はっきり言うと無理だ。

何百時間、何千時間と言う
自分の人生の時間を紡ぎ上げて来た結果の
結晶であり、美しさや煌びやかさが、初めて生まれる。


それは「姿勢」「ハイヒールで美しく歩く」ことも
全て同じで共鳴することだ。






今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


Le son de la Mer
海音






               実家の庭雪と紫式部

2018年12月31日月曜日

音楽教育と娘(トゥーランドット 誰も寝てはならぬ)












































まずは今日で今年も終焉の日になり
門松を眺めながら、日本のこういう厳かで美しい風習は
素敵だなと横目で見ながら年末を過ごしている。


日本らしい年末の独特な空気の中は
一番日本が美しい季節なのではないかと感じずにはいられない。



本来は一年を思い返したりするのだが
今年は自分にとり悲しい別れが複数回あり
あまり思い返したくない心境である。



そんな中で最近のコンサートでも歌っている
プッチーニのオペラ「TURANDOT」より-誰も寝てはならぬ- を
また適度に録画してみましたので
ご興味のある方は見てくださいませ。

トゥーランドットより-誰も寝てはならぬ-

(日本ですとよくフィギアスケート音楽で使われているので
耳にしたことがある音楽だと思います)


もっと改善を図り、より朗々とした演奏が行く行くは出来たらと
思いますので、乞うご期待下さいませ。




娘が思いの外、体調を崩しお互いに寝不足になっていたり
年末に開いている小児科を探して出かけて検査をしたり
久々にバタついた年末だが、私はお陰様で元気である。
(血液クレンジングや水素のお陰かしら^^)



今年は1曲も作曲することが出来ず、インスピレーションが
降りてこなった年だった。

今までで一番ライブをしなかった年でもあった。

来年は自分らしい曲が出来ると良いなと思う。



私は音楽に対して非常に情熱的な人間ではあるが
それ以外はアンニュイで少し冷めている。

そんな音楽人間だが教育に対しては一体どの様な見解を
持っているか、または音楽レッスンについて綴ろうと思う。




パリで7年間ピアノをフランス人とユダヤ人に教えてきたが
面白い2つの法則があることを発見した。


1つ目....初めてお伺いするお宅の玄関と洗面所が汚いお宅は
トラブルが多く、レッスンすっぽかし、長く続かない。

2つ目....どんなに素晴らしいグランドピアノを持っているお宅でも
親が無理に子供に習わせている場合も続かない。



この2つは100%でした。


反対に


風通しの良いお宅で、玄関と洗面所が美しいお宅は
長らくレッスンを懸命に受けて下さる方が殆どでした。


「心」は「家」に繋がってるいると思います。
そして、それは音楽までにも。




基本、私は子供のピアノレッスンは募集してはおりません。
しかし何らかの繋がりやご縁のあるお子様には教えます。

教え方は、間違ってもバイエルやブルグミュラー、ツェルニーを
使っての教え方も致しません。
(どうしても弾きたい、と言う方は別ですが)


これは子供、大人共通です。

何故かと言いますと
それらの教則本は日本独特の音楽教育だからです。

それで競い合うのもつまらないものです。


基礎は「教則本」が無くとも準備出来ますし
まずは「ご自分が弾きたい曲」をご用意頂き
解釈、その曲の時代背景、作曲家のこと、をご一緒に探ります。

そこからです。


1曲の中に、学ぶべき技巧も、センスも、練習も
死ぬほど沢山のすでに入っておりますし
人生は有限ですので「ご自分が弾きたい曲」の中で
多くのニュアンスや技巧を学んで行けば良いだけです。

ただ、難易度が高い大曲などは
段階を踏んでから向き合えば良いのだと思いますので。



「音色」を探すことも特に重要としたい部分です。
音楽家にとり、音色を探し続けることは一生、毎日ですから
生徒さんにも同じことを、深みとして学んで欲しいといつも思います。


そして私のグランドピアノ(ED. SEILER エドワード ザイラー)は
パリで購入し、日本へ持って帰ってきたものです。

第三帝国で作られたドイツ製(ポーランド産)の稀なピアノです。

マホガニーで象牙の美しい小さなピアノで
良き古きドイツの音を楽しんで頂けたらと思います。






少し娘についても綴ろうと思います。

巷では、妊娠すると「モーツァルトやバッハ」が胎教に良いと
されている様です。

hertzの問題もあるのかと思います。

娘を妊娠している最中は
バッハは弾いていましたが、それ以外はプロコフィエフ、リスト、
メシアン、とかなり難儀なリズムと無調な曲もあり
胎教的に微妙なセレクトばかり弾いていました。

毎日練習やピアノの生徒さん宅に教えて行っていました。


娘が生まれてからは左手で抱っこし、右手の練習(その反対も)
オンブしながらハープの練習をしていました。

2歳くらいから私のコンサートにも時々来てくれます。


ただ、私は音楽を彼女に教えたくないので
ピアノやハープを娘が触っていても何も注意しません。

注意するとすれば
手の形、指の形、しっかりと奥まで鍵盤を押す事くらい。


それ以外は厳しくなり過ぎてしまうので教えません。
どうしても音楽を学びたい場合は
お外の先生にお願いするのが良いと思っております。


子供は娘に限らず、本当に可能性が未知ですよね。


以前、名古屋に住んでいた頃に昔ならではのお豆腐屋さんが
「ポー」と言う音とともに道端にやって来ていたのですが

0歳の娘はまだ「あー、うー、まんま」位しか
お喋りが出来ないにも関わらず

「うー」と言ってはお豆腐屋さんの音の同じ「高さ」で
「うー」と言う様になった時は、面白い!音の高さと同じ音声で
言葉を出している、とびっくりしました。


私の歌うフランス語の歌を意味もわからず
先入観なしに覚えて歌っていたり

題名を知らなくとも聴いただけで
「これはチャイコフスキー」と当てます。

どうして?と尋ねると
「なんかわかるよ。踊りたくなるよ。」と言います。


最近、一番驚いたのは....お絵かきをしながら
「ママ、この曲知っているよ。発表会の時に流れていたよ」と
ラジオから流れていた曲をすぐさま当てたのです。

しかもグノーやグリュックのバレエ音楽であり
1度しか聴いていない筈なのに、と驚きました。


別に親バカで行っているわけではありません。
まぁ、親バカでもいいと思っていますけど。


子供は本当に無限の可能性があることに
娘を通して驚かされます。


だから
押し付けてはいけないのです。


そうすると気持ちが歪んで消えてしまう。
(私自身、書道がそうでしたので)

放っておきながら、導いてあげる。




しかし子供にはどう言うピアノレッスンが良いのでしょうね。

それは自分が子供だった頃に「楽しかった」こと
どんな曲で、どんな先生で、どんな感じだったか

それが私の答えです。



無意識で楽しいのが一番です。

子供でも大人でも好きなことはランニングハイになる。

音楽だってそうだった。

でも、練習しなさい、とか言われると気持ちが下がる。



私は小さい時は練習が厭でしたので
自分の世界に入り作曲もどきを、隠れて沢山やっていました。

あとは
今、吹いている風の音、スズメの鳴き声を
ピアノで真似して弾いていた記憶があります。

それが一番楽しかったからです。

今でもモーツァルトを弾くのはあまり興味がなく
作曲している方が楽しいです。





楽しくなくなった時

人は物事からも、人からも離れるのと同じ様に。





子供の目線で、ピアノを子供に伝えられたらと
今後、日本の子供さんとご縁がありましたら

そう教えたい楽しみがあります。
(音楽教育、レッスンに関してはまた続けてブログに綴ります)




良いお年を。



心を込めて。




Le son de la Mer
海音






追伸 これは全くの私の嗜好で趣味ですが何百回と観た
   リリアナ カヴァーニの映画です。
   その中にグリュックのOrphee et Eurydice Dance des Furiesが流れています。
   愛の嵐(The Night Porter








2018年12月24日月曜日

Cadaux de Noël pour vous クリスマスプレゼントです^^














































こんばんは。

クリスマスイヴを如何お過ごしでしょうか?


先ほど、自宅で録音してみました。

いつもお世話になっております皆さまへ
ささやかですが☆クリスマスプレゼント☆です。

もし宜しければお楽しみ下さいませ。




Cantique de Noëlを日本語と原語フランス語で歌っております。
世界では『O Holy Night』で親しまれております。

日本語題名は「さやかに星はきらめき」です。


どうぞ皆様が心穏やかで温かなクリスマスをお過ごしに
なられます様に。

いつも、どうも有難うございます。

心を込めて。


千葉海音

2018年12月20日木曜日

ASAMIさんとの出逢い









2011年、出逢った頃のASAMIさん



当時、私は何故かネットサーフィンをしており
ASAMIさんに辿り着いた記憶がある。

瞬間的に

「あ、この方とコンタクトを取りたい。」と直感で思い
隈なくASAMIさんのこれまでの人生のブログを拝見させて頂きました。

それは夏の終わり位だったでしょうか。

そして秋も深まる頃にコンタクトを取った記憶があります。


当時、私は10年以上パリに住み続け
その時に持っていたヴィザをはっきりと労働に切り替えようか
色々考えていた頃で
音楽活動もフランス、日本でまずまず出来ていた頃。

しかし、パリと言う街で
何か物足りなさを感じていたことも確かです。

贅沢ですが
心通う友達も、恋人も、音楽環境も、ありました。

(現在もそうですがフランスの方が友人知人は日本より多いです)





そして時が経ち、ASAMIさんからも、フランスからも離れる時
とても泣いた記憶があります。

私はフランスに居たかった。

日本に帰る覚悟がないまま帰国しました。




そしてまた時が経ち
パリで出産した娘の木も
今や6歳になり、日び二人三脚で生きています。



ピアノのお師匠様が昇天され
やはりまたパリの土を踏みたい、逢いたい人に逢いたいと
娘とパリに里帰りをしたのが9月でした。




そしてまたASAMIさんと再会し
ハイヒールに足指先を美しく入れる生活を再スタート致しました。




前置きがなくなりましたが
私は確実に変わりました。
もとい、進化しました。


高価なメゾンのバレリーナシューズも売り払い


現在はハイヒールとスポーツシューズのみです。
(元々私はスポーツが好きなのでシューズは外せない人生でもあります)



やっと最近、本望に足親指の「母指球」に体重を乗せれる意識が
より強くなってきました。

体のどこを使えば美しいのか、そうではないのか。





電車に乗っている女性の姿勢や
椅子に座りながら膝を広げている姿
スマートフォンを覗き込み猫背になっている姿
道や階段を歩く際に大きな音を立てながらパンプスで歩く姿
内股がカワイイ?と思っている変な女子文化
せっかくのレストランやcafeなのに無言でスマートフォンを見ている
人々。
急いで駆け込む姿。



いつも違和感を感じていましたが
より目につくようになりました。





勿論、そちらにエネルギーを取られることはないのですが
反面教師が溢れている現在のおかしくなって来ている日本に
直面します(勿論、そうではない方もいらっしゃいます)。



そして気持ちの面で、思います。


ハイヒールパンプスのハイヒールは
その履く方の心身そのままを、表していると言うことを。



いつも急いでいる人....パンプスのヒールに皮がめくれている女性。

良いパンプスにも関わらずブランドだけを身につけて
実際に「履きこなせていない」....見栄だけの女性

乱暴に履きすぎてヒールが折れてしまう...女性

若い頃からの癖でO脚になりが外側重心の....まだ可愛くいたい女性






私はどちらかと言うと目標は
ハイヒールパンプスの元々もヒールの様な女性になりたい。
そしてあり続けたいです。


最近、より自分の中心が体で取れる様に少しずつなって来ました。
するとどうでしょう?







私は変わりましたね。



ASAMIさんのハイヒールの哲学に毎日触れ
コンサルティングやハイヒールレッスンで
その哲学を自分の中で咀嚼し、変容し....いる結果



そのハイヒールパンプスの美しく存在するヒールの様に
凛と一本で、そこに在る女性に成るべくして
生き始める様になりました。


ハイヒールのヒールの様に生きたいと言う訳です。



一人の人間と出逢い、自分の人生がより美しく変わって行く。

そんな素晴らしいことがあるでしょうか?



しかし、そう言う方に逢えるのは人生に
ほんのわずかです。


私は今までの人生の中でASAMIさんとの出逢いは
5本の指に入るお方です。



初めは、わー、と思っていても
時間と共に、自分の変化と共に消えてゆく人が多い中
静けさの中で強烈に響く印象を残してゆく人は
そんなにおりません。


そして、大切なもの、たくさん、多く在るほど、人生長くありません。





ASAMIさんに再会させて下さったのは
ピアノのお師匠様とのお別れでした。




しっかり、自分らしく、あなたの人間性を奏でて生きなさいと
最後に残して下さった希望だったと思います。


パンドラの箱に最後に残ったものは
「愛」ではなく「希望」だったことを思います。



どちらも途方もなく深いものです。

どちらでも、最期に残して下さった
静かな愛と希望だったのです。







私は自分の気持ちに素直なので
非常に不器用な人間で損するタイプだと色んな人々に今までも
言われ続けて来ました。





最近、お世話になっているコバシャールさんの言葉に

「損したって、いいじゃない。」

「今の時代、みんな自分が得することだけ考えている。」とあり

あゝ、そうそう。本当にそう思うと感動しました。

他の人から見て「損している」と思われても
自分にとって「得(徳)なこと、自分らしいこと」があります。





話が大分、ずれてしまいましたが





ハイヒールをまた本格歴に学び出し、履き始めたら
自分もハイヒールの様な人間に少しずつなりかけて来た。
(日び一歩、一歩ではあるが)


いつも凛として、細い華奢な一本の軸で生きている。
しかし、その細く華奢な一本の軸は「鋼(ハガネ)」であり
誰も、何も自分を揺らがせることは出来ないほどに強靭である。

ソールの曲線は女性の精神としてのしなやかさ、たおやかさである。




ASAMIさんはおもしろい。

人間を進化させる魔力がある。
魔力と言う名の繊細な洞察力、まなざし、揺るがない強靭精神だ。

どこにもない
一つの花(ASAMIさん)です。





ピアノのお師匠様もそうだった。
だから10年も師事し続けた私の本能がある。


自分も人間が強い性質の類だが
自分に必要な人は必ずいる。





身体の軸と、心の軸が
本来の私へ戻る季節に入った今


この季節で良かった。




以前、フランス人の男性にも
「君は本当に強い人間だよ。」と何度も言われた。

より、今、強くなってゆく。



出逢いは人生を変える、とはこう言うことだ。


これから徐々に、良い方向へ私は人生の舵を取る。


そのための美しい西洋の風はASAMIさんであると。




Amitié


Le son de la Mer
海音







2018年12月19日水曜日

ひとりごと

















































本当に自分の波動(エネルギー)に合っているならば
全てはスムーズに行っているはずだと思う。



最近は特にそう感じざるを得なくて
冷え冷えとした心持ちでいたり
やんわり穏やかであった気持で居たり
差がある自分を素直に感じる。



それに強く則って生きる。


自分の気持ちを誤魔化さない。

それこそ
己を放棄していることになってしまうからだ。




冬は好きだ。

自分の心がより澄み渡り
本心が曇りなく見えてくるからだ。

余計なエネルギーは使いたくはない。




今年
美しかったことを思い出す。

無論、良いことで感謝の意味の一年であった。






心に正直にしか呼吸が出来ないので
今までの自分がしてきた選択はもうしない。



自分に正直で居たい
自分を大切にしたい。




自分の領域を大切に、守りたいですし
自分らしく
美しく生きるための方法が一番大切です。



例えば他から変に見られても

私は
自分を大切にしたいのです。




Amitié




Le son de la Mer
海音










2018年12月16日日曜日

少女の顔で、老婆の声 其の一








昔、あるお世話になっていた女性のピアノの先生が仰っていた。



「あの子ね、凄く上手で完璧なのよね。誰も太刀打ちできないくらい。

 でもね、演奏がつまらないのよ。恋したことがないのよ。
 
 または男性と付き合ったことがないものだから。

 ピアノ、いいけど、弾く前に恋をしたらいいのだけどね。

 そしたら最強だと思うんだけどなぁ。エクスタシーがないのよ!

 アルゲリッチくらいの顔、あなた知っているでしょ!

 あれくらいの顔、しなきゃ!」←徐々にヒートアップして行く。









機械的な情熱のピアノ演奏はパリでも幾らでも聴いて来た。
尚の事、日本でも。



先を言うと、要は何でも経験なのだと思う。







まぁ、色々な表現法があるので何とも言えないけれど。


私は情熱的に頭や体を振り乱して弾くタイプの人間(演奏家)ではない。
そう言う余計なエネルギーパフォーマンスを避ける傾向がある。

意味がないから。


それに私はエンターテイナーではないから。







小さな頃から師事していた先生方も
そう言うタイプだったのかもしれない。



淡々と、冷え冷えとした姿勢で弾きながらも
音には色彩があり、温かみがある。



非常に落差があるものが好きで、至極、魅力的だ。






ASAMIさんとのハイヒールレッスンも同じことが言えるだろう。

「余計」な動き、意識を入れない。

「焦点」だけに強く強く、意識をする。

非常に芸術的で理に適っている。



いつも
あゝ、理に適い過ぎていると感動します。










ハイヒールの歩き方も
ピアノの弾き方も

色気や性が非常に重要だと思います。


その波の満ち引きがある様に。







リストの超絶技巧練習は以前、私も得意としていましたが
幾らでも「機械的に」「速く」「超人的」に弾くことは
ある程度のピアニストなら出来ると思います。

リスクは腱鞘炎に成りかねない時もありますが。


しかし「人間的に」「冷酷さ」「温もり」「呼吸」「間(ま)」を

または「神の領域」を



どれだけを持って表現できるかが、人間表現力のおもしろみであり
リスナーにも高揚感や幸福感、清閑的、歴史的悲壮感なものを
身体中で感ずることが出来ると思うのです。


当たり前ですが「機械的」「速さ」は初めは面白がられても
果ては、飽きられます。




感覚の問題ですが
パリである有名なヴァイオリニストの演奏を楽しみに聴きに行った時
(私の偏愛するショスタコーヴィッチのプログラム)


解釈とセンスがあまりにも自分の感受性に合わず
その場に居られなくなり
奮発して良いお値段のお席にも関わらず
一部まで我慢し、休憩中に音楽劇場を出てた。


そして、すたこら家に帰ってしまった思い出がある。


(まだOISTRAKH....オイストラフ(私の愛するヴァイオリニスト)
のCDを家で聴いて居た方が幸せだと思い)




愛してやまないショスタコーヴィッチ ヴィオロン コンチェルト op.99 No.1
(笑いもせず、高揚する顔もせず、ぶっきらぼうな相変わらずなお顔)

しかし
ファイナルをこれまでに圧巻、高揚、勝利で奏でるヴァイオリニストが
どこに、いるであろうか?これぞ全くブレない官能だ(私にとって)




多くの演奏家は体を揺らして演奏する方が多いが
オイストラフは動かない、変わらないポーカーフェイス
音楽は高揚しても、自身の体も顔も高揚しない。

しかし音だけは凄まじい人間性の嵐だ。

何年聴いても、それは変わらない。


Shostakovitch violin concerto op.99 No.1 final
☆音が出ますのでお気を付けてください。


(その他、ショスタコに関する音楽を載せようと思ったが
あまりにマニアック過ぎるので割愛させて頂きます)








好み、そこに含まれる「きっかけ、原因」となんぞや?





思うに


「呼吸」と「官能」ではないでしょうか?





前に述べたように
昔、師事して居た女性のピアノの先生が限りなく仰って居たことに
共通すると思います。



人は、そこを求めますね。




しかし「あけらさま」に分かってしまうような呼吸や
官能は滑稽なピエロです。

本人から自然に醸し出される人生、の音とでも言いましょうか。






「呼吸」と「官能」は重なるものがあります。



そして同じくらい「非常に興味のないもの」でもあります。
私にとっては。





ある意味、幾らでも演技が出来てしまうものでもありますから。


非常に忍耐強く、全くつまらないの時間にもなります。






以前パリで、日本で、歌を歌った時に同じ言葉を頂きました。

まだ20代〜30代のシャンソン下積み時代でしたが

「少女の顔で老婆の声の歌手」と。




私は
それで良い、と当時から本望だと思って居ました。

老婆くらい、生きて居たと思うときがあるからです。

多くは語りませんが

当たり前だ!と叫びたくなりました。





生きること全てが音楽でいる自分にとって
「感じる」何かは常に「餌と肥やし」として生きて来ました。





男性にドキッとすることですか?

その人、それぞれで「これ」と言うものはありませんが

色々冷めている部分も多く

美しい雌猫と一緒に過ごす方が幸せだと思うのは
ワガママでしょうか?







私は変態なのです。







官能ない音楽は、ただの「工事現場の機械音」なのです。



官能とは「呼吸」と「血の流れ」とも言いましょうか。

ただ、そこに何かの「軸」がなければ
かつて生まれなかったものだと
産み出せないものだと思うのです。



その人が孕んで来た
人の道




所謂、「脈」でしょうか。






Amitié




Le son de la Mer
海音