娘が1月からバレエのクラスがベビー科から児童科へ進級した。
まだお腹がポッコリで可愛いながらも
小学生のお姉さん達に必死で着いて行こうと一生懸命な姿が
頼もしい。
クラスが変われば、流れる音楽も変わる。
今日は美しい瑠璃色の小さな玉が、沢山流れているような曲で
ショパンの明るく繊細なエチュードを思い出した。
ぼんやり聴いていると
自分の手がウズウズして、胸が苦しくなった。
私はピアノを昔見たく弾きたいのだ。
毎日ピアノを弾きたいのだ。
自分の内側から湧き出て来る欲求は
泉のように溢れ出て、決して止まることはない。
私は
誰のものでもなく
誰の言うことも聞かない。
心から尊敬している人以外は。
誰の言うことも聞かぬが
自分の心の声だけは、絶対に聞くようにしている。
「違和感」と言うものからは
必ず離れるようにしている。
厭、離れざるを得ない状況になるのだ。
特に去年の夏からそう言う状況になっている。
強制終了的な感じで終焉に向かうのだ。
そうしないと次のステージには行けないから
神様がそう仕向ける。
荒治療だ。
そのお陰で美しく羽ばたける。
後悔は無いが戻りたい時はある。
今が一番のベストだとは分かっていても
パリで音楽と共に生きていた時代。
そして本当に可愛い時期の娘を手放してしまった
空白の時間。
その成長の様子が真近で見れるのならば
唯一、過去に戻りたい。
でも、今、元気であるならば
きっと良いのだろうと思う。
想いはあれど、進化していく自分。
それは止められない。
私は誰にも嫉妬しない。
そして興味がない。
一番興味があるのは自分の音楽だから。
本日のブログの題名は
「意雲凌」(いうんりょう)
パリにいる、ある有名な書道家が
君にこの字を書いて欲しいんだ。と提案してくれた言葉。
君なら、よく書けるだろう。
そんなことを言ってくれたが
タイミングが悪く書くことは無かった。
でも、今なら時間を見つけて「意雲凌」と書いてみたい。
意味は「超越、自分を超えてゆく」と言うことだ。
中国の言葉だそうだ。
昔の私、一年前の私を
今の私はずっと飛び越えている。当たり前のように。
昔の私はいないのだ。
同じではないから
新しい曲が書ける。
同じではないから
新しい歌が歌いたい。
同じではないから
楽しい。
同じではないから
自分らしい。
一年前とは比べものにならない自分が
私は好きだ。
何が違うか。
自分を本当に大切にすることを
多分、素直に実行していると言うことだ。
でも、まだまだだ。
自分を超えることは
自分を何に於いても
信じ続けることなのだ。
それに一年前は「ペタンコ靴」
今では「ルブタンの13cmハイヒール」
筋肉の使い方も、まなざしも、それは違いますよ。
楽なペタンコ靴でいる精神と
難儀なハイヒールを履きこなしたい精神。
ルブタンは、人生の流れに大きく及ぼし
もう二度とペタンコ靴には戻れなくなった。
だから昔の自分はもう、居ないのです。
我ながら、シンプルな答え。
Amitié
Le son de la Mer
海音