2019年3月3日日曜日

混沌(カオス)から人生の課題へ



            お気に入り(昔の媒体用)





「仕事においては忘れることが重要。
忘れるために多大な努力もしている。
それは不満があるからではなく
新たなアイディアを探さなければいけないから。
過去を振り返っても何も進まない。」

2016




「私はデザイナーだけど、写真も撮るし本も書いて出版する。
でも自ら“アーティスト”を名乗ることはしない。
自惚れに感じるから。他人からは言われる分には
褒められている様で嬉しいけれど
自分からアーティストと名乗りだしたらおしまい。
すぐにやめたほうがいいと思う。」

2015




「私はいつまで経ってもオーガニズムを感じない
ファッション狂の様なもの」

1984



先日、シャネルの長年のデザイナーであったカール ラガーフェルド氏が
亡くなった際に、彼の残した言葉を読んだ。


感想は言葉にしてしまうと陳腐になってしまうので書かないが
心にずっと忍ばせていたい言葉だ。


はっきり言うと彼の言葉が大好きだ。
全てに、私は頷きたい。



エイジレスで非常にお洒落極まりない
自分のスタイルを最後まで貫く人間は本当に素敵で惚れ惚れします。
(特にこう言う男性は↑....
私のピアノのお師匠さんも90歳過ぎ迄、コーデュロイのスーツを纏い
プジョーを運転しながらパイポをふかしておりました。)



今の時代はカール ラガーフェルドも知らずに「シャネル」を身につける
方々も多くいらっしゃるのだと思いますが(FENDIも手がけております)
それはドビュッシーを知らずに「月の光」を弾いている様なもの。


何にせよ、その「背景」や「時代」を知ることで
もっと作品が面白く魅力的に、愛着が湧いて来ます。



もう今後、彼のデザインしたものは出てこないから
私も少しばかりですが愛用しているシャネルがあり...
本当に大切にしていきたいなと思います。









今日の課題は「ブログの課題」







私はいつの頃からかブログを書かなくなった。

パリにいた頃はよく書いていたが
日本に来てからはそれどころでは無かったなと思う。

非常に自分の価値観と感性で綴るので
自分らしく生きていない時には
書けない。


嘘を付いてでも書こうとは思わない。




ブログとは私に場合、自分のまなざしの「万華鏡」であり「苑」である。

その耽美な苑から共有出来ることがあれば嬉しいが
独り綴りの方が私は好きだ。


作曲をしてレコーディングをしても
私はその自分のCDを聴いたりはしない。

おもむろに興味がない。

過去の作品は私にとり「過去」のそのものだから
耳障りになってしまう。


新しいアイディアを常に感性と言う触覚で
無意識に探しているからだ。

だから自分の昔の音楽はいらないのだ。

(コンサート時や、その練習時は別だが)


だから、上記のラガーフェルドの言葉に至極頷けたり
昔から「忘却」「終焉」と言う言葉を、気持ち良く愛用している。





はっきり言うと、この日本に来てからの6年は一言で
「カオス」そのもの、だった。

何だかもう、良く分からない。



ただ、昨年の夏に大きな別れが2回も続き
自分にとってのエネルギーの限界の極限であった。
そして、そこからまだ這い上がれていない時もある。



そんな最中にASAMIさんとパリで再会し
ハイヒールレッスンとコンサルを受けることにした。

まずは「ブログの立ち上げ」
そして「毎週のブログの課題」


ほぼ、今日まで毎週「ブログの課題」を綴ってきた。


時にギリギリになってしまうことも多くあったが


カオス生活を日本でしていると

「優しく突き付けられる課題」がどれだけ自分を立ち返らせて
奮い立たせてくれただろうと感じる。






「課題」がある人生とはいいものだ。

以前は毎日が音楽の課題だらけだったので
脇目も振らずに自分らしく生きた。



しかし、生活のためだけに必死で稼ぐことになると
私は生きる楽しみも、目標も、課題も
何にも見当たらなくなってしまった。


楽しみといえば、休みの日に家の中でゆっくりすること。




私、有名な音楽家になりたかったんだよね?
演奏会を沢山、やりたかったんだよね?
自分を表現し続けたかったんだよね?


と心の中に
叫ぶ様なヤマビコは木霊(こだま)するけれど
誰も答えは返してはくれない。

最終的には心療内科に通うのが
唯一の安らぎになってしまっていた季節を
誇りにも思わない。






その様な中で、ASAMIさんからの課題は
毎週、小さな階段を一段ずつ登ることを繰り返し
根気強く

「本当は自分がどうしたかったのか、どう生きたかったのか」を

思い出させてくれながら、ハイヒールを美しく履く原理や
筋肉の構造、美しさについて毎週ブログで綴り続けると
自分自身が無意識に全身全霊で、その言葉を自ら
落とし込んでいることに気が付いた。

心の軸も、昨年とは大違いだ。




「継続」ほど強いものはない。

そうすると、また新たな自分が見えてくる。

新たな自分を創造し続けることが出来ると言うことを
学んだ。





もともと、私は自分のペースを崩されるのが厭で
全てにおいて自分のテリトリーに入ってこられるのも厭だ。

厭、厭、の人間だが継続だけはしている。

何故なら、継続は厭ではないからだ。



何への継続か?

美しいと感じるもの「だけ」に対する「継続」である。




ASAMIさんへ

限りない感謝を込めて。





Le son de la Mer
海音








    
            



           枯れた紫陽花。