2018年10月27日土曜日

ハープと毛玉と猫








それが私にとって基準である。


いつか文面にこの言葉を描きたい(えがきたい)と思った。


何故なら非常に大切なことである。


それは生活の基準であるから。




ハープは自分への慰めのためにパリで趣味として始めた。

毛玉はエレガントでは無いが
(間違ってもエルメスのカーディガンには毛玉がならないし)笑





この「ハープ」「毛玉」は大きく共通している部分がある。

「夜な夜な」、「空いている小さな時間」、「黙々と」




私には譲れない大切な生活のものだ。

生活の基準、
それはこの「ハープ」と「毛玉取り」が出来ない日びと言うのは
心に余裕がないか、自分らしく生きていない時。




何にも変えがたい時間だ。












埃まみれになったハープや
毛玉だらけになった娘の着るもの、私の着るもの



眺めて「いる」時、「いた」時。



いつも人生に波がある。





今はどちらか、分からない。





ただ、「ハープ」と「毛玉」がいつも基準で
死ぬまで変わらないと思う。


意識していなくても


この二つだけは。



















最近は愛猫の認知症が進み

老猫特有の耳をつく、なりふり構わずに朝も晩も金切り声で叫び散らす。

老いは仕方ない。




耳が神経質な私は睡眠も多く出来なくなり

切ない気持ちになる時が本当に多くなった。


しかし16年前と変わらず可愛いし、より可愛く宝物であることは
変わらない。


誰よりも長く一緒にいる子だから
私が出来ることすべてをやって行きたいと心に確認する。


お世話になっている動物病院にも
もし(認知症が)難しくなったら言ってください。と言われた。


難しくなる時、それはいつなのだろうか。






私は鷹匠にも花火師にも音楽家にもなりたかった。



時間は有限の中、朦朧とすることにより
自分を思い出し
時を駆けるのだ。




Amitié






Le son de la Mer
海音







(Hiver à Paris et mon chat en 2010)