2019年2月18日月曜日

命の星の運転手
























自分の心と繋がり、常に生きること。

そうすると何らかの決断も、いつも早い。

そして、その行く先は

厳しいながらも自分の生き方の王道になる。


初めは道のない、原野の小道であっても

いづれは自分にとっての王道とへんげしてゆくのだ。


列車には往復切符はあっても

人生には往復切符と言うものは存在せず

悲しいかな、止まることはない行く先があり

毎日、同じ方向の自分の終着点に向かい生きている。

しかし、人生を列車と例えるのならば

いつも、一緒に乗っていた人が降りて行く場合もある。

そして、新しく乗ってくる人もいる。

どの駅を目指して、一つの区切りとして生きるのも自分次第か。




命の星に住んで、その星から遠ざかる列車に乗るまでは
自分がその列車の運転手だ。

あなたは今日

命の星で、どの様な運転をしながら生きるのだろう。






自分の決断は、自分の責任。

人生の中で、大きな決断だったものは何だったか。



私にとっては

「よし、フランスへ行こう。」とすんなり決め

大学卒業式よりも、当時上手く行っていた彼よりも

フランスに行くことをあっさりと決めてしまい

そそくさと日本を出て、フランスに行ってしまったことかと思う。




文面で綴ると非常に単結なものに見えるが
その後の十数年のパリでの生活は
想像を絶するものだった。




ピアノに何度も挫折し
日本のシャンソン界にも幻滅し
フランスのでの長い刑事裁判
シングルでの出産、子育て。


反対に、素晴らしい友人たちと
音楽の師匠に恵まれ
ピアニスト資格を取り
ピアノ講師になり
パリで素朴に弾き語りのコンサートを地道に続けれた。



多分、どれも、すべて


どの時も
私は幸せだったのだと思う。


何故ならば
自分を支えてくれる人々がいたから。




そして一度も日本に帰りたいとは思わなかったし
ホームシックたるものが湧き上がる事が無かった。


それは自分の生き方が、自分の心といつも繋がっていたからだ。







神様が「私という駒(コマ)」を日本にそっと置く時
どうしても私は帰ると言う決断が出来ないまま
帰らざるを得ない流れになった。


私の運転する列車は天災に押し流された様に
行き先が思わぬ方向に向いたのだ。


そして時が経ち、ここにいる。





ある日、私は都内の印刷工場に勤めていた。
地下で暖房も冷房もない場所だった。

印刷機に毎日向かい
無気力でたたずみながら、インクで真っ黒くなっていた自分の手を眺め
パリでの生活を思い出していた。

何だか疲れて前向きな気持ちではいられなかった日びを
今でも、たまに思い出す。




自分の人生の選択を誤った様な気がした。

誰と出逢い、愛し合い、何かを手に収めても
すり抜けてゆく取り留めのない事でさえ
自分の選択の責任ならば。




選択を誤った、と思っても自分の人生の列車は進んで行く。
後悔はあっても。

ただ、虚しさだけが心をえぐる。






また時が経ち

今日、水族館へ行った。
イルカショーを見たのだが、とても素晴らしく癒された。








これも22歳の時にパリに行くと、大きな決断をした時からの続きだ。

全て繋がっている。
厭、赤ん坊の頃から、それ以前からのストーリーなのか。




生きていると、この世の果て、の様な
果てしない歌のように感じてしまうことがある。


だけど人生は果てしなくない。
しっかり終焉がある。



どのように毎日を選択して生きるか
小さな選択は、時を経て積み上げられ

ゆくゆくは大きな選択になってゆく。


さざ波が集まって、大波になって行くように。





一見、惨めで不幸に見えても
それは自分にとってその時に必要なもの(と思いたい)であり
人生を作り上げて行く。


見渡せば、しあわせだ。





大きな決断は、やはりフランスへ行く決意をした日からの事。
何故ならば、あのまま日本に残り続けて生きたのならば
今の人間関係も、私も、娘もいなかったのだから。



だから
全て良しとなる。




そして、もし生まれ変わりというものがあり
誰かの美しい髪の毛に寄り添う、かんざしに生まれ変わっても
私は私だったことを忘れたくない。








今日も読んでくださり
どうも有難うございます。



Amitié





Le son de la Mer
海音