2019年4月1日月曜日

ママ!2 「一人で揺らしたゆりかご」



                            5年前、無認可保育園に通っていた頃。
                           とても高く、その為だけに必死で働いていた。
                           庭師を勉強させて頂きながら働いていた。













「ママは、可哀想だと思う。いつも自分を責めて苦しんでいるから。

本当は木ちゃんが悪いのに、わがままだから。

でも、ママはいつも後から怒りすぎてごめんね、って言う。

いつもママは自分を責めていると思う。」



最近、ぽろっと私に向かって話し出した。


まだ言葉の引き出しが少ない娘だが
精一杯、私に伝えたかった様だ。



きっといつも彼女は自分の美しい万華鏡から
私を見ているのだ。







真夏に
楽しく歩いているどこかの家族を横目に
汗だくになり、一人黙々とベビーカーを押していた時。

夜泣きが酷く、明け方まで途方に暮れて
娘を抱っこしていた日び。

雨の日にベビーカーが泥濘み(ぬかるみ)にはまり
もう全てを手離したくなり、頬に涙が伝った瞬間
見知らぬ女性がすぐ横に来て、泥濘みからベビーカーを
上げてくれた時。


こういう人もいるのだ....
人生捨てたものではない、と心が緩んだ記憶が
雨の中にある。




いつも一人でベビーカーを押していた記憶は
ゆりかごを揺らした記憶は

ずっと自分の人生が終わるまで
思い出として春風のように吹くのだろう。


それは心の真ん中にある「私の人生の椅子」にたたずむ
.....いづれ、美しい「クッション(土台)」となって行くのだ。





図中にいると判らない。

自分が峠にいる事を。

乗り越えた時、判る。

自分の血潮の行方を。






昨年は色々乗り越えた、と言うよりも
いい加減、もう上の自分らしいステージと生き方をせよ!と言う
お告げだったに違いない。


私は愛を失い、至極、困憊し続け
容易く人を愛したり、尽くしたりする事をやめた。
しかし、恩師は死と引き換えに、最後に愛を置いていってくれた。


恩師が残してくれた愛とは「これからの選択である。」



そに選択をするには、乗り越えなくてはいけないものが沢山あった。
今もある。



いつも厳しい課題を突きつけてくれる恩師は
いつもと変わらぬままだ。


今だから笑える話だが
初めて恩師にピアノを師事した年の夏のバカンスの宿題は
ショパンのエチュード24曲全てを仕上げてくる事だった。


その年の夏は
日本に帰り、大きな舞台や、初めてのワンマンライブが神戸であり
自作曲やシャンソン弾き語り曲だけで30曲以上も
練習しなければいけないのに。


その事を恩師に言っても首を縦には振らなかった。


この現実的に厳しい課題をどう乗り越えてるのか?


これは音楽に限らない。







答えは「思考」を変える事だった。






昨年の秋から、今日まで
「同じ」ことは無くなった。





私はもう、同じ選択は終い(しまい)。


乗り越えると言うことは

「もう、同じ選択をしない。もう、振り向かない。」と言うことか。









娘は私を強くした。

私に一人でベビーカーを押させ、ゆりかごを私に揺らさせた。



今は手を離れ、自転車に乗ってみたいと言う。

時は経ち、もう夜泣きもしない。


その時は
永遠に生きるように苦しい。


しかし、永遠の命はこの世にはなく
明日は新しい1日となる。




Amitié





Le son de la Mer
海音




追伸

今回は初めて書き直しをしました。
今月から自分と向き合える時間が多くなるため
ブログもまた少しずつ更新頻度を多くしようと思います。
いつも読んでくださり、どうも有難うございます。