夜、うつくしい魂は涕いて、
――かの女こそ正当なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであった。
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
中原中也
寒さが増し、空気も澄んでくるように
自分が増して、気持ちがより澄んで来たように思える。
静かな夜は何も答えてはくれない。
答えてくれるのは
波打つ「私の心」。
大切な人に
大切な温かみのある思い、言葉を
いつも
そう言うプレゼントが出来たらと思う。
本当にしみじみそう思う。
そうではない
自分がチグハグでいる時、時空の隙で出逢う人は
一見、笑顔に見えて、心の底ではそうではない。
今日は新月なのだな。
手離してゆこう、何もかも。
夢だけは静閑に握り締めて。
乗っている電車から降りたくなる時がある。
自分が降りる駅ではないのに。
それは「人」と「馨」である。
生きている環境から飛び出たくなる。
自分が選んだ道なのに。
それは「人」と「進化」である。
せっかく心地よい電車の座席に座っていても
自分を守るために
その席を即座に立つことがある。
現代
良い顔をして隣に座り
その優しい肘で私の横腹を突いてくる
そして手に持つ電話でメッセージを打ち続ける
昨日
優しい夢はいずれ...
と歌う。
もうメッセージは届かぬと。
芳しい馨りの野原があるのなら
電車を降りよう
もう無理に電車に揺れる花ではなくて良い。
吸いたい空気が外にあるのなら
今を降りよう
もう道化の電車に乗って揺れる時間は無い。
私はいつも、中也の詩のように
「死んだっていいよう、死んだっていいよう」と
湿った地面に横たわり涙を垂らして生きている
それは詩の解釈には、そぐわないが
それくらい自分に従順に、純粋に、鋭いガラスのように生きている
「死んだっていいよう!」と叫ぶくらい
強く真面目に生きている。
それくらい生命力を自分に燃えたぎらせて生きている。
だから
それに水をかけてくる者がいたら
ユーカリの樹の下へ連れてゆき
もう振り向かない。
ユーカリの樹の根を見れば
私の気持ちをあなたは踏みにじったのだ、と
わかるだろう。
ユーカリの根は根深く、強く、自分の根を張り続け
時には人間をも栄養として吸いつくしてしまう力がある
空を飛ぶことも好きだが
私が空を飛べるのは
自分の「根」を持っていて
そこに戻ってくることが出来るからである。
そうでなければ
糸の切れた凧のようだ。
この冷えた心に
もう多くはいらない。
静かな夜は何も答えてはくれない。
雑巾のようになった心を
絞り
落ちてきた水滴が少しでも
まだ輝いていれば
それでいい。
それが私だ。
一滴の水はまた大河になり
朗々と朗々と流れ出す。
Amitié
Le son de la Mer
海音